じ時に、同じ祈《いのり》を掛けやはる。……
 蛇も二筋落合うた。
 案の定、その場から、思いが叶《かの》うた、お二人さん。
 あすこのな、蛇屋に蛇は多けれど、貴方がたのこの二条《ふたすじ》ほど、験《げん》のあったは外にはないやろ。私かて、親はなし、稚《ちいさ》い時から勤《つとめ》をした、辛い事、悲しい事、口惜《くや》しい事、恋しい事、」
 と懐手のまま、目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、
「死にたいほどの事もある。……何々の思《おもい》が遂げたいよって、貴方《あんた》二人に類似《あやか》りたさに、同じ蛇を預った。今少し、身に附けていたいよって、こうしておいておくれやす。
 貴方、結ぶの神やないか。
 けどな、思い詰めては、自分の手でも持ったもの。一度、願《ねがい》が叶うた上では、人の袂にあるのさえ、美津さん、婦《おんな》は、蛇は、可厭《いや》らしな!
 よう貴女《あんた》、これを持つまで、多一さんを思やはった、婦《おんな》同士や、察せいでか。――袂にあったら、粗相して落すとならん。憂慮《きづかい》なやろさかい、私がこうするよって、大事ないえ。」
 と袖の中にて手を引けば、内懐《うちぶところ》の乳《ち》のあたり、浪打つように膨らみたり。
「婦《おんな》の急所で圧《おさ》えておく。……乳|銜《くわ》えられて、私が死のうと、盞の影も覗《のぞ》かせぬ。さ、美津さん、まず、お前に。」
 お珊は長柄をちょうと取る。
 美津は盞を震えて受けた。
 手の震えで滴々《たらたら》と露散《たまち》るごとき酒の雫《しずく》、蛇《くちなわ》の色ならずや、酌参るお珊の手を掛けて燈《ともしび》の影ながら、青白き艶《つや》が映ったのである。
 はたはたとお珊が手を拍《たた》くと、かねて心得さしてあったろう。廊下の障子の開く音して、すらすらと足袋摺《たびずれ》に、一間を過ぎて、また静《しずか》にこの襖《ふすま》を開けて、
「お召し、」
 とそこへ手を支《つ》いた、裾《すそ》模様の振袖は、島田の丈長《たけなが》、舞妓《まいこ》にあらず、家《うち》から斉眉《かしず》いて来ている奴《やっこ》であった。
「可《よ》いかい。」
「はい。」と言いさま、はらはらと小走りに、もとの廊下へ一度出て、その中庭を角にした、向うの襖をすらりと開けると、閨《ねや》紅《くれない》に、翠《みどり》の夜具。枕頭《まくらもと》にまた一人、同じ姿の奴が居る。
 お珊が黙って、此方《こなた》から差覗《さしのぞ》いて立ったのは、竜田姫《たつたひめ》の彳《たたず》んで、霜葉《もみじ》の錦の谿《たに》深く、夕映えたるを望める光景《ありさま》。居たのが立って、入ったのと、奴二人の、同じ八尺|対扮装《ついでたち》。紫の袖、白襟が、紫の袖、白襟が。
 袖口燃ゆる緋縮緬《ひぢりめん》、ひらりと折目に手を掛けて、きりきりと左右へ廻して、枕を蔽《おお》う六枚|屏風《びょうぶ》、表に描《か》いたも、錦葉《にしきば》なるべし、裏に白銀《しろがね》の水が走る。
「あちらへ。」
 お珊が二人を導いた時、とかくして座を立った、美津が狩衣の袴の裾は、膝を露顕《あらわ》な素足なるに、恐ろしい深山路《みやまじ》の霜を踏んで、あやしき神の犠牲《にえ》に行《ゆ》く……なぜか畳は辿々《たどたど》しく、ものあわれに見えたのである。奴二人は姿を隠した。

