かも、こっちを、銑吉の方を向いて、髯《ひげ》をぴちぴちと動かす。一疋七八分にして、躯《み》は寸に足りない。けれども、羽に碧緑《あおみどり》の艶《つや》濃く、赤と黄の斑《ふ》を飾って、腹に光のある虫だから、留った土が砥《と》になって、磨いたように燦然《さんぜん》とする。葛上亭長《まめ》、芫青《あお》、地胆《つち》、三種合わせた、猛毒、膚《はだえ》に粟《あわ》すべき斑※[#「(矛+攵)/虫」、第4水準2−87−65]《はんみょう》の中《うち》の、最も普通な、みちおしえ、魔の憑《つ》いた宝石のように、※[#「火+玄」、第3水準1−87−39]燿《ぎらぎら》と招いていた。
「――こっちを襲って来るのではない。そこは自然の配剤だね。人が進めば、ひょいと五六尺|退《しさ》って、そこで、また、おいでおいでをしているんだ。碧緑赤黄の色で誘うのか知らん。」
 蜻蛉では勿論ない。それを狙っているらしい。白鷺が、翼を開くまでもなかった。牡丹の花の影を、きれいな水から、すっと出て、斑※[#「(矛+攵)/虫」、第4水準2−87−65]の前へ行《ゆ》くと思うと、約束通り、前途《むこう》へ退《さが》った。人間に対すると、その挙動は同一《おんなじ》らしい。……白鷺が再び、すっと進む。
 あの歩《あし》の運びは、小股《こまた》がきれて、意気に見える。斑※[#「(矛+攵)/虫」、第4水準2−87−65]は、また飛びしさった。白鷺が道の中を。……
 ――きみ、――きみ――
「うっかり声を出して呼んだんだよ、つい。……毒虫だ、大毒だ。きみ、哺《くわ》えてはいけないと。あの毒は大変です、その卵のくッついた野菜を食べると、血を吐いて即死だそうだ。
 現に、私がね、ただ、触られてかぶれたばかりだが。
 北国《ほっこく》の秋の祭――十月です。半ば頃、その祭に呼ばれて親類へ行った。
 白山宮《はくさんぐう》の境内、大きな手水鉢《ちょうずばち》のわきで、人ごみの中だったが、山の方から、颯《さっ》と虫が来て頬へとまった。指のさきで払い落したあとが、むずむずと痒《かゆ》いんだね。
 御手洗《みたらし》は清くて冷い、すぐ洗えばだったけれども、神様の助けです。手も清め、口もそそぐ。……あの手をいきなり突込《つっこ》んだらどのくらい人を損《そこな》ったろう。――たとい殺さないまでもと思うと、今でも身の毛が立つほどだ。ほてって、顔が二つになったほど幅ったく重い。やあ、獅子《しし》のような面《つら》だ、鬼の面《めん》だ、と小児《こども》たちに囃《はや》されて、泣いたり怒ったり。それでも遊びにほうけていると、清らかな、上品な、お神巫《みこ》かと思う、色の白い、紅《もみ》の袴《はかま》のお嬢さんが、祭の露店に売っている……山葡萄《やまぶどう》の、黒いほどな紫の実を下すって――お帰んなさい、水で冷すのですよ。
 ――で、駆戻ると、さきの親類では吃驚《びっくり》して、頭を冷して寝かしたんだがね。客が揃って、おやじ……私の父が来たので、御馳走《ごちそう》の膳《ぜん》の並んだ隣へ出て坐った処、そこらを視《み》て、しばらくして、内の小僧は?……と聞くんだね。袖の中の子が分らないほど、面《つら》が鬼になっていたんです。おやじの顔色が変ると、私も泣出した。あとをよくは覚えていないんだが、その山葡萄を雫《しずく》にして、塗ったり吸ったりして無事に治った……虫は斑※[#「(矛+攵)/虫」、第4水準2−87−65]だった事はいうまでもないのです。」
「何と、はあ、おっかねえもんだ、なす。知らねえ虫じゃねえでがすが、……もっとも、あの、みちおしえは、誰も触らねえ事にしてあるにはあるだよ。」
「だから、つい、声も掛けようではないか。」
「鷺の鳥はどうしただね。」
「お爺さん、それは見ていなかったかい。」
「なまけもんだ、陽気のよさに、あとはすぐとろとろだ。あの潰屋《つぶれや》の陰に寝ころばっておったもんだでの。」
 白鷺はやがて羽を開いた。飛ぶと、宙を翔《かけ》る威力には、とび退《しさ》る虫が嘴《くちばし》に消えた。雪の蓑毛《みのけ》を爽《さわやか》に、もとの流《ながれ》の上に帰ったのは、あと口に水を含んだのであろうも知れない。諸羽《もろはね》を搏《う》つと、ひらりと舞上る時、緋牡丹の花の影が、雪の頸《うなじ》に、ぼっと沁《し》みて薄紅《うすくれない》がさした。そのまま山の端《は》を、高く森の梢《こずえ》にかくれたのであった。
「あの様子では確《たしか》に呑んだよ、どうも殺《や》られたろうと思うがね。」
 爺《じい》は股引《ももひき》の膝を居直って、自信がありそうに云った。
「うんや、鳥は悧巧《りこう》だで。」
「悧巧な鳥でも、殺生石には斃《おち》るじゃないか。」
「うんや、大丈夫でがすべよ。」
「が、見る見るあの白い
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