空なる樹《こ》の間《ま》は水色に澄んで青い。
「沼は、あの奥に当るのかね。」
「えへい、まあ、その辺の見当ずら。」
 と、掌をもじゃもじゃと振るのが、枯葉が乱れて、その頂の森を掻乱《かきみだ》すように見え、
「何かね、その赤い化もの……」
「赤いのが化けものじゃあない――お爺さん。」
「はあ、そうけえ。」
 と妙に気の抜けた返事をする。
「……だから、私が――じゃあ、その阿武沼、逢魔沼か。そこへ、あの連中は行ったんだろうか、沼には変った……何か、可恐《おそろし》い、可怪《あやし》い事でもあるのかね。饂飩酒場の女房が、いいえ、沼には牛鬼が居るとも、大蛇《おろち》が出るとも、そんな風説《うわさ》は近頃では聞きませんが、いやな事は、このさきの街道――畷《なわて》の中にあった、というんだよ。寺の前を通る道は、古い水戸街道なんだそうだね。」
「はあ、そうでなす。」
「ぬかるみを目の前にして……さあ、出掛けよう。で、ここへ私が来る道だ。何が出ようとこの真昼間《まっぴるま》、気にはしないが、もの好きに、どんな可恐《おそろし》い事があったと聞くと、女給と顔を見合わせてね、旦那《だんな》、殿方には何でも
前へ 次へ
全58ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング