葱《あさぎ》淡く、壁の暗さに、黒髪も乱れつつ、産婦の顔の萎《しお》れたように見えたのである。
 谷間の卵塔に、田沢氏の墓のただ一基|苔《こけ》の払われた、それを思え。
「お爺さん、では、あの女の持ものは、お産で死んだ記念《かたみ》の納《おさめ》ものででもあるのかい。」
 べそかくばかりに眉を寄せて、
「牡丹に立った白鷺になるよりも、人間は娑婆《しゃば》が恋しかんべいに、産で死んで、姑獲鳥《うぶめ》になるわ。びしょびしょ降《ぶり》の闇暗《くらやみ》に、若い女が青ざめて、腰の下さ血だらけで、あのこわれ屋の軒の上へ。……わあ、情《なさけ》ない。……お救い下され、南無普門品《なむふもんぼん》、第二十五。」
 と炉縁をずり直って、たとえば、小県に股引の尻を見せ、向うむきに円く踞《うずくま》ったが、古寺の狸などを論ずべき場合でない――およそ、その背中ほどの木魚にしがみついて、もく、もく、もく、もく、と立てつけに鳴らしながら、
「南無普門品第二十五。」
「普門品第二十五。」
 小県も、ともに口の裡《うち》で。
「この寺に観世音。」
「ああ居らっしゃるとも、難有《ありがた》い、ありがたい……」
「その
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