多神教
泉鏡花

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)美濃《みの》

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(例)一連皆|素朴《そぼく》な

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(例)※[#「魚+會」、第4水準2−93−83]《なます》も
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場所  美濃《みの》、三河《みかわ》の国境。山中の社《やしろ》――奥の院。
名   白寮権現《はくりょうごんげん》、媛神《ひめがみ》。(はたち余に見ゆ)神職。(榛貞臣《はしばみさだおみ》。修験《しゅげん》の出)禰宜《ねぎ》。(布気田《ふげた》五郎次)老いたる禰宜。雑役の仕丁《しちょう》。(棚村《たなむら》久内)二十五座の太鼓の男。〆太鼓《しめだいこ》の男。笛の男。おかめの面の男。道化の面の男。般若《はんにゃ》の面の男。後見一人。お沢。(或男の妾《めかけ》、二十五、六)天狗《てんぐ》。(丁々坊《ちょうちょうぼう》)巫女《みこ》。(五十ばかり)道成寺《どうじょうじ》の白拍子《しらびょうし》に扮《ふん》したる俳優《やくしゃ》。一ツ目小僧の童男童女。村の児《こ》五、六人。
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禰宜 (略装にて)いや、これこれ(中啓《ちゅうけい》を挙《あ》げて、二十五座の一連《いちれん》に呼掛《よびか》く)大分《だいぶ》日もかげって参った。いずれも一休みさっしゃるが可《よ》いぞ。
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この言葉のうち、神楽《かぐら》の面々、踊《おどり》の手を休《や》め、従って囃子《はやし》静まる。一連皆|素朴《そぼく》なる山家人《やまがびと》、装束《しょうぞく》をつけず、面《めん》のみなり。――落葉散りしき、尾花《おばな》むら生《お》いたる中に、道化《どうけ》の面、おかめ、般若《はんにゃ》など、居《い》ならび、立添《たちそ》い、意味なき身ぶりをしたるを留《とど》む。おのおのその面をはずす、年は三十より四十ばかり。後見《こうけん》最も年配なり。
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後見 こりゃ、へい、……神《かん》ぬし様。
道化の面の男 お喧《やかま》しいこんでござりますよ。
〆太鼓の男 稽古中《けいこちゅう》のお神楽で、へい、囃子《はやし》ばかりでも、大抵|村方《むらかた》は浮かれ上《あが》っておりますだに、面や装束をつけましては、媼《ばば》、媽々《かか》までも、仕事|稼《かせ》ぎは、へい、手につきましねえ。
笛の男 明後日《あさって》げいから、お社《やしろ》の御《ご》祭礼で、羽目《はめ》さはずいて遊びますだで、刈入時《かりいれどき》の日は短《みじけ》え、それでは気の毒と存じまして、はあ、これへ出合いましたでごぜえますがな。
般若の面の男 見よう見真似《みまね》の、から猿《ざる》踊りで、はい、一向《いっこう》にこれ、馴《な》れませぬものだでな、ちょっくらばかり面をつけて見ます了見《りょうけん》の処《ところ》。……根からお麁末《そまつ》な御馳走《ごちそう》を、とろろも※[#「魚+會」、第4水準2−93−83]《なます》も打《ぶ》ちまけました。ついお囃子に浮かれ出《だ》いて、お社の神様、さぞお見苦しい事でがんしょとな、はい、はい。
禰宜 ああ、いやいや、さような斟酌《しんしゃく》には決して及ばぬ。料理|方《かた》が摺鉢《すちばち》俎板《まないた》を引《ひっ》くりかえしたとは違うでの、催《もよおし》ものの楽屋《がくや》はまた一興じゃよ。時に日もかげって参ったし、大分《だいぶ》寒うもなって来た。――おお沢山な赤蜻蛉《あかとんぼ》じゃ、このちらちらむらむらと飛散《とびち》る処へ薄日《うすび》の射《さ》すのが、……あれから見ると、近間《ちかま》ではあるが、もみじに雨の降るように、こう薄《うっす》りと光ってな、夕日に時雨《しぐれ》が来た風情《ふぜい》じゃ。朝夕《あさゆう》存じながら、さても、しんしんと森は深い。(樹立《こだち》を仰いで)いずれも濡《ぬ》れよう、すぐにまた晴《はれ》の役者衆《やくしゃしゅう》じゃ。些《ち》と休まっしゃれ。御酒《みき》のお流れを一つ進じよう。神職のことづけじゃ、一所《いっしょ》に、あれへ参られい。
後見 なあよ。
太鼓の男 おおよ。(言交《いいかわ》す。)
道化の面の男 かえっておぞうさとは思うけんどが。
笛の男 されば。
おかめの面の男 御挨拶《ごあいさつ》べい、かたがただで。(いずれも面を、楽しげに、あるいは背、あるいは胸にかけたるまま。)
後見 はい、お供して参りますで。
禰宜 さあさあ、これ。――いや、小児衆《こどもしゅ》――(渠《かれ》ら幼きが女の児《こ》二人、男の子三人にて、はじめより神楽を見て立つ)――一遊び遊んだら、暮れぬ間《ま》に帰らっしゃい。
後見 これ、立巌《たちいわ》にも、一本橋《いっぽんばし》にも、えっと気をつきょうぞよ。
小児一 ああ。
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かくて社家《しゃけ》の方《かた》、樹立《こだち》に入《い》る。もみじに松を交《まじ》う。社家は見えず。
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小児二 や、だいぶ散らかした。
