すかね、黒焼屋の瓶《かめ》が空虚《から》になった事があるって言いますから。慾は可恐《おそろ》しい。悪くすると、ぶら提げてるのに打撞《ぶつか》らないとも限りませんよ。」
「それ! だから云わない事じゃない。」
 内端《うちわ》ながら二ツ三ツ杖《ステッキ》を掉《ふ》って、
「それでなくッてさえ、こう見渡した大阪の町は、通《とおり》も路地も、どの家も、かッと陽気に明《あかる》い中に、どこか一個所、陰気な暗い処が潜《ひそ》んで、礼儀作法も、由緒因縁も、先祖の位牌《いはい》も、色も恋も罪も報《むくい》も、三世相一冊と、今の蛇一疋ずつは、主《ぬし》になって隠れていそうな気がする処へ、蛇瓶の話を昨日《きのう》聞いて、まざまざと爪立足《つまだちあし》で、黒焼屋の前を通ってからというものは、うっかりすると、新造《しんぞ》も年増も、何か下掻《したがい》の褄《つま》あたりに、一条《ひとすじ》心得ていそうでならない。
 昨夜《ゆうべ》も、芝居で……」
 男衆は思出したように、如才なく一ツ手を拍《う》った。
「時に、どうしたと云うんですえ、お珊さんが、その旦那と?……」
「まあ、お聞き――隣合った私の桟敷に、髪
前へ 次へ
全104ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング