本堂に。」
「いや、あちらの棟だ。――ああ、参らっしゃるか。」
「参ろうとも。」
「おお、いい事だ、さあ、ござい、ござい。」
 と抱込んだ木魚を、もく、もくと敲《たた》きながら、足腰の頑丈づくりがひょこひょこと前《さき》へ立った。この爺さん、どうかしている。
 が、導かれて、御廚子《みずし》の前へ進んでからは――そういう小県が、かえって、どうかしないではいられなくなったのである。
 この庫裡《くり》と、わずかに二棟、隔ての戸もない本堂は、置棚の真中《まんなか》に、名号《みょうごう》を掛けたばかりで、その外の横縁に、それでも形《かた》ばかり階段が残った。以前は橋廊下で渡ったらしいが、床板の折れ挫《ひしゃ》げたのを継合せに土に敷いてある。
 明神の森が右の峰、左に、卵塔場を谷に見て、よく一人で、と思うばかり、前刻《さっき》彳《たたず》んだ、田沢氏の墓はその谷の草がくれ。
 向うの階《きざはし》を、木魚が上《あが》る。あとへ続くと、須弥壇《しゅみだん》も仏具も何もない。白布を蔽《おお》うた台に、経机を据えて、その上に黒塗の御廚子があった。
 庫裡の炉の周囲《まわり》は筵《むしろ》である。ここ
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