した。
「しかし姐《ねえ》さん、別々にするのだろうね。」
「何でございます。」
「何その、お床の儀だ。」
「おほほ、お雪さんにお聞きなさいまし。」
「可煩《うるさ》いな、まあ可いや。」
「さようならば、どうぞ。」
「可《よ》し可し。そのかわり姐さん、お前の名を言わないのじゃ……、」
「手前は柏屋でございます。」
 と急いで出て行く。
 これからお雪、良助、寝物語という、物凄《ものすご》い事に相成りまする。

       七

「これは旦那様。」
 入交って亭主柏屋金蔵、揉手《もみで》をしながらさきに挨拶に来た時より、打解けまして馴々《なれなれ》しく、
「どうも行届きませんで、御粗末様でございます。」
「いや色々、さあずッとこちらへ、何か女中が御病気だそうで、お前さんも、何かと御心配でありましょう。」
「へい、その事に就きまして、唯今はまた飛んだ手前勝手な御難題、早速|御聞済《おききずみ》下さいまして何とも相済みませぬ。実は私からお願い申しまする筈《はず》でござりましたが、かようなものでも、主人《あるじ》と思召《おぼしめ》し、成りませぬ処をたっても御承知下さいますようでは、恐れ入りまするから、御断《おことわり》の遊ばし可いよう、わざと女共から御話を致させましたのでござりまするが、かように御心安く御承諾下さいましては、かえって失礼になりましてござりまする。
 早速当人にも相伝えまして、久しぶりで飛んだ喜ばせてやりました。全く御蔭様でござりまする。何が貴方、かねての心懸《こころがけ》が宜《よろ》しゅうござりますので、私共もはや、特別に目を懸けまして、他人のように思いませぬから、毎晩|魘《うな》されまするのが、目も当てられませぬ、さればと申して、目を塞《ふさ》いで寝まする訳には参りませずな、いやもう。」
 と言懸けて、頷《うなず》く小宮山の顔を見て、てかてかとした天窓《あたま》を掻《か》き、
「かような頭《つむり》を致しまして、あてこともない、化物|沙汰《ざた》を申上げまするばかりか、譫言《うわごと》の薬にもなりませんというは、誠に早やもっての外でござりますが、自慢にも何にもなりません、生得《しょうとく》大の臆病で、引窓がぱたりといっても箒《ほうき》が仆《たお》れても怖《おっか》な喫驚《びっくり》。
 それに何と、いかに秋風が立って、温泉場が寂れたと申しましても、まあお聞き下さいまし。とんでもない奴等、若い者に爺婆《じじばば》交りで、泊の三衛門《さんねむ》が百万遍を、どうでござりましょう、この湯治場へ持込みやがって、今に聞いていらっしゃい隣宿で始めますから、けたいが悪いじゃごわせんか、この節あ毎晩だ、五智で海豚《いるか》が鳴いたって、あんな不景気な声は出しますまい。
 憑物《つきもの》のある病人に百万遍の景物じゃ、いやもう泣きたくなりまする。はははは、泣くより笑《わらい》とはこの事で、何に就けてもお客様に御迷惑な。」
「なあに、こっちの迷惑より、そういう御様子ではさぞ御当惑をなさるでありましょう、こう遣って、お世話になるのも何かの御縁でしょうから、皆さん遠慮しないが宜しい。」
 と二人で差向《さしむかい》で話をしておりまする内に、お喜代、お美津でありましょう、二人して夜具をいそいそと持運び、小宮山のと並べて、臥床《ふしど》を設けたのでありますが、客の前と気を着けましたか、使ってるものには立派過ぎた夜具、敷蒲団《しきぶとん》、畳んだまま裾《すそ》へふっかりと一つ、それへ乗せました枕は、病人が始終黒髪を取乱しているのでありましょう、夜の具《もの》の清らかなるには似ず垢附《あかつ》きまして、思做《おもいな》しか、涙の跡も見えたのでありまする。
 お美津、お喜代は、枕の両傍《りょうばた》へちょいと屈《かが》んで、きゅうッきゅうッと真直《まっすぐ》に引直し、小宮山に挨拶をして、廊下の外へ。
 ここへ例の女の肩に手弱《たお》やかな片手を掛け、悩ましい体を、少し倚懸《よりかか》り、下に浴衣、上へ繻子《しゅす》の襟の掛《かか》った、縞物《しまもの》の、白粉垢《おしろいあか》に冷たそうなのを襲《かさ》ねて、寝衣《ねまき》のままの姿であります、幅狭《はばせま》の巻附帯、髪は櫛巻《くしまき》にしておりますが、さまで結ばれても見えませぬのは、客の前へ出るというので櫛の歯に女の優しい心を籠《こ》めたものでありましょう。年紀《とし》の頃は十九か二十歳《はたち》、色は透通る程白く、鼻筋の通りました、窶《やつ》れても下脹《しもぶくれ》な、見るからに風の障るさえ痛々しい、葛《くず》の葉のうらみがちなるその風情。

       八

 高が気病《きやみ》と聞いたものが、思いの外のお雪の様子、小宮山はまず哀れさが先立って、主《あるじ》と顔を見合せまする。
 介添の女はわざと浮いた風で、
「さあ御縁女様。」
 と強く手を引いて扶《たす》け入れたのでありまする。お雪はそんな中《うち》にも、極《きまり》が悪かったと見え、ぼんやり顔をば赧《あか》らめまして、あわれ霜に悩む秋の葉は美しく、蒲団の傍《そば》へ坐りました。
「お雪さん、嬉しいでしょう。」
 亭主までが嬉しそうに、莞爾々々《にこにこ》して、
「よくお礼を申上げな。」
 と言うのであります。別《わ》けて申上げまするが、これから立女役《たておやま》がすべて女寅《めとら》が煩ったという、優しい哀れな声で、ものを言うのでありまするが、春葉君だと名代の良《い》い処を五六枚、上手に使い分けまして、誠に好《い》い都合でありますけれども、私の地声では、ちっとも情が写りますまい。その辺は大目に、いえ、お耳にお聞溢《ききこぼ》しを願いまして、お雪は面映気《おもはゆげ》に、且つ優《しお》らしく手を支《つか》え、
「難有《ありがと》う存じます、どうぞ、……」
 とばかり、取縋《とりすが》るように申しました。小宮山は、亭主といい、女中の深切、お雪の風采《とりなり》、それやこれや胸一杯になりまして、思わずほろりと致しましたが、さりげのう、ただ頷《うなず》いていたのでありました。
「そらお雪、どうせこうなりゃ御厄介だ。お時儀《じぎ》も御挨拶も既に通り越しているんだからの、御遠慮を申さないで、早く寝かして戴くと可い、寒いと悪かろう。俺《おれ》でさえぞくぞくする、病人はなおの事《こ》ッた、お客様ももう御寝《げし》なりまし、お鉄や、それ。」
 と急遽《そそくさ》して、実は逃構《にげがまえ》も少々、この臆病者は、病人の名を聞いてさえ、悚然《ぞっ》とする様子で、
 お鉄(此奴《こやつ》あ念を入れて名告《なの》る程の事ではなかった)は袖屏風《そでびょうぶ》で、病人を労《いたわ》っていたのでありますが、
「さあさあ早くその中へ、お床は別々でも、お前さん何だよ御婚礼の晩は、女が先へ寝るものだよ、まあさ、御遠慮を申さないで、同じ東京のお方じゃないか、裏の山から見えるなんて、噂ばかりの日本橋のお話でも聞いて、ぐっと気をお引立てなさいなね。水道の水を召食《めしあが》ッていらっしゃれば、お色艶もそれ、お前さんのあの方に、ねえ旦那。」
「まずの。」
 と言ったばかりで、金蔵はまじりまじり。大方時刻の移るに従うて、百万遍を気にするのでありましょう。お鉄は元気好く含羞《はにか》むお雪を柔《やわら》かに素直に寝かして、袖を叩き、裾を圧《おさ》え、
「さあ、お客様。」
 と言ったのでありまするが、小宮山も人目のある前で枕を並べるのは、気が差して跋《ばつ》も悪うございますから、
「まあまあお前さん方。」
「さようならば、御免を蒙《こうむ》りまする。伊賀|越《ごえ》でおいでなすったお客じゃないから、私《わし》が股引《ももひき》穢《むそ》うても穿《は》いて寝るには及ばんわ、のうお雪。」
「旦那|笑談《じょうだん》ではございませんよ、失礼な。お客様御免下さいまし。」
 と二人は一所に挨拶をして、上段の間を出て行《ゆ》きまする、親仁《おやじ》は両提《りょうさげ》の莨入《たばこいれ》をぶら提げながら、克明に禿頭《はげあたま》をちゃんと据えて、てくてくと敷居を越えて、廊下へ出逢頭《であいがしら》、わッと云う騒動《さわぎ》。
「痛え。」とあいたしこをした様子。
 さっきから障子の外に、様子を窺《うかが》っておりましたものと見える、誰か女中の影に怯《おび》えたのでありまする。笑うやら、喚《わめ》くやら、ばたばたという内に、お鉄が障子を閉めました。後の十畳敷は寂然《ひっそり》と致し、二筋の燈心《とうすみ》は二人の姿と、床の間の花と神農様の像を、朦朧《もうろう》と照《てら》しまする。

       九

 小宮山は所在無さ、やがて横になって衾《ふすま》を肩に掛けましたが、お雪を見れば小さやかにふっかりと臥《ふ》して、女雛《めびな》を綿に包んだようでありまする。もとより内気な女の、先方《さき》から声を懸けようとは致しませぬ。小宮山は一晩介抱を引受けたのでありまするから、まず医者の気になりますと物もいい好《よ》いのでありました。
「姉さん、さぞ心細いだろうね、お察し申す。」
「はい。」
「一体どんな心持なんだい。何でも悪い夢は、明かしてぱッぱと言うものだと諺《ことわざ》にも云うのだから、心配事は人に話をする方が、気が霽《は》れて、それが何より保養になるよ。」
 としみじみ労《いたわ》って問い慰める、真心は通ったと見えまして、少し枕を寄せるようにして、小宮山の方を向いて、お雪は溜息《ためいき》を吐《つ》きましたが、
「貴方は東京のお方でございますってね。」
「うむ、東京だ、これでも江戸ッ児《こ》だよ。」
「あの、そう伺いますばかりでも、私は故郷の人に逢いましたようで、お可懐《なつか》しいのでござりますよ。」
「東京が贔屓《ひいき》かい、それは難有《ありがた》いね、そしてここいらに、贔屓は珍しいが、何か仔細《しさい》が有りそうだな。」
 小宮山は、聞きませんでもその因縁《いわれ》を知っておりましょう、けれども、思うさま心の内を話さして、とにかく慰めてやりたい心。
「東京は大層広いそうでございますから、泊のものを、こちらで存じておりますような訳には参りますまいけれども、あのう、私は篠田|様《さん》と云う、貴方の御所《おところ》の方に、少し知己《しりあい》があるのでございまして。」
 小宮山は肚《はら》の内で、これだな……。
「訳は申上げる事は出来ませんが、そのお方の事が始終気に懸《かか》りまして、それがために、いつでも泣いたり笑ったり、自分でも解りませんほど、気を揉《も》んでおりました。それがあの、病の原因《もと》なんでございましょう。
 昼も夜もどっちで夢を見るのか解りませんような心持で、始終ふらふら致しておりましたが、お薬も戴きましたけれども、復《なお》ってからどうという張合がありませんから、弱りますのは体ばかり、日が経《た》ちますと起きてるのが大儀でなりませんので、どこが痛むというでもなく、寝てばかりおりましたのでございますよ。」
 さあ驕《おご》れ、手も無くそれは恋病《こいわずらい》だと、ここで言われた訳ではありませんから、小宮山は人の意気事を畏《かしこ》まって聞かされたのでありまする、勿論容体を聞く気でありますから、お雪の方でも、医者だと思って遠慮がない。
「久しくそんなに致しております内、ちょうどこの十日ばかり前の真夜中の事でございます。寐《ね》られません目をぱちぱちして、瞶《みつ》めておりました壁の表へ、絵に描《か》いたように、茫然《ぼんやり》、可恐《おそろ》しく脊の高い、お神さんの姿が顕《あらわ》れまして、私が夢かと思って、熟《じっ》と瞶めております中《うち》、跫音《あしおと》もせず壁から抜け出して、枕頭《まくらもと》へ立ちましたが、面長で険のある、鼻の高い、凄《すご》いほど好《い》い年増《としま》なんでございますよ。それが貴方、着物も顔も手足も、稲光《いなびかり》を浴びたように、蒼然《まっさお》で判然《はっきり》と見えました。」
「可訝《おか》しいね。」
「当然《あたりまえ
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