鏡台の上はまだしもさ、悪くすると十九日には障子の桟《さん》なんぞに乗っかってる内があるッさ。
 浮舟さんが燗部屋《かんべや》に下《さが》っていて、七日《なぬか》ばかり腰が立たねえでさ、夏のこッた、湯へ入《へえ》っちゃあ不可《いけね》えと固く留められていたのを、悪汗《わるあせ》が酷《ひど》いといって、中引《なかびけ》過ぎに密《そ》ッと這出《はいだ》して行って湯殿口でざっくり膝を切って、それが許《もと》で亡くなったのも、お前《めえ》、剃刀がそこに落ッこちていたんだそうさ。これが十九日、去年の八月知ってるだろう。
 その日も一挺紛失さ、しかしそりゃ浮舟さんの楼《うち》のじゃあねえ、確か喜怒川《きぬがわ》の緑さんのだ、どこへどう間違って行《ゆ》くのだか知れねえけれども、厭《いや》じゃあねえか、恐しい。
 引《ひっ》くるめて謂《い》や、こっちも一挺なくなって、廓内《くるわうち》じゃあきっと何楼《どこ》かで一挺だけ多くなる勘定だね。御入用のお客様はどなただか早や知らねえけれど、何でも私《わっし》が研澄《とぎすま》したのをお持ちなさると見えるて、御念の入った。
 溌《ぱっ》としちゃあ、お客にまで気
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