だけ畳を三畳ほどに、賽銭《さいせん》の箱が小さく据《すわ》って、花瓶《はながめ》に雪を装《も》った一束の卯《う》の花が露を含んで清々《すがすが》しい。根じめともない、三本ほどのチュリップも、蓮華《れんげ》の水を抽《ぬき》んでた風情があった。
勿体ないが、その卯の花の房々したのが、おのずから押になって、御廚子の片扉を支えたばかり、片扉は、鎧《よろい》の袖の断《たた》れたように摺《ず》れ下っていたのだから。
「は、」
ただ伏拝むと、斜《ななめ》に差覗《さしのぞ》かせたまうお姿は、御丈《おんたけ》八寸、雪なす卯の花に袖のひだが靡《なび》く。白木|一彫《ひとほり》、群青の御髪《みぐし》にして、一点の朱の唇、打微笑《うちほほえ》みつつ、爺を、銑吉を、見そなわす。
「南無普門品第二十五。」
「失礼だけれど、准胝観音《じゅんでいかんのん》でいらっしゃるね。」
「はあい、そうでがすべ。和尚どのが、覚えにくい名を称《とな》えさっしゃる。南無普門品第二十五。」
よし、ただ、南無とばかり称え申せ、ここにおわするは、除災、延命《えんみょう》、求児《ぐうじ》の誓願、擁護愛愍《ようごあいみん》の菩薩《ぼさつ》である。
「お爺さん、ああ、それに、生意気をいうようだけれど、これは素晴らしい名作です。私は知らないが、友達に大分出来る彫刻家があるので、門前の小僧だ。少し分る……それに、よっぽど時代が古い。」
「和尚に聞かして下っせえ、どないにか喜びますべい、もっとも前藩主《せんとのさま》が、石州からお守りしてござったとは聞いとりますがの。」
と及腰《およびごし》に覗《のぞ》いていた。
お蝋燭《ろうそく》を、というと、爺が庫裡へ調達に急いだ――ここで濫《みだり》に火あつかいをさせない注意はもっともな事である――
「たしかに宝物。」
憚《はばか》り多いが、霊容の、今度は、作を見ようとして、御廚子に寄せた目に、ふと卯の花の白い奥に、ものを忍ばすようにして、供物をした、二つ折の懐紙を視《み》た。備えたのはビスケットである。これはいささか稚気を帯びた。が、にれぜん河《が》のほとり、菩提樹《ぼだいじゅ》の蔭に、釈尊にはじめて捧げたものは何であろう。菩薩の壇にビスケットも、あるいは臘八《ろうはち》の粥《かゆ》に増《まさ》ろうも知れない。しかしこれを供えた白い手首は、野暮なレエスから出たらしい。勿論だ。意気なばかりが女でない。同時に芬《ぷん》と、媚《なまめ》かしい白粉《おしろい》の薫《かおり》がした。
爺が居て気がつかなかったか。木魚を置いたわきに、三宝が据って、上に、ここがもし閻魔堂《えんまどう》だと、女人を解いた生血と膩肉《あぶらみ》に紛《まが》うであろう、生々《なまなま》と、滑かな、紅白の巻いた絹。
「ああ、誓願のその一、求児――子育《こそだて》、子安の観世音として、ここに婦人の参詣がある。」
世に、参り合わせた時の順に、白は男、紅《あか》は女の子を授けらるる……と信仰する、観世音のたまう腹帯である。
その三宝の端に、薄色の、折目の細い、女扇が、忘れたように載っていた。
正面の格子も閉され、人は誰も居ない……そっと取ると、骨が水晶のように手に冷《ひや》りとした。卯の花の影が、ちらちらと砂子を散らして、絵も模様も目には留まらぬさきに――せい……せい、と書いた女文字。
今度は、覚えず瞼《まぶた》が染まった。
銑吉には、何を秘《かく》そう、おなじ名の恋人があったのである。
五
作者は、小県銑吉の話すまま、つい釣込まれて、恋人――と受次いだが、大切な処だ。念のため断るが、銑吉には、はやく女房がある。しかり、女房があって資産がない。女房もちの銭《ぜに》なしが当世色恋の出来ない事は、昔といえども実はあまりかわりはない。
打あけて言えば、渠《かれ》はただ自分勝手に、惚《ほ》れているばかりなのである。
また、近頃の色恋は、銀座であろうが、浅草であろうが、山の手新宿のあたりであろうが、つつしみが浅く、たしなみが薄くなり、次第に面の皮が厚くなり、恥が少くなったから、惚れたというのに憚《はばか》ることだけは、まずもってないらしい。
