で油断なり、万に一つも助かる生命《いのち》じゃあなかったろうに、御運かの。遊女《おいらん》は気がせいたか、少し狙《ねらい》がはずれた処へ、その胸に伏せて、うつむいていなすった、鏡で、かちりとその、剃刀の刃が留まったとの。
 私《わし》はどちらがどうとも謂《い》わぬ。遊女《おいらん》の贔屓《ひいき》をするのじゃあないけれど、思詰めたほどの事なら、遂げさしてやりたかったわ、それだけ心得のある婦人《おんな》が、仕損じは、まあ、どうじゃ。」
「されば、」
「その代り返す手で、我が咽喉《のど》を刎《は》ね切った遊女《おいらん》の姿の見事さ!
 口惜《くや》しい、口惜しい、可愛いこの人の顔を余所《よそ》の婦人《おんな》に見せるのは口惜しい! との、唇を噛《か》んだまま、それなりけり。
 全く鏡を見なすった時に、はッと我に返って、もう悪所には来まいという、吃《きっ》とした心になったのじゃげな。
 容子《ようす》で悟った遊女《おいらん》も目が高かった。男は煩悩の雲晴れて、はじめて拝む真如《しんにょ》の月かい。生命《いのち》の親なり智識なり、とそのまま頂かしった、鏡がそれじゃ。はて総《ふさ》つき錦の袋入
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