       二十五

 屏風を隔てて、この紅《くれない》の袴した媒人《なこうど》は、花やかに笑ったのである。
 一人を褥《しとね》の上に据えて、お珊がやがて、一人を、そのあとから閨《ねや》へ送ると、前のが、屏風の片端から、烏帽子のなりで、するりと抜ける。
 下髪《さげがみ》であとを追って、手を取って、枕頭《まくらもと》から送込むと、そこに据えたのが、すっと立って、裾から屏風を抜けて出る。トすぐに続いて、縋《すが》って抱くばかりにして、送込むと、おさえておいたのが、はらはら出る。
 素袍《すおう》、狩衣、唐衣、綾《あや》と錦の影を交えて、風ある状《さま》に、裾袂、追いつ追われつ、ひらひらと立舞う風情に閨を繞《めぐ》った。巫山《ふざん》の雲に桟《かけはし》懸《かか》れば、名もなき恋の淵《ふち》あらむ。左、橘《たちばな》、右、桜、衣《きぬ》の模様の色香を浮かして、水は巴《ともえ》に渦を巻く。
「おほほほほ、」
 呼吸《いき》も絶ゆげな、なえたような美津の背《せな》を、屏風の外で抱えた時、お珊は、その花やかな笑《わらい》を聞かしたのである。
 好《よ》き機会《しお》とや思いけん。
 廊下に跫音《あしおと》、ばたばたと早く刻んで、羽織袴の、宝の市の世話人一人、真先《まっさき》に、すっすっすっと来る、当浪屋の女房《かみ》さん、仲居まじりに、奴が続いて、迎いの人数《にんず》。
 口々に、
「御寮人様。」
「お珊様。」
「女紅場では、屋台の組も乗込みました。」
「貴女ばかりを待兼ねてござります。」
 襖の中から、
「車は?」
 と静《しずか》に云う。
「綱も申し着けました、」と世話人が答えたのである。
「待たせはせぬえ、大事な処へ、何や!」
 と声が凜《りん》とした。
 黙って、すたすた、一同は廊下を引く。
 とばかりあって、襖をあけた時、今度は美津が閨に隠れて、枕も、袖も見えなんだ。
 多一が屏風の外に居て、床の柱の、釣籠《つりかご》の、白玉椿《しらたまつばき》の葉の艶より、ぼんやりとした素袍で立った。
 襖がくれの半身で、廊下の後前《あとさき》を熟《じっ》と視《み》て、人の影もなかった途端に、振返ると、引寄せた。お珊の腕《かいな》が頸《うなじ》にかかると、倒れるように、ハタと膝を支《つ》いた、多一の唇に、俯向《うつむ》きざまに、衝《つ》と。――
 丸官の座敷を、表に視《なが》めて、左右に開いたに立寄りもせず、階子段《はしごだん》を颯《さっ》と下りる、とたちまち門《かど》へ姿が出た。
 軒を離れて、俥《くるま》に乗る時、欄干に立った、丸官、と顔を上下《うえした》に合すや否や、矢を射るような二人曳《ににんびき》。あれよ、あれよと云うばかり、廓《くるわ》の灯《ともし》に影を散らした、群集《ぐんじゅ》はぱっと道を分けた。
 宝の市の見物は、これよりして早や宗右衛門町の両側に、人垣を築いて見送ったのである。
 その年十月十九日、宝の市の最後の夜《よ》は、稚児《ちご》、市女《いちめ》、順々に、後圧《あとおさ》えの消防夫《しごとし》が、篝火《かがりび》赤き女紅場の庭を離れる時から、屋台の囃子、姫たちなど、傍目《わきめ》も触《ふ》らぬ婦《おんな》たちは、さもないが、真先《まっさき》に神輿《みこし》を荷《にの》うた白丁《はくちょう》はじめ、立傘《たてがさ》、市女笠《いちめがさ》持ちの人足など、頻《しき》りに気にしては空を視《なが》めた。
 通り筋の、屋根に、廂《ひさし》に、しばしば鴉《からす》が鳴いたのである。
 次第に数が増すと、まざまざと、薄月《うすづき》の曇った空に、嘴《くちばし》も翼も見えて、やがては、練《ねり》ものの上を飛交わす。
 列が道頓堀に小休みをした時は、立並ぶ芝居の中の見物さえ、頻りに鴉鳴《からすなき》を聞いた、と後で云う。……

       二十六

「宗八《そっぱ》、宗八《そっぱ》。」
 浪屋の表座敷、床の間の正面に、丸田官蔵、この成金、何の好みか、例なる詰襟《つめえり》の紺の洋服、高胡坐《たかあぐら》、座にある幇間《ほうかん》を大音に呼ぶ。
「はッ、」
「き様、逢阪のあんころ餅へ、使者に、後押《あとおし》で駈着《かけつ》けて、今帰った処じゃな。」
「御意にござります、へい。」
「何か、直ぐに連れてここへ来る手筈《てはず》じゃった、猿は、留木《とまりぎ》から落ちて縁の下へ半分|身体《からだ》を突込《つッこ》んで、斃死《くたばっ》ていたげに云う……嘘でないな。」
「実説正銘にござりまして、へい。餅屋|店《みせ》では、爺《じじい》の伝五めに、今夜、貴方様《あなたさま》、お珊の方様、」
 と額を敲《たた》いて、
「すなわち、御寮人様、市へお練出しのお供を、お好《このみ》とあって承ります。……さてまた、名代娘のお美津さんは、御夫婦これに――ええ、すなわち逢阪の辻店は、戸を寄せ掛けた明巣《あきす》にござります。
 処へ宗八、丸官閣下お使者といたし、車を一散に乗着けまして、隣家の豆屋の女房立会い、戸を押開いて見ましたれば、いや、はや、何とも悪食《あくじき》がないたいた様子、お望みの猿は血を吐いて斃《お》ち果てておりましたに毛頭相違ござりません。」
「うむ。」
 と苦切《にがりき》って頷《うなず》きながら、
「多一、あれを聞いたかい、その通りや。」と、ぐっと見下ろす。
 一座の末に、うら若い新夫婦は、平伏《ひれふ》していたのである。
 これより先、余り御無体、お待ちや、などと、慌《あわただ》しい婦《おんな》まじりの声の中に、丸官の形、猛然と躍上《おどりあが》って、廊下を鳴らして魔のごとく、二人の閏《ねや》へ押寄せた。
 襖をどんと突明けると、床の間の白玉椿、怪しき明星のごとき別天地に、こは思いも掛けず、二人の姿は、綾の帳《とばり》にも蔽《おお》われず、指貫《さしぬき》やなど、烏帽子の紐《ひも》も解かないで、屏風《びょうぶ》の外に、美津は多一の膝に俯《ふ》し、多一は美津の背《せな》に額を附けて、五人囃子の雛《ひな》二個《ふたつ》、袖を合せたようであった。
 揃って、胸先がキヤキヤと痛むと云う。
「酒|啖《くら》え、意気地なし!」
 で、有無を言わせず、表二階へ引出された。
 欄干の緋《ひ》の毛氈《もうせん》は似たりしが、今夜は額を破るのでない。
「練ものを待つ内、退屈じゃ。多一やい、皆への馳走《ちそう》に猿を舞わいて見せてくれ。恥辱《はじ》ではない。汝《わり》ゃ、丁稚《でっち》から飛上って、今夜から、大阪の旦那の一|人《にん》。旧《むかし》を忘れぬためという……取立てた主人の訓戒《いましめ》と思え。
 呼べ、と言えば、婦《おんな》どもが愚図《ぐず》々々|吐《ぬか》す。新枕《にいまくら》は長鳴鶏《ながなきどり》の夜《よ》があけるまでは待かねる。
 主従は三世の中じゃ、遠慮なしに閨へ推参に及んだ、悪く思うまいな。汝《わり》ゃ、天王寺境内に太鼓たたいていて、ちょこんと猿|負背《おんぶ》で、小屋へ帰りがけに、太夫どのに餅買うて、汝《われ》も食いおった、行帰りから、その娘は馴染《なじみ》じゃげな。足洗うて、丁稚になるとて、右の猿は餅屋へ預けて、現に猿ヶ餅と云うこと、ここに居る婦《おんな》どもが知った中。
 田畝《たんぼ》の鼠が、蝙蝠《こうもり》になった、その素袍《すおう》ひらつかいたかて、今更隠すには当らぬやて。
 かえって卑怯《ひきょう》じゃ。
 遣《や》ってくれい。
 が、聞く通り、ちゃと早手廻しに使者を立てた、宗八が帰っての口上、あの通り。
 残念な、猿太夫は斃《お》ちたとあるわい。
 唄なと歌え、形なと見せおれ。
 何|吐《ぬか》す、」
 と、とりなしを云った二三人の年増の芸妓《げいこ》を睨廻《ねめまわ》いて、
「やい、多一!」

       二十七

「致します、致します。」
 と呼吸《いき》を切って、
「皆さん御免なさりまし。」
 多一はすっと衣紋《えもん》を扱《しご》いた。
 浅葱《あさぎ》の素袍、侍烏帽子が、丸官と向う正面。芸妓、舞妓は左右に開く。
 その時、膝に手を支《つ》いて、
「……ま猿めでとうのう仕《つかまつ》る、踊るが手許《てもと》立廻り、肩に小腰をゆすり合せ、静やかに舞うたりけり……」
 声を張った、扇拍子、畳を軽く拍《う》ちながら、「筑紫下りの西国船、艫《とも》に八|挺《ちょう》、舳《へ》に八挺、十六挺の櫓櫂《ろかい》を立てて……」
「やんややんや。ああ惜《おし》い、太夫が居《お》らぬ。千代鶴やい、猿になれ。一若、立たぬか、立たぬか、此奴《こいつ》。ええ! 婆《ばば》どもでまけてやろう、古猿《こけざる》になれ、此奴等《こいつら》……立たぬな、
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