なくちゃ可《い》けない。)と差附けられました時は、ものも言われません。
(お雪、私がこれを何にする、定めしお前は知っていよう。)どうして私が知っておりましょう。
(うむ、知ってる、知っている筈じゃないか、どうだ。)と責めるように申しますから、私はどうなる事でしょうと、可恐《おそろ》しさのあまり、何にも存じませんと、自分にも聞えませんくらい。
(何存ぜぬことがあるものか、これはな、お雪、お前の体に使うのだ、これでその病気を復《なお》してやる。)と屹《きっ》と睨《にら》んで言われましたから、私はもう舌が硬《こわば》ってしまいましたのでございます。お神さんは落着き払って、何か身繕《みづくろい》をしましたが、呪文のようなことを唱えて、その釘だの縄だのを、ばらばらと私の体へ投附けますじゃありませんか。
 はッと思いますと、手も足も顫える事が出来なくなったので、どうでございましょう、そのまま真直《まっすぐ》に立ったのでございますわ。
 そう致しますとお神さんは、棚の上からまた一つの赤い色の罎《びん》を出して、口を取ってまた呪文を唱えますとね、黒い煙が立登って、むらむらとそれが、あの土間の隅へ寛《ひろ》がります、とその中へ、おどろのような髪を乱して、目の血走った、鼻の尖《とんが》った、痩《やせ》ッこけた女が、俯向《うつむ》けなりになって、ぬっくり顕《あらわ》れたのでございますよ。
(お雪や、これは嫉妬《しっと》で狂死《くるいじに》をした怨念《おんねん》だ。これをここへ呼び出したのも外じゃない、お前を復してやるその用に使うのだ。)と申しましてね、お神さんは突然《いきなり》袖を捲《まく》って、その怨念の胸の処へ手を当てて、ずうと突込《つッこ》んだ、思いますと、がばと口が開《あ》いて、拳《こぶし》が中へ。」
 と言懸けました、声に力は籠《こも》りましたけれども、体は一層力無げに、幾度も溜息を吐《つ》いた、お雪の顔は蒼ざめて参りまする。小宮山は我を忘れて枕を半《なかば》。
「そのまま真白《まっしろ》な肋骨《あばらぼね》を一筋、ぽきりと折って抜取りましてね。
(どうだ、手前《てめえ》が嫉妬で死んだ時の苦しみは、何とこのくらいのものだったかい。)と怨念に向いまして、お神さんがそう云いますと、あの、その怨霊《おんりょう》がね、貴方、上下《うえした》の歯を食い緊《しば》って、(ううむ、ううむ。)と二つばかり、合点々々を致したのでございますよ。
(可《よ》し。)とお神さんが申しますと、怨念はまたさっきのような幅の広い煙となって、それが段々罎の口へ入ってしまいました。
 それからでございますが。」
 とお雪は打戦《うちわなな》いて、しばらくは口も利けません様子。

       十一

 さてその時お雪が話しましたのでは、何でもその孤家《ひとつや》の不思議な女が、件《くだん》の嫉妬で死んだ怨霊の胸を発《あば》いて抜取ったという肋骨《あばらぼね》を持って前《ぜん》申しまする通り、釘だの縄だのに、呪《のろ》われて、動くこともなりませんで、病み衰えておりますお雪を、手ともいわず、胸、肩、背ともいわず、びしびしと打ちのめして、
(さあどうだ、お前、男を思い切るか、それを思い切りさえすれば復《なお》る病気じゃないか、どうだ、さあこれでも言う事を聞かないか、薬は利かないか。)
 と責めますのだそうでありまする、その苦しさが耐えられませぬ処から、
(御免なさいまし、御免なさいまし、思い切ります。)
 と息の下で詫びまする。それでは帰してやると言う、お雪はいつの間にか旧《もと》の閨《ねや》に帰っております。翌晩《あくるばん》になるとまた昨夜《ゆうべ》のように、同じ女が来て手を取って引出して、かの孤家へ連れてまいり、釘だ、縄だ、抜髪だ、蜥蜴《とかげ》の尾だわ、肋骨《あばらぼね》だわ、同じ事を繰返して、骨身に応《こた》えよと打擲《ちょうちゃく》する。
(お前、可い加減な事を言って、ちっとも思い切る様子はないではないか。さあ、思い切れ、思い切ると判然《はっきり》言え、これでも薬はまだ利かぬか。)
 と言うのだそうでありますな。
 申すまでもありません、お雪はとても辛抱の出来る事ではないのですから、きっと思い切ると言う。
 それではと云って帰しまする。
 翌晩《あくるばん》も、また翌晩も、連夜《まいよ》の事できっと時刻を違《たが》えず、その緑青で鋳出《いだ》したような、蒼い女が遣って参り、例の孤家へ連れ出すのだそうでありますが、口頭《くちさき》ばかりで思い切らない、不埒《ふらち》な奴、引摺《ひきず》りな阿魔めと、果《はて》は憤《いか》りを発して打ち打擲を続けるのだそうでございまして。
 お雪はこれを口にするさえ耐えられない風情に見えました。
「貴方、どうして思い切れませんのでございま
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