て、ちょっと末《うら》を余して垂下《たれさが》る。すぐに、くるりと腹を見せて、葉裏《はうら》を潜《くぐ》ってひょいと攀《よ》じると、また一羽が、おなじように塀の上からトンと下りる。下りると、すっと枝に撓《しな》って、ぶら下るかと思うと、飜然《ひらり》と伝う。また一羽が待兼《まちか》ねてトンと下りる。一株の萩《はぎ》を、五、六羽で、ゆさゆさ揺《ゆす》って、盛《さかり》の時は花もこぼさず、嘴《はし》で銜《くわ》えたり、尾で跳ねたり、横顔で覗《のぞ》いたり、かくして、裏おもて、虫を漁《あさ》りつつ、滑稽《おど》けてはずんで、ストンと落ちるかとすると、羽をひらひらと宙へ踊って、小枝の尖《さき》へひょいと乗る。
水上《みなかみ》さんがこれを聞いて、莞爾《にっこり》して勧めた。
「鞦韆《ぶらんこ》を拵《こしら》えてお遣《や》んなさい。」
邸《やしき》の庭が広いから、直ぐにここへ気がついた。私たちは思いも寄らなかった。糸で杉箸《すぎばし》を結《ゆわ》えて、その萩の枝に釣った。……この趣《おもむき》を乗気《のりき》で饒舌《しゃべ》ると、雀の興行をするようだから見合わせる。が、鞦韆《ぶらんこ》に乗って、瓢箪ぶっくりこ、なぞは何でもない。時とすると、塀の上に、いま睦《むつま》じく二羽|啄《ついば》んでいたと思う。その一羽が、忽然《こつねん》として姿を隠す。飛びもしないのに、おやおやと人間の目にも隠れるのを、……こう捜すと、いまいた塀の笠木《かさぎ》の、すぐ裏へ、頭を揉込《もみこ》むようにして縦に附着《くッつ》いているのである。脚がかりもないのに巧《たくみ》なもので。――そうすると、見失った友の一羽が、怪訝《けげん》な様子で、チチと鳴き鳴き、其処《そこ》らを覗《のぞ》くが、その笠木のちょっとした出張《でっぱ》りの咽《のど》に、頭が附着《くッつ》いているのだから、どっちを覗いても、上からでは目に附かない。チチッ、チチッと少時《しばらく》捜して、パッと枇杷《びわ》の樹へ飛んで帰ると、そのあとで、密《そっ》と頭を半分出してきょろきょろと見ながら、嬉《うれ》しそうに、羽を揺《ゆす》って後から颯《さっ》と飛んで行く。……惟《おも》うに、人の子のするかくれんぼである。
さて、こうたわいもない事を言っているうちに――前刻《さっき》言った――仔どもが育って、ひとりだち、ひとり遊びが出来るようになると、胸毛の白いのばかりを残して、親雀は何処《どこ》へ飛ぶのかいなくなる。数は増しもせず、減りもせず、同じく十五、六羽どまりで、そのうちには、芽が葉になり、葉が花に、花が実になり、雀の咽《のど》が黒くなる。年々二、三度おんなじなのである。
……妙な事は、いま言った、萩《はぎ》また椿《つばき》、朝顔の花、露草《つゆくさ》などは、枝にも蔓《つる》にも馴れ馴染《なじ》んでいるらしい……と言うよりは、親雀から教えられているらしい。――が、見馴れぬものが少しでもあると、可恐《こわ》がって近づかぬ。一日でも二日でも遠くの方へ退《の》いている。尤《もっと》も、時にはこっちから、故《わざ》とおいでの儀を御免蒙《ごめんこうむ》る事がある。物干《ものほし》へ蒲団《ふとん》を干す時である。
お嬢さん、お坊ちゃんたち、一家揃って、いい心持《こころもち》になって、ふっくりと、蒲団に団欒《だんらん》を試みるのだから堪《たま》らない。ぼとぼとと、あとが、ふんだらけ。これには弱る。そこで工夫をして、他所《よそ》から頂戴して貯《たくわ》えている豹《ひょう》の皮を釣って置く。と枇杷《びわ》の宿にいすくまって、裏屋根へ来るのさえ、おっかなびっくり、(坊主びっくり貂《てん》の皮)だから面白い。
が、一夏《ひとなつ》縁日《えんにち》で、月見草《つきみそう》を買って来て、萩《はぎ》の傍《そば》へ植えた事がある。夕月に、あの花が露を香《にお》わせてぱッと咲くと、いつもこの黄昏《たそがれ》には、一時《ひととき》留《とま》り餌《え》に騒ぐのに、ひそまり返って一羽だって飛んで来ない。はじめは怪《あや》しんだが、二日め三日めには心着《こころづ》いた。意気地《いくじ》なし、臆病。烏瓜《からすうり》、夕顔などは分けても知己《ちかづき》だろうのに、はじめて咲いた月見草の黄色な花が可恐《こわ》いらしい……可哀相《かわいそう》だから植替《うえか》えようかと、言ううちに、四日めの夕暮頃から、漸《や》っと出て来た。何、一度味をしめると飛《とび》ついて露も吸いかねぬ。
まだある。土手三番町《どてさんばんちょう》の事を言った時、卯《う》の花垣をなどと、少々調子に乗ったようだけれど、まったくその庭に咲いていた。土地では珍しいから、引越す時|一枝《ひとえだ》折って来てさし芽にしたのが、次第に丈《たけ》たかく生立《おいた》ちはしたが、葉ばかり茂って、蕾《つぼみ》を持たない。丁《ちょう》ど十年目に、一昨年の卯月《うづき》の末にはじめて咲いた。それも塀を高く越した日当《ひあたり》のいい一枝だけ真白に咲くと、その朝から雀がバッタリ。意気地なし。また丁《ちょう》どその卯の花の枝の下に御飯《おまんま》が乗っている。前年の月見草で心得て、この時は澄ましていた。やがて一羽ずつ密《そっ》と来た。忽《たちま》ち卯の花に遊ぶこと萩に戯《たわむ》るるが如しである。花の白いのにさえ怯《おび》えるのであるから、雪の降った朝の臆病思うべしで、枇杷塚《びわづか》と言いたい、むこうの真白の木の丘に埋《うずも》れて、声さえ立てないで可哀《あわれ》である。
椿の葉を払っても、飛石の上を掻分《かきわ》けても、物干に雪の溶けかかった処《ところ》へ餌《え》を見せても影を見せない。炎天、日盛《ひざかり》の電車道《でんしゃみち》には、焦《こ》げるような砂を浴びて、蟷螂《とうろう》の斧《おの》と言った強いのが普通だのに、これはどうしたものであろう。……はじめ、ここへ引越したてに、一、二年いた雀は、雪なんぞは驚かなかった。山を兎《うさぎ》が飛ぶように、雪を蓑《みの》にして、吹雪を散らして翔《か》けたものを――
ここで思う。その児《こ》、その孫、二代三代に到って、次第おくり、追続《おいつ》ぎに、おなじ血筋ながら、いつか、黄色な花、白い花、雪などに対する、親雀の申しふくめが消えるのであろうと思う。
泰西《たいせい》の諸国にて、その公園に群《むらが》る雀は、パンに馴れて、人の掌《てのひら》にも帽子にも遊ぶと聞く。
何故《なぜ》に、わが背戸《せど》の雀は、見馴れない花の色をさえ恐るるのであろう。実《げ》に花なればこそ、些《ちっ》とでも変った人間の顔には、渠《かれ》らは大《おおい》なる用心をしなければならない。不意の礫《つぶて》の戸に当る事|幾度《いくたび》ぞ。思いも寄らぬ蜜柑《みかん》の皮、梨の核《しん》の、雨落《あまおち》、鉢前《はちまえ》に飛ぶのは数々《しばしば》である。
牛乳屋《ちちや》が露地へ入れば驚き、酒屋の小僧が「今日《こんち》は」を叫べば逃げ、大工が来たと見ればすくみ、屋根屋が来ればひそみ、畳屋《たたみや》が来ても寄りつかない。
いつかは、何かの新聞で、東海道の何某《なにがし》は雀うちの老手である。並木づたいに御油《ごゆ》から赤坂《あかさか》まで行《ゆ》く間に、雀の獲《え》もの約一千を下らないと言うのを見て戦慄《せんりつ》した。
空気銃を取って、日曜の朝、ここの露地口に立つ、狩猟服の若い紳士たちは、失礼ながら、犬ころしに見える。
去年の暮にも、隣家《りんか》の少年が空気銃を求め得て高く捧げて歩行《ある》いた。隣家の少年では防ぎがたい。おつかいものは、ただ煎餅《せんべい》の袋だけれども、雀のために、うちの小母《おば》さんが折入《おりい》って頼んだ。
親たちが笑って、
「お宅の雀を狙《ねら》えば、銃を没収すると言う約条《やくじょう》ずみです。」
かつて、北越、倶利伽羅《くりから》を汽車で通った時、峠の駅の屋根に、車のとどろくにも驚かず、雀の日光に浴しつつ、屋根を自在に、樋《とい》の宿に出入《ではい》りするのを見て、谷に咲《さき》残《のこ》った撫子《なでしこ》にも、火牛《かぎゅう》の修羅《しゅら》の巷《ちまた》を忘れた。――古戦場を忘れたのが可《い》いのではない。忘れさせたのが雀なのである。
モウパッサンが普仏《ふふつ》戦争を題材にした一篇の読みだしは、「巴里《パリイ》は包囲されて飢えつつ悶《もだ》えている。屋根の上に雀も少くなり、下水の埃《ごみ》も少くなった。」と言うのではなかったか。
雪の時は――見馴れぬ花の、それとは違って、天地を包む雪であるから、もしこれに恐れたとなると、雀のためには、大地震以上の天変である。東京のは早く消えるから可《い》いものの、五日十日積るのにはどうするだろう。半歳《はんさい》雪に埋《う》もるる国もある。
或時《あるとき》も、また雪のために一日|形《かたち》を見せないから、……真個《ほんとう》の事だが案じていると、次の朝の事である。ツィ――と寂しそうに鳴いて、目白鳥《めじろ》が唯《ただ》一羽、雪を被《かつ》いで、紅《くれない》に咲いた一輪、寒椿《かんつばき》の花に来て、ちらちらと羽も尾も白くしながら枝を潜《くぐ》った。
炬燵《こたつ》から見ていると、しばらくすると、雀が一羽、パッと来て、おなじ枝に、花の上下《うえした》を、一所《いっしょ》に廻った。続いて三羽五羽、一斉《いっとき》に皆来た。御飯《おまんま》はすぐ嘴《くちばし》の下にある。パッパ、チイチイ諸《もろ》きおいに歓喜の声を上げて、踊りながら、飛びながら、啄《ついば》むと、今度は目白鳥が中へ交《まじ》った。雀同志は、突合《つつきあ》って、先を争って狂っても、その目白鳥にはおとなしく優しかった。そして目白鳥は、欲しそうに、不思議そうに、雀の飯《いい》を視《なが》めていた。
私は何故《なぜ》か涙ぐんだ。
優しい目白鳥は、花の蜜に恵まれよう。――親のない雀は、うつくしく愛らしい小鳥に、教えられ、導かれて、雪の不安を忘れたのである。
それにつけても、親雀は何処《どこ》へ行《ゆ》く。――
――去年七月の末であった。……余り暑いので、愚《ぐ》に返って、こうどうも、おお暑いでめげては不可《いけな》い。小児《こども》の時は、日盛《ひざかり》に蜻蛉《とんぼ》を釣ったと、炎天に打《ぶ》つかる気で、そのまま日盛《ひざかり》を散歩した。
その気のついでに、……何となく、そこいら屋敷町の垣根を探して(ごんごんごま)が見たかったのである。この名からして小児《こども》で可《い》い。――私は大好きだ。スズメノエンドウ、スズメウリ、スズメノヒエ、姫百合《ひめゆり》、姫萩《ひめはぎ》、姫紫苑《ひめしおん》、姫菊《ひめぎく》の※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ろう》たけた称《となえ》に対して、スズメの名のつく一列の雑草の中に、このごんごんごまを、私はひそかに「スズメの蝋燭《ろうそく》」と称して、内々|贔屓《ひいき》でいる。
分けて、盂蘭盆《うらぼん》のその月は、墓詣《はかもうで》の田舎道、寺つづきの草垣に、線香を片手に、このスズメの蝋燭、ごんごんごまを摘んだ思出の可懐《なつかし》さがある。
しかもそのくせ、卑怯《ひきょう》にも片陰《かたかげ》を拾い拾い小さな社《やしろ》の境内《けいだい》だの、心当《こころあたり》の、邸《やしき》の垣根を覗《のぞ》いたが、前年の生垣も煉瓦にかわったのが多い。――清水谷《しみずだに》の奥まで掃除が届く。――梅雨《つゆ》の頃は、闇黒《くらがり》に月の影がさしたほど、あっちこっちに目に着いた紫陽花《あじさい》も、この二、三年こっちもう少い。――荷車のあとには芽ぐんでも、自動車の轍《わだち》の下には生えまいから、いまは車前草《おんばこ》さえ直ぐには見ようたって間《ま》に合わない。
で、何処《どこ》でも、あの、珊瑚《さんご》を木乃伊《みいら》にしたような、ごんごんごまは見当らなかった。――ないものねだりで、なお欲《ほし》い、歩行
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