にもう鉄瓶をかちりといわせて、障子の内に女の気勢《けはい》。
「唯今。」
「帰《けえ》んなすったかい、」
「お勝さん?」と捨吉は中腰に伸上りながら、
「もうそんな時分かな。」
「いいえ、いつもより小一時間遅いんですよ、」
 という時、二枚|立《だて》のその障子の引手の破目《やぶれめ》から仇々《あだあだ》しい目が二ツ、頬のあたりがほの見えた。蓋《けだ》し昼の間《うち》寐《ね》るだけに一間の半《なかば》を借り受けて、情事《いろごと》で工面の悪い、荷物なしの新造《しんぞ》が、京町あたりから路地づたいに今頃戻って来るとのこと。
「少し立込んだもんですからね、」
「いや、御苦労様、これから緩《ゆっく》りとおひけに相成《あいなり》ます?」
「ところが不可《いけ》ないの、手が足りなくッて二度の勤《つとめ》と相成ります。」
「お出懸《でかけ》か、」と五助。
「ええ、困るんですよ、昨夜《ゆうべ》もまるッきり寐ないんですもの、身体《からだ》中ぞくぞくして、どうも寒いじゃアありませんか、お婆さん堪《たま》らないから、もう一枚下へ着込んで行《ゆ》きましょうと思って、おお、寒い。」といってまた鉄瓶をがたりと遣《
前へ 次へ
全88ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング