ず、新造《しんぞ》などにさとられては大変なので、昼から間《ま》を見て、と思っても、つい人目があって出られなかった。
 ちょうど今夜は、内証《ないしょ》に大一座の客があって、雪はふる、部屋々々でも寐込《ねこ》んだのを機《しお》にぬけて出て、ここまでは来ましたが、土を踏むのにさえ遠退《とおの》いた、足がすくんで震える上に、今時こういう処へ出られる身分の者ではないから、どんな目に逢おうも知れない。
 寮はもうそこに見えます。一町とは間のない処、紅梅屋敷といえば直《じき》に知れますが、あれ、あんなに犬が吠《ほ》えて、どうすることもならないから、生命《いのち》を助けると思って、これを届けて下さいッて、拝むようにして言ったんだ。成程今考えるとここいらで大層犬が吠えたっけ。
 何、頼まれる方では造作のないこと、本人に取っては何かしら、様子の分らぬ廓《くるわ》のこと、一大事ででもあるようだから、直《じか》にことづかった品物があるんです。
 ただ渡せば可《い》いか、というとね、名も何にもおっしゃらないでも、寮の姉さんはよく御存じ、とこういうから、承知した。
 その寮はッて聞くと、ここを一町ばかり、左の路
前へ 次へ
全88ページ中66ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング