を悪くさせるから伏せてはあろうが、お前さんだ、今日は剃刀を扱《つか》わねえことを知っていそうなもんだと思うが、楼《うち》でも気がつかねえでいるのかしら。」
「ええ! ほんとうかい、お前《めえ》とは妙に懇意だが、実は昨今だから、……へい?」と顔の筋を動かして、眉をしかめ、目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》ると、この地色の無い若い者は、思わず手に持った箱を、ばったり下に置く。
「ええ、もし、」
「はい。」と目金を向ける、気を打った捨吉も斉《ひと》しく振向くと、皺嗄《しゃが》れた声で、
「お前さん、御免なさいまし。」
 敷居際に蹲《つくば》った捨吉が、肩のあたりに千草色の古股引《ふるももひき》、垢《あか》じみた尻切半纏《しりきりばんてん》、よれよれの三尺、胞衣《えな》かと怪《あやし》まれる帽を冠《かぶ》って、手拭《てぬぐい》を首に巻き、引出し附のがたがた箱と、海鼠形《なまこなり》の小盥《こだらい》、もう一ツ小盥を累《かさ》ねたのを両方振分にして天秤《てんびん》で担いだ、六十ばかりの親仁《おやじ》、瘠《やせ》さらぼい、枯木に目と鼻とのついた姿で、さもさも寒そう。
 捨吉は袖
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