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神職 何《なん》じゃ、俳優《やくしゃ》?……――町へ参ってでもおるか。国のものか。
お沢 いいえ、大阪に――
禰宜 やけに大胆に吐《ぬか》すわい。
神職 おのれは、その俳優《やくしゃ》の妾《めかけ》か。
お沢 いいえ。
神職 聞けば、聞けば聞くほど、おのれは、ここだくの邪淫《じゃいん》を侵す。言うまでもない、人の妾となって汚れた身を、鏝塗《こてぬり》上塗《うわぬり》に汚しおる。あまつさえ、身のほどを弁《わきま》えずして、百四、五十里、二百里近く離れたままで人を咒詛《のろ》う。
仕丁 その、その俳優《やくしゃ》は、今大阪で、名は何と言うかな。姉《あね》様。
神職 退《さが》れ、棚村。恁《かか》る場合に、身らが、その名を聞き知っても、禍《わざわい》は幾分か、その呪詛《のろ》われた当人に及ぶと言う。聞くな。聞けば聞くほど、何が聞くほどの事もない。――淫奔《いんぽん》、汚濁、しばらくの間《ま》も神の御前《みまえ》に汚らわしい。茨《いばら》の鞭《むち》を、しゃつの白脂《しろあぶら》の臀《しり》に当てて石段から追落《おいおと》そう。――が呆《あき》れ果てて聞くぞ、婦《おんな》。――その釘を刺した形代《かたしろ》を、肌に当てて居睡《いねむ》った時の心持は、何とあった。
お沢 むずむず痒《かゆ》うございました。
禰宜 何《なん》じゃ藁人形をつけて……肌が痒い。つけつけと吐《ぬか》す事よ。これは気が変になったと見える。
お沢 いいえ、夢は地獄の針の山。――目の前に、茨に霜の降《ふ》りましたような見上げる崖《がけ》がありまして、上《あが》れ上れと恐しい二つの鬼に責められます。浅ましい、恥しい、裸身《はだかみ》に、あの針のざらざら刺さるよりは、鉄棒《かなぼう》で挫《くじ》かれたいと、覚悟をしておりましたが、馬が、一頭《ひとつ》、背後《うしろ》から、青い火を上げ、黒煙《くろけむり》を立てて駈《か》けて来て、背中へ打《ぶ》つかりそうになりましたので、思わず、崖へころがりますと、形代《かたしろ》の釘でございましょう、針の山の土が、ずぶずぶと、この乳《ちち》へ……脇《わき》の下へも刺《ささ》りましたが、ええ、痛いのなら、うずくのなら、骨が裂けても堪《こた》えます。唯くわッと身うちがほてって、その痒《かゆ》いこと、むず痒さに、懐中《ふところ》へ手を入れて、うっかり払いましたのが、つい、こぼれて、ああ、皆さんのお目に留《とま》ったのでございます。
神職 はて、しぶとい。地獄の針の山を、痒がる土根性《どこんじょう》じゃ。茨の鞭では堪《こた》えまい。よい事を申したな、別に御罰《ごばつ》の当てようがある。何よりも先ず、その、世に浅ましい、鬼畜のありさまを見しょう。見よう。――御身《おみ》たちもよく覚えて、お社近《やしろぢか》い村里《むらざと》の、嫁、嬶々《かか》、娘の見せしめにもし、かつは郡《こおり》へも町へも触れい。布気田《ふげた》。
禰宜 は。
神職 じたばたするなりゃ、手取《てど》り足取り……村の衆《しゅ》にも手伝《てつだ》わせて、その婦《おんな》の上衣《うわぎ》を引剥《ひきは》げ。髪を捌《さば》かせ、鉄輪《かなわ》を頭に、九つか、七つか、蝋燭を燃《とも》して、めらめらと、蛇の舌の如く頂かせろ。
仕丁 こりゃ可《よ》い、可い。最上等の御分別《ごふんべつ》。
神職 退《さが》れ、棚村。さ、神の御心《みこころ》じゃ、猶予《ためら》うなよ。
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――渠《かれ》ら、お沢を押取《おっとり》込めて、そのなせる事、神職の言《げん》の如し。両手を扼《とりしば》り、腰を押して、真《ま》正面に、看客《かんかく》にその姿を露呈す。――
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お沢 ヒイ……(歯を切《しば》りて忍泣《しのびな》く。)
神職 いや、蒼《あお》ざめ果てた、がまだ人間の婦《おんな》の面《つら》じゃ。あからさまに、邪慳《じゃけん》、陰悪の相を顕わす、それ、その般若《はんにゃ》、鬼女《きじょ》の面を被せろ。おお、その通り。鏡も胸に、な、それそれ、藁人形、片手に鉄槌。――うむその通り。一度、二度、三度、ぐるぐると引廻したらば、可《よし》。――何《なん》と、丑《うし》の刻《とき》の咒詛《のろい》の女魔《にょま》は、一本|歯《ば》の高下駄《たかげた》を穿《は》くと言うに、些《ち》ともの足りぬ。床几《しょうぎ》に立たせろ、引上げい。
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渠《かれ》は床几を立つ。人々お沢を抱《だき》すくめて床几に載《の》す。黒髪高く乱れつつ、一本《ひともと》の杉の梢《こずえ》に火を捌《さば》き、艶媚《えんび》にして嫋娜《しなやか》なる一個の鬼女《きじょ》、すっくと立つ――
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お沢 ええ! 口惜《くや》しい。(殆《ほとん》ど痙攣的《けいれんてき》に丁《ちょう》と鉄槌を上げて、面《おもて》斜めに牙《きば》白く、思わず神職を凝視す。)
神職 (魔を切るが如く、太刀《たち》を振《ふり》ひらめかしつつ後退《あとずさ》る)したたかな邪気じゃ、古今の悪気《あくき》じゃ、激《はげし》い汚濁じゃ、禍《わざわい》じゃ。(忽《たちま》ち心づきて太刀を納め、大《おおい》なる幣を押取《おっと》って、飛蒐《とびかか》る)御神《おんかみ》、祓《はら》いたまえ、浄めさせたまえ。(黒髪のその呪詛《のろい》の火を払い消さんとするや、かえって青き火、幣に移りて、めらめらと燃上り、心火と業火《ごうか》と、もの凄《すご》く立累《たちかさな》る)やあ、消せ、消せ、悪火《あくび》を消せ、悪火を消せ。ええ、埒《らち》あかぬ。床《ゆか》ぐるみに蹴落《けおと》さぬかいやい。(狼狽《うろたえ》て叫ぶ。人々床几とともに、お沢を押落《おしおと》し、取包んで蝋燭の火を一度に消す。)
お沢 (崩折《くずお》れて、倒れ伏す。)
神職 (吻《ほっ》と息して)――千慮の一失。ああ、致《いた》しようを過《あやま》った。かえって淫邪の鬼の形相《ぎょうそう》を火で明かに映し出した。これでは御罰《ごばつ》のしるしにも、いましめにもならぬ。陰惨|忍刻《にんこく》の趣は、元来、この婦《おんな》につきものの影であったを、身ほどのものが気付かなんだ。なあ、布気田《ふげた》。よしよし、いや、村の衆《しゅ》。今度は鬼女、般若の面のかわりに、そのおかめの面を被せい、丑《うし》の刻参《ときまいり》の装束《しょうぞく》を剥《は》ぎ、素裸《すはだか》にして、踊らせろ。陰を陽に翻すのじゃ。
仕丁 あの裸踊《はだかおどり》、有難い。よい慰み、よい慰み。よい慰み!
神職 退《さが》れ、棚村。慰みものではないぞ、神の御罰じゃ。
禰宜 踊りましょうかな。ひひひ。(ニヤリニヤリと笑う。)
神職 何さ、笛、太鼓で囃《はや》しながら、両手を引張《ひっぱ》り、ぐるぐる廻しに、七度《ななたび》まで引廻して突放せば、裸体《らたい》の婦《おんな》だ、仰向けに寝はせまい。目ともろともに、手も足も舞《まい》踊ろう。
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「遣《や》るべい、」「遣れ。」「悪魔退散の御祈祷《ごきとう》。」村人は饒舌《しゃべ》り立つ。太鼓は座につき、早《は》や笛きこゆ。その二、三人はやにわにお沢の衣《きぬ》に手を掛く。――
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お沢 ああ、まあ、まあ。
神職 構わず引剥《ひきは》げ。裸体《はだか》のおかめだ。紅《あか》い二布《ふたの》……湯具《ゆぐ》は許せよ。
仕丁 腰巻《こしまき》、腰巻……(手伝いかかる。)
禰宜 おこしなどというのじゃ。……汚《よご》れておろうかの。
後見 この婦なら、きれいでがすべい。
お沢 (身悶《みもだ》えしながら)堪忍して下さいまし、堪忍して下さいまし、そればかりは、そればかりは。
神職 罷成《まかりな》らん! 当社《とうやしろ》の掟《おきて》じゃ。が、さよういたした上は、追放《おっぱな》して許して遣る。
お沢 どうぞ、このままお許し下さいまし、唯お目の前を離れましたら、里へも家へも帰らずに、あの谿河《たにがわ》へ身を投げて、死《しん》でお詫《わび》をいたします。
神職 水は浅いわ。
お沢 いいえ、あの急な激しい流れ、巌《いわ》に身体《からだ》を砕いても。――ええ、情《なさけ》ない、口惜《くちおし》い。前刻《さっき》から幾度《いくたび》か、舌を噛《か》んで、舌を噛んで死のうと思っても、三日、五日、一目も寝ぬせいか、一枚も欠けない歯が皆|弛《ゆる》んで、噛切《かみき》るやくに立ちません。舌も縮んで唇《くちびる》を、唇を噛むばかり。(その唇より血を流す。)
神職 いよいよ悪鬼の形相《ぎょうそう》じゃ。陽を以って陰を払う。笛、太鼓、さあ、囃せ。引立てろ。踊らせい。
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とりどりに、笛、太鼓の庭につきたるが、揃《そろ》って音《ね》を入《い》る。
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お沢 (村人らに虐《しいた》げられつつ)堪忍ね、堪忍、堪忍して、よう。堪忍……あれえ。
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からりと鳴って、響くと斉《ひと》しく、金色《こんじき》の機《はた》の梭《ひ》、一具宙を飛落《とびお》つ。一同|吃驚《きっきょう》す。社殿の片扉《かたとびら》、颯《さっ》と開《ひら》く。
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巫女 (階《きざはし》を馳《は》せ下《くだ》る。髪は姥子《おばこ》に、鼠小紋《ねずみこもん》の紋着《もんつき》、胸に手箱を掛けたり。馳せ出《い》でつつ、その落ちたる梭を取って押戴《おしいただ》き、社頭に恭礼し、けいひつを掛く)しい、……しい……しい。……
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一同|茫然《ぼうぜん》とす。
御堂《みどう》正面の扉、両方にさらさらと開《ひら》く、赤く輝きたる光、燦然《さんぜん》として漲《みなぎ》る裡《うち》に、秘密の境《きょう》は一面の雪景《せっけい》。この時ちらちらと降りかかり、冬牡丹《ふゆぼたん》、寒菊《かんぎく》、白玉《しらたま》、乙女椿《おとめつばき》の咲満《さきみ》てる上に、白雪《しらゆき》の橋、奥殿にかかりて玉虹《ぎょっこう》の如きを、はらはらと渡り出《い》づる、気高《けだか》く、世にも美しき媛神《ひめがみ》の姿見ゆ。
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媛神 (白がさねして、薄紅梅《うすこうばい》に銀のさや形《がた》の衣《きぬ》、白地《しろじ》金襴《きんらん》の帯。髻《もとどり》結いたる下髪《さげがみ》の丈《たけ》に余れるに、色|紅《くれない》にして、たとえば翡翠《ひすい》の羽《はね》にてはけるが如き一条《ひとすじ》の征矢《そや》を、さし込みにて前簪《まえかんざし》にかざしたるが、瓔珞《ようらく》を取って掛けし襷《たすき》を、片はずしにはずしながら、衝《つ》と廻廊の縁に出《い》づ。凛《りん》として)お前たち、何をする。
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――(一同ものも言い得ず、ぬかずき伏す。少しおくれて、童男《どうだん》と童女《どうじょ》と、ならびに、目一つの怪しきが、唐輪《からわ》と切禿《きりかむろ》にて、前なるは錦《にしき》の袋に鏡を捧げ、後《あと》なるは階《きざはし》を馳《は》せ下《くだ》り、巫女《みこ》の手より梭《ひ》を取り受け、やがて、欄干《らんかん》擬宝珠《ぎぼうしゅ》の左右に控う。媛神、立直《たてなお》りて)――お沢さん、お沢さん。
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巫女 (取次ぐ)お女中《じょちゅう》、可恐《おそろし》い事はないぞな、はばかり多《おお》や、畏《かしこ》けれど、お言葉ぞな、あれへの、おん前《まえ》への。
お沢 はい――はい……
媛神 まだ形代《かたしろ》を確《しっか》り持っておいでだね。手がしびれよう。姥《うば》、預
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