海、また湖へ、信心の投網《とあみ》を颯《さっ》と打って、水に光るもの、輝くものの、仏像、名剣を得たと言っても、売れない前《さき》には、その日一日の日当がどうなった、米は両につき三升、というのだから、かくのごとき杢若が番太郎小屋にただぼうとして活《い》きているだけでは、世の中が納まらぬ。
 入費は、町中持合いとした処で、半ば白痴《はくち》で――たといそれが、実家《さと》と言う時、魔の魂が入替るとは言え――半ば狂人《きちがい》であるものを、肝心火の元の用心は何とする。……炭団《たどん》、埋火《うずみび》、榾《ほだ》、柴《しば》を焚《た》いて煙は揚げずとも、大切な事である。
 方便な事には、杢若は切凧《きれだこ》の一件で、山に実家《さと》を持って以来、いまだかつて火食をしない。多くは果物を餌《えさ》とする。松葉を噛《か》めば、椎《しい》なんぞ葉までも頬張る。瓜《うり》の皮、西瓜《すいか》の種も差支えぬ。桃、栗、柿、大得意で、烏や鳶《とび》は、むしゃむしゃと裂いて鱠《なます》だし、蝸牛虫《まいまいつぶろ》やなめくじは刺身に扱う。春は若草、薺《なずな》、茅花《つばな》、つくつくしのお精進
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