うな我儘をされるんです。身体《からだ》を売って栄耀《えよう》栄華さ、それが浅ましいと云うんじゃないか。」
「ですがね、」
 と男衆は、雪駄《せった》ちゃらちゃら、で、日南《ひなた》の横顔、小首を捻《ひね》って、
「我儘も品《しな》によりまさ。金剛石《ダイヤモンド》や黄金鎖《きんぐさり》なら妾《めかけ》の身じゃ、我儘という申立てにもなりませんがね。
 自動車のプウプウも血の道に触《さわ》るか何かで、ある時なんざ、奴《やっこ》の日傘で、青葉時に、それ女大名の信長公でさ。鳴かずんば鳴かして見しょう、日中《ひなか》に時鳥《ほととぎす》を聞くんだ、という触込《ふれこ》みで、天王寺へ練込みましたさ、貴方。
 幇間《たいこもち》が先へ廻って、あの五重の塔の天辺《てっぺん》へ上って、わなわな震えながら雲雀笛《ひばりぶえ》をピイ、はどうです。
 そんな我儘より、もっと偉いのは、しかもその日だって云うんですがね。
 御堂《みどう》横から蓮《はす》の池へ廻る広場《ひろっぱ》、大銀杏《おおいちょう》の根方に筵《むしろ》を敷いて、すととん、すととん、と太鼓を敲《たた》いて、猿を踊らしていた小僧を、御寮人お珊の方、扇子を半開《はんびらき》か何かで、こう反身で見ると、(可愛らしいぼんちやな。)で、俳優《やくしゃ》の誰とかに肖《に》てるッて御意の上……(私は人の妾やよって、えらい相違もないやろけれど、畜生に世話になるより、ちっとは優《まし》や。旦那に頼んで出世させて上げる、来なはれ、)と直ぐに貴方。
 その場から連れて戻って、否応《いやおう》なしに、旦《だん》を説付《ときつ》けて、たちまち大店《おおだな》の手代分。大道稼ぎの猿廻しを、縞《しま》もの揃いにきちんと取立てたなんぞはいかがで。私は膝を突《つッ》つく腕に、ちっとは実があると思うんですが。」
 初阪はこれを聞くと、様子が違って、
「さあ、事だよ! すると、昨夜《ゆうべ》のはその猿廻しだ。」

       十

「いや、黒服の狂犬《やまいぬ》は、まだ妾《めかけ》の膝枕で、ふんぞり返って高鼾《たかいびき》。それさえ見てはいられないのに、……その手代に違いない。……当時の久松といったのが、前垂《まえだれ》がけで、何か急用と見えて、逢いに来てからの狼藉《ろうぜき》が、まったく目に余ったんだ。
 悪口《あっこう》吐《つ》くのに、(猿曳《さるひき》め、)と云ったが、それで分った。けずり廻しとか、摺古木《すりこぎ》とか、獣《けだもの》めとかいう事だろう。大阪では(猿曳)と怒鳴るのかと思ったが。じゃ、そのお珊の方が取立てた、銀杏《いちょう》の下の芸人に疑いない。
 となると!……あの、婦《おんな》はなお済まないぜ。
 自分の世話をした若手代が、目の前で、額を煙管《きせる》で打《ぶ》たれるのを、もじもじと見ていたろうじゃないか。」
「煙管で、へい?……」
「ああ、垂々《たらたら》と血が出た。それをどうにもし得ないんだ。じゃ、天王寺の境内で、猿曳を拾上げたって何の功にもなりゃしない。
 まあね、……旦那は寝たろう。取巻きの芸妓《げいこ》一統、互《たがい》にほっとしたらしい。が、私に言わせりゃその徒《てあい》だって働きがないじゃないか。何のための取巻なんです。ここは腕があると、取仕切って、御寮人に楽をさせる処さね。その柔かい膝に、友染も露出《あらわ》になるまで、石頭の拷問《ごうもん》に掛けて、芝居で泣いていては済みそうもないんだが。
 可《よ》しさ、それも。
 と、そこへ、酒|肴《さかな》、水菓子を添えて運んで来た。するとね、円髷《まげ》に結《い》った仲居らしいのが、世話をして、御連中、いずれもお一ツずつは、いい気なもんです。
 さすがに、御寮人は、頭《かぶり》をちょっと振って受けなかった。
 それにも構わず……(さあ一ツ。)か何かで、美濃《みの》から近江《おうみ》、こちらの桟敷に溢《あふ》れてる大きなお臀《しり》を、隣から手を伸《のば》して猪口《ちょく》の縁《ふち》でコトコトと音信《おとづ》れると、片手で簪《かんざし》を撮《つま》んで、ごしごしと鬢《びん》の毛を突掻《つッか》き突掻き、ぐしゃりと挫《ひしゃ》げたように仕切に凭《もた》れて、乗出して舞台を見い見い、片手を背後《うしろ》へ伸ばして、猪口を引傾《ひっかたむ》けたまま受ける、注《つ》ぐ、それ、溢《こぼ》す。(わややな、)と云う。
 そいつが、私の胸の前で、手と手を千鳥がけに始《はじま》ったんだから驚くだろう。御免も失礼も、会釈一つするんじゃない。
 しかし憎くはなかったぜ。君の親方が舞台に出ていて、皆《みんな》が夢中で遣る事なんだ。
 憎いのは一人|狂犬《やまいぬ》さ。
 やっと静まったと思う間もない。
(酒か、)と喚《わめ》くと、むくむくと起《おき》かかって、引担《ひっかつ》ぐような肱《ひじ》の上へ、妾の膝で頭を載せた。
(注げ! 馬鹿めが、)と猪口を叱って、茶碗で、苦い顔して、がぶがぶと掻喫《かっくら》う処へ、……色の白い、ちと纎弱《ひよわ》い、と云った柄さ。中脊の若いのが、縞《しま》の羽織で、廊下をちょこちょこと来て、ト手をちゃんと支《つ》いた。
(何や、)と一ツ突慳貪《つッけんどん》に云って睨《にら》みつけたが、低声《こごえ》で、若いのが何か口上を云うのを、フーフーと鼻で呼吸《いき》をしながら、目を瞑《ねむ》って、真仰向けに聞いたもんです。
(旦那の、)旦那と云うんだ。(旦那のここに居るのがどないして知れた、何や、)とまた怒鳴って、(判然《はっきり》ぬかしおれ。何や? 番頭が……ふ、ふ、ふ、ふん、)と嘲《あざ》けるような、あの、凄《すご》い笑顔《わらいがお》。やがて、苦々しそうに、そして切なそうに、眉を顰《しか》めて、唇を引結《ひんむす》ぶと、グウグウとまた鼾《いびき》を掻出す。
 いや、しばらく起きない。
 若手代は、膝へ手を支《つ》いたなり、中腰でね、こう困ったらしく俯向《うつむ》いたッきり。女連は、芝居に身が入《い》って言《ことば》も掛けず。
 その中《うち》に幕が閉《しま》った。
 満場わッと鳴って、ぎっしり詰《つま》ったのが、真黒《まっくろ》に両方の廊下へ溢れる。
 しばらくして、大分|鎮《しず》まった時だった。幕あきに間もなさそうで、急足《いそぎあし》になる往来《ゆきき》の中を、また竹の扉《ひらき》からひょいと出たのは、娘を世話した男衆でね。手に弁当を一つ持っていました。
(はいよ、お弁当、)と云って、娘に差出して、渡そうとしたっけが……」

