分ってるが、叔母さんと来た日にゃあ、若い者が芳原へ入れば、そこで生命《いのち》がなくなるとばかり信じてるんだ。
その人に甘やかされて、子のようにして可愛がられて育った私だから、失礼だが、様子は知っていても廓は恐しい処とばかり思ってるし、叔母の気象も知ってるんだけれども、どうです、いやしくも飲もうといって、少《わか》い豪傑が手放《てばなし》で揃ってる、しかも艶《えん》なのが、まわりをちらちらする処で、御意見の鏡とは何事だ。
そうして懐へ入れて持って帰れと来た日にゃあ、私は人魂《ひとだま》を押《おッ》つけられたように気が滅入《めい》った。
しかもお使番が女教師の、おまけに大の基督教《キリストきょう》信者と来ては助からんねえ。」
打微笑《うちほほえ》み、
「相済まんがどうぞ宅《うち》の方へお届けを、といって平にあやまると、使《つかい》の婦人が、私も主義は違っております。かようなものは信じませんが、貴君《あなた》を心《しん》から思召していらっしゃる方の志は通すもんです。私もその御深切を感じて、喜んで参りました位です、こういうお使は生れてからはじめてです、と謂《い》った。こりゃ誰だって、
前へ
次へ
全88ページ中61ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング