まんと思わるるまで、如月《きさらぎ》の雪の残月に、カンカンと響いたけれども、返事がない。
猶予ならず、庭の袖垣を左に見て、勝手口を過ぎて大廻りに植込の中を潜《くぐ》ると、向うにきらきら水銀の流るるばかり、湯殿の窓が雪の中に見えると思うと、前の溝と覚しきに、むらむらと薄くおよそ人の脊丈ばかり湯気が立っていた。
これにぎょッとして五助、作平、湯殿の下へ駆けつけた時はもう喘《あえ》いでいた。逡巡《しりごみ》をする五助に入交《いれかわ》って作平、突然《いきなり》手を懸けると、誰《た》が忘れたか戸締《とじまり》がないので、硝子窓《がらすまど》をあけて跨《また》いで入ると、雪あかりの上、月がさすので、明かに見えた真鍮《しんちゆう》の大薬鑵。蓋《ふた》と別々になって、うつむけに引《ひっ》くりかえって、濡手拭《ぬれてぬぐい》を桶《おけ》の中、湯は沢山にはなかったと思われ、乾き切って霜のような流《ながし》が、網を投げた形にびっしょりであった。
上口から躍込むと、あしのあとが、板の間の濡れたのを踏んで、肝を冷しながら、明《あかり》を目的《めあて》に駆けつけると、洋燈《ランプ》は少し暗くしてあったが、
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