釣の道でも(岡)と称《な》がつくと軽《かろ》んぜられる。銑吉のも、しかもその岡惚れである。その癖、夥間《なかま》で評判である。
この岡惚れの対象となって、江戸育ちだというから、海津か卵であろう、築地辺の川端で迷惑をするのがお誓さんで――実は梅水という牛屋の女中《ねえ》さん。……御新規お一人様、なまで御酒《ごしゅ》……待った、待った。そ、そんなのじゃ決してない。第一、お客に、むらさきだの、鍋下《なべした》だのと、符帳でものを食うような、そんなのも決して無い。
梅水は、以前築地一流の本懐石、江戸前の料理人が庖丁を※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]《さ》びさせない腕を研《みが》いて、吸ものの運びにも女中の裙《すそ》さばきを睨《にら》んだ割烹《かっぽう》。震災後も引続き、黒塀の奥深く、竹も樹も静まり返って客を受けたが、近代のある世態では、篝火船《かがりぶね》の白魚より、舶来の塩鰯《しおいわし》が幅をする。正月飾りに、魚河岸に三個《みッつ》よりなかったという二尺六寸の海老《えび》を、緋縅《ひおどし》の鎧《よろい》のごとく、黒松の樽に縅した一騎|駈《がけ》の商売では軍《いくさ》が危い。家の業が立ちにくい。がらりと気を替えて、こうべ肉のすき焼、ばた焼、お望み次第に客を呼んで、抱一《ほういつ》上人の夕顔を石燈籠《いしどうろう》の灯でほの見せる数寄屋《すきや》づくりも、七賢人の本床に立った、松林の大広間も、そのままで、びんちょうの火を堆《うずたか》く、ひれの膏《あぶら》を※[#「赭のつくり/火」、第3水準1−87−52]《に》る。
この梅水のお誓は、内の子、娘分であるという。来たのは十三で、震災の時は十四であった。繰返していうでもあるまい――あの炎の中を、主人の家《うち》を離れないで、勤め続けた。もっとも孤児《みなしご》同然だとのこと、都にしかるべき身内もない。そのせいか、沈んだ陰気な質《たち》ではないが、色の、抜けるほど白いのに、どこか寂しい影が映る。膚《はだ》をいえば、きめが細《こまか》く、実際、手首、指の尖《さき》まで化粧をしたように滑らかに美しい。細面で、目は、ぱっちりと、大きくないが張《はり》があって、そして眉が優しい。緊《しま》った口許《くちもと》が、莞爾《にっこり》する時ちょっとうけ口のようになって、その清い唇の左へ軽く上るのが、笑顔ながら凜《りん》とする。総てが薄手で、あり余る髪の厚ぼったく見えないのは、癖がなく、細く、なよなよとしているのである。緋《ひ》も紅も似合うものを、浅葱だの、白の手絡《てがら》だの、いつも淡泊《あっさり》した円髷《まるまげ》で、年紀《とし》は三十を一つ出た。が、二十四五の上には見えない。一度五月の節句に、催しの仮装の時、水髪の芸子島田に、青い新藁《しんわら》で、五尺の菖蒲《あやめ》の裳《もすそ》を曳《ひ》いた姿を見たものがある、と聞く。……貴殿はいい月日の下に生れたな、と言わねばならぬように思う。あるいは一度新橋からお酌で出たのが、都合で、梅水にかわったともいうが、いまにおいては審《つまびらか》でない。ただ不思議なのは、さばかりの容色《きりょう》で、その年まで、いまだ浮気、あらわに言えば、旦那があったうわさを聞かぬ。ほかは知らない、あのすなおな細い鼻と、口許がうそを言わぬ。――お誓さんは処女だろう……(しばらく)――これは小県銑吉の言うところである。
十六か七の時、ただ一度――場所は築地だ、家は懐石、人も多いに、台所から出入りの牛乳屋《ちちや》の小僧が附ぶみをした事のあるのを、最も古くから、お誓を贔屓《ひいき》の年配者、あたまのきれいに兀《は》げた粋人が知っている。梅水の主人夫婦も、座興のように話をする。ゆらの戸の歌ではなけれど、この恋の行方は分らない。が、対手《あいて》が牛乳屋の小僧だけに、天使と牧童のお伽話《とぎばなし》を聞く気がする。ただその玉章《たまずさ》は、お誓の内証《ないしょ》の針箱にいまも秘めてあるらしい。……
「……一生の願《ねがい》に、見たいものですな。」
「お見せしましょうか。」
「恐らく不老長寿の薬になる――近頃はやる、性の補強剤に効能の増《まさ》ること万々だろう。」
「そうでしょうか。」
その頬が、白く、涼しい。
「見せろよ。」
低い声の澄んだ調子で、
「ほほほ。」
と莞爾《にっこり》。
その口許の左へ軽くしまるのを見るがいい。……座敷へ持出さないことは言うまでもない。
色気の有無《ほど》が不可解である。ある種のうつくしいものは、神が惜《おし》んで人に与えない説がある。なるほどそういえば、一方円満柔和な婦人に、菩薩相《ぼさつそう》というのがある。続いて尼僧顔がないでもあるまい。それに対して、お誓の処女づくって、血の清澄明晰《せいしょうめいせき》な風情に、何となく上等の神巫《みこ》の麗女《たおやめ》の面影が立つ。
――われ知らず、銑吉のかくれた意識に、おのずから、毒虫の毒から救われた、うつくしい神巫《おみこ》の影が映るのであろう。――
おお美わしのおとめよ、と賽銭《さいせん》に、二百金、現に三百金ほどを包んで、袖に呈《てい》するものさえある。が、お誓はいつも、そのままお帳場へ持って下って、おかみさんの前で、こんなもの。すぐ、おかみさんが、つッと出て、お給仕料は、お極《きま》りだけ御勘定の中に頂いてありますから。……これでは、玉の手を握ろう、紅《もみ》の袴《はかま》を引こうと、乗出し、泳上る自信の輩《やから》の頭《こうべ》を、幣結《しでゆ》うた榊《さかき》をもって、そのあしきを払うようなものである。
いわんや、銑吉のごとき、お月掛なみの氏子《うじこ》をや。
その志を、あわれむ男が、いくらか思《おもい》を通わせてやろうという気で。……
「小県の惚れ方は大変だよ。」
「…………」
「嬉しいだろう。」
「ええ。」
目で、ツンと澄まして、うけ口をちょっとしめて、莞爾《にっこり》……
「嬉しいですわ。」
しかも、銑吉が同座で居た。
余計な事だが――一説がある。お誓はうまれが東京だというのに「嬉しいですわ。」は、おかしい。この言葉づかいは、銀座あるきの紳士、学生、もっぱら映画の弁士などが、わざと粋がって「避暑に行ったです。」「アルプスへ上るです。」と使用するが、元来は訛《なまり》である。恋われて――いやな言葉づかいだが――挨拶《あいさつ》をするのに、「嬉しいですわ。」は、嬉しくない、と言うのである。
紳士、学生、あえて映画の弁士とは限らない。梅水の主人は趣味が遍《あまね》く、客が八方に広いから、多方面の芸術家、画家、彫刻家、医、文、法、理工の学士、博士、俳優、いずれの道にも、知名の人物が少くない。揃った事は、婦人科、小児科、歯科もある。申しおくれました、作家、劇作家も勿論ある。そこで、この面々が、年齢の老若にかかわらず、東京ばかりではない。のみならず、ことさらに、江戸がるのを毛嫌いして「そうです。」「のむです。」を行《や》る名士が少くない。純情|無垢《むく》な素質であるほど、ついその訛《なまり》がお誓にうつる。
浅草寺の天井の絵の天人が、蓮華の盥《たらい》で、肌脱ぎの化粧をしながら、「こウ雲助どう、こんたア、きょう下界へでさっしゃるなら、京橋の仙女香を、とって来ておくんなんし、これサ乙女や、なによウふざけるのだ、きりきりきょうでえをだしておかねえか。」(○註に、けわい坂《ざか》――実は吉原――近所だけか、おかしなことばが、うつッていたまう、)と洒落《しゃ》れつつ敬意を表した、著作の実例がある。遺憾《いかん》ながら「嬉しいですわ。」とはかいてない。けれども、その趣はわかると思う。またそれよりも、真珠の首飾見たようなものを、ちょっと、脇の下へずらして、乳首をかくした膚《はだ》を、お望みの方は、文政|壬辰《みずのえたつ》新板、柳亭
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