       十一

「そこに私も居る、……知らぬ間に肥満女《ふとっちょ》の込入ったのと、振向いた娘の顔とを等分に見較べて(和女《あんた》、極《きまり》が悪いやろ。そしたら私《わし》が方へ来て食《あが》りなはるか。ああ、そうしなはれ、)と莞爾々々《にこにこ》笑う、気の可《い》い男さ。(太《えら》いお邪魔にござります。)と、屈《かが》んで私に挨拶して、一人で合点して弁当を持ったまま、ずいと引退《ひきさが》った。
 娘がね、仕切に手を支《つ》くと、向直って、抜いた花簪《はなかんざし》を載せている、涙に濡れた、細《ほっそ》り畳んだ手拭《てぬぐい》を置いた、友染の前垂れの膝を浮かして、ちょっと考えるようにしたっけ。その手拭を軽く持って、上気した襟のあたりを二つ三つ煽《あお》ぎながら、可愛い足袋で、腰を据えて、すっと出て行く。……
 私は煙草《たばこ》がなくなったから、背後《うしろ》の運動場《うんどうば》へ買いに出た。
 余り見かねたから、背後《うしろ》向きになっていたがね、出しなに見ると、狂犬《やまいぬ》はそのまま膝枕で、例の鼾で、若い手代はどこへ立ったか居なかった。
 西の運動場には、店が一つしかない。もう幕が開く処、見物は残らず場所へ坐直《すわりなお》している、ここらは大阪は行儀が可いよ。それに、大人で、身の入《い》った芝居ほど、運動場は寂しいもんです。
 風は冷《つめた》し、呼吸《いき》ぬきかたがた、買った敷島をそこで吸附けて、喫《ふ》かしながら、堅い薄縁《うすべり》の板の上を、足袋の裏|冷々《ひやひや》と、快《い》い心持で辷《すべ》らして、懐手で、一人で桟敷へ帰って来ると、斜違《はすかい》に薄暗い便所が見えます。
 そのね、手水鉢《ちょうずばち》の前に、大《おおき》な影法師見るように、脚榻《きゃたつ》に腰を掛けて、綿の厚い寝《ね》ン寝子《ねこ》で踞《うずくま》ってるのが、何だっけ、君が云った、その伝五郎。」
「ぼけましたよ、ええ、裟婆気《しゃばっけ》な駕籠屋でした。」
「まったくだね、股引《ももひき》の裾をぐい、と端折《はしょ》った処は豪勢だが、下腹がこけて、どんつくの圧《おし》に打たれて、猫背にへたへたと滅入込《めいりこ》んで、臍《へそ》から頤《おとがい》が生えたようです。
 十四五枚も、堆《うずたか》く懐に畳んで持った手拭は、汚れてはおらないが、その風だから手拭《てふ》きに出してくれるのが、鼻紙の配分をするようさね、潰《つぶ》れた古無尽《ふるむじん》の帳面の亡者にそっくり。
 一度、前幕のはじめに行って、手を洗った時、そう思った。
 小さな銀貨を一個《ひとつ》握《にぎ》らせると、両手で、頭の上へ押頂いて、(沢山に難有《ありがと》、難有、難有、)と懐中《ふところ》へ頤《あご》を突込《つッこ》んで礼をするのが、何となく、ものの可哀《あわれ》が身に染みた。
 その爺さんがね、見ると……その時、角兵衛という風で、頭を動かす……坐睡《いねむ》りか、と思うと悶《もが》いたんだ。仰向《あおむ》けに反《そ》って、両手の握拳《にぎりこぶし》で、肩を敲《たた》こうとするが、ひッつるばかりで手が動かぬ。
 うん、と云う。
 や、老人《としより》の早打肩。危いと思った時、幕あきの鳴ものが、チャンと入って、下座《げざ》の三味線《さみせん》が、ト手首を口へ取って、湿《しめり》をくれたのが、ちらりと見える。
 どこか、もの蔭から、はらはらと走って出たのはその娘で。
 突然《いきなり》、爺様《じいさん》の背中へ掴《つか》まると、手水鉢の傍《わき》に、南天の実の撓々《たわたわ》と、霜に伏さった冷い緋鹿子《ひがのこ》、真白《まっしろ》な小腕《こがいな》で、どんつくの肩をたたくじゃないか。
 青苔《あおごけ》の緑青《ろくしょう》がぶくぶく禿《は》げた、湿った貼《のり》の香のぷんとする、山の書割の立て掛けてある暗い処へ凭懸《よっかか》って、ああ、さすがにここも都だ、としきりに可懐《なつかし》く熟《じっ》と視《み》た。
 そこへ、手水鉢へ来て、手を洗ったのが、若い手代――君が云う、その美少年の猿廻《さるまわし》。」

       十二

「急いで手拭を懐中《ふところ》へ突込むと、若手代はそこいらしきりに前後《あとさき》を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》した、……私は書割の山の陰に潜《ひそ》んでいたろう。
 誰も居ないと見定めると、直ぐに、娘をわきへ推遣《おしや》って、手代が自分で、爺様《じいさん》の肩を敲《たた》き出した。
 二人はいい中で居るらしい、一目見て様子で知れる、」
「ほう、」
 と唐突《だしぬけ》に声を揚げて、男衆は小溝を一つ向うへ跳んだ。初阪は小さな石橋を渡った時。
「私は旅行《たび》をした効《かい》があると思った。
 声は届かないけれども、趣でよく分る。……両手を働かせながら、若手代は、顔で教えて、ここは可い、自分が介抱するから、あっちへ行って芝居を見るように、と勧めるんです。娘が肯《き》かないのを、優しく叱るらしく見えると、あいあいと頷《うなず》く風でね、老年《としより》を勦《いたわ》る男の深切を、嬉しそうに、二三度見返りながら、娘はいそいそと桟敷へ帰る。その竹の扉《ひらき》を出る時、ちょっと襟を合せましたよ。
 私も帰った。
 間もなく、何、さしたる事でもなかったろう。すぐに肩癖《けんぺき》は解《ほぐ》れた、と見えて、若い人は、隣の桟敷際へ戻って来て、廊下へ支膝《つきひざ》、以前《
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