煙突の煙でない処は残らず屋根ばかりの、大阪を一目に見渡す、高津の宮の高台から……湯島の女坂に似た石の段壇を下りて、それから黒焼屋の前を通った時は、軒から真黒《まっくろ》な氷柱《つらら》が下ってるように見えて冷《ひや》りとしたよ。一時《いっとき》に寒くなって――たださえ沸上《にえあが》り湧立《わきた》ってる大阪が、あのまた境内に、おでん屋、てんぷら屋、煎豆屋《いりまめや》、とかっかっぐらぐらと、煮立て、蒸立て、焼立てて、それが天火に曝《さら》されているんだからね――びっしょり汗になったのが、お庇《かげ》ですっかり冷くなった。但し余り結構なお庇ではないのさ。
 大阪へ来てから、お天気続きだし、夜は万燈の中に居る気持だし、何しろ暗いと思ったのは、町を歩行《ある》く時でも、寝る時でも、黒焼屋の前を通った時と、今しがた城の雲を見たばかりさ。」
 男衆は偶《ふ》と言《ことば》を挟んで、
「何を御覧なさる。」
「いいえね、今擦違った、それ、」
 とちょっと振向きながら、
「それ、あの、忠兵衛の養母《おふくろ》といった隠居さんが、紙袋《かんぶくろ》を提げているから、」
「串戯《じょうだん》じゃありませ
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