寐られる訳ではありませぬから、しばらくお雪の様子を見ていたのでありまする。やや初夜|過《すぎ》となりました。
 山中の湯泉宿《ゆやど》は、寂然《しん》として静《しずま》り返り、遠くの方でざらりざらりと、湯女《ゆな》が湯殿を洗いながら、歌を唄うのが聞えまする。
 この界隈《かいわい》近国の芸妓《げいしゃ》などに、ただこの湯女歌ばかりで呼びものになっているのがありますくらい。怠けたような、淋しいような、そうかというと冴えた調子で、間《あい》を長く引張《ひっぱ》って唄いまするが、これを聞くと何となく睡眠剤を服《の》まされるような心持で、
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桂清水《かつらしみず》で手拭《てぬぐい》拾た、   これも小川の温泉《ゆ》の流れ。
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 などという、いわんや巌《いわ》に滴るのか、湯槽《ゆぶね》へ落つるのか、湯気の凝ったのか、湯女歌の相間《あいま》々々に、ぱちゃんぱちゃんと響きまするにおいてをや。

       十四

 これへ何と、前触《まえぶれ》のあった百万遍を持込みましたろうではありませんか、座中の紳士貴婦人方、都育ちのお方にはお覚えはないのであります
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