小児三 そうだなあ。
小児一 よごれやしないやい、木《き》の葉だい。
小児二 木の葉でも散らばった、でよう。
女児一 もみじでも、やっぱり掃くの?
女児二 茣蓙《ござ》の上に散っていれば、内でもお掃除《そうじ》するわ。
女児一 神様のいらっしゃる処よ、きれいにして行きましょう。
女児二 お縁は綺麗《きれい》よ。
小児一 じゃあ、階段《だんだん》から。おい、箒《ほうき》の足りないものは手で引掻《ひっか》け。
女児一 私《わたし》は袂《たもと》にするの。
小児二 乱暴だなあ、女のくせに。
女児三 だって、真紅《まっか》なのだの、黄色い銀杏《いちょう》だの、故《わざ》とだって懐《ふところ》へさ、入《い》れる事よ。
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折れたる熊手《くまで》、新しきまた古箒《ふるぼうき》を手《て》ん手《で》に引出《ひきいだ》し、落葉《おちば》を掻寄《かきよ》せ掻集め、かつ掃きつつ口々に唄《うた》う。
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「お正月は何処《どこ》まで、
 からから山の下まで、
 土産《みやげ》は何《なん》じゃ。
 榧《かや》や、勝栗《かちぐり》、蜜柑《みかん》、柑子《こうじ》、橘《たちばな》。」……
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お沢 (向って左の方《かた》、真暗《まっくら》に茂れる深き古杉の樹立《こだち》の中より、青味の勝ちたる縞《しま》の小袖《こそで》、浅葱《あさぎ》の半襟《はんえり》、黒繻子《くろじゅす》の丸帯《まるおび》、髪は丸髷《まるまげ》。鬢《びん》やや乱れ、うつくしき俤《おもかげ》に窶《やつ》れの色見ゆ。素足《すあし》草履穿《ぞうりばき》にて、その淡き姿を顕わし、静《しずか》に出《い》でて、就中《なかんずく》杉の巨木《きょぼく》の幹に凭《よ》りつつ――間《ま》。――小児《こども》らの中に出《い》づ)まあ、いいお児《こ》ね、媛神《ひめがみ》様のお庭の掃除をして、どんなにお喜びだか知れません――姉《ねえ》さん……(寂《さびし》く微笑《ほほえ》む)あの、小母《おば》さんがね、ほんの心ばかりの御褒美《ごほうび》をあげましょう。一度お供物《くもつ》にしたのですよ。さあ、お菓子。
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小児《こども》ら、居分《いわか》れて、しげしげ瞻《みまも》る。
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お沢 さあ、めしあがれ。
小児一 持って行《ゆ》くの。
女児一 頂いて帰るの。(皆いたいけに押頂《おしいただ》く。)
お沢 まあ。何故《なぜ》ね。
女児二 でも神様が下さるんですもの。
お沢 ああ、勿体《もったい》ない。私《わたし》はお三《さん》どんだよ、箒を一つ貸して頂戴《ちょうだい》。
小児二 じゃあ、おつかい姫だ。
女児一 きれいな姉《ねえ》さん。
女児二 こわいよう。
小児一 そんな事いうと、学校で笑われるぜ。
女児一 だって、きれいな小母《おば》さん。
女児二 こわいよう。
小児二 少しこわいなあ。
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いい次ぎつつ、お沢《さわ》の落葉を掻寄《かきよ》する間《ま》に、少しずつやや退《すさ》る。
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小児一 お正月かも知れないぜ。この山まで来たんだ。
小児二 や、お正月は女か。
小児三 知らない。
小児一 狐《きつね》だと大変だなあ。
小児二 そうすりゃこのお菓子なんか、家《うち》へ帰ると、榧《かや》や勝栗だ。
小児三 そんなら可《い》いけれど、皆《みんな》木の葉だ。
女の児たち きゃあ――
男の児たち やあ、転《ころ》ぶない。弱虫やい。――(かくて森蔭《もりかげ》にかくれ去る。)
お沢 (箒を堂の縁下《えんした》に差置き、御手洗《みたらし》にて水を掬《すく》い、鬢《かみ》掻撫《かきな》で、清き半巾《ハンケチ》を袂《たもと》にし、階段の下に、少時《しばし》ぬかずき拝む。静寂。きりきりきり、はたり。何処《どこ》ともなく機織《はたおり》の音聞こゆ。きりきりきり、はたり。――お沢。面《おもて》を上げ、四辺《あたり》を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》し耳を澄ましつつ、やがて階段に斜《ななめ》に腰|打掛《うちか》く。なお耳を傾け傾け、きりきりきり、はたり。間調子《まぢょうし》に合わせて、その段の欄干を、軽く手を打ちて、機織の真似し、次第に聞惚《ききほ》れ、うっとりとなり、おくれ毛《げ》はらはらとうなだれつつ仮睡《いねむ》る。)
仕丁 (揚幕《あげまく》の裡《うち》にて――突拍子《とっぴょうし》なる猿《さる》の声)きゃッきゃッきゃッ。(乃《すなわ》ち面長《つらなが》き老猿《ふるざる》の面を被《かぶ》り、水干《すいかん》烏帽子《えぼし》、事触《ことぶれ》に似たる態《なり》にて――大根《だいこん》、牛蒡《ごぼう》、太人参《ふとにんじん》、大蕪《おおかぶら》。棒鱈《ぼうだら》乾鮭《からざけ》堆《うずたか》く、片荷《かたに》に酒樽《さかだる》を積みたる蘆毛《あしげ》の駒《こま》の、紫なる古手綱《ふるたづな》を曳《ひ》いて出《い》づ)きゃッ、きゃッ、きゃッ、おきゃッ、きゃア――まさるめでとうのう仕《つかまつ》る、踊るが手もと立廻り、肩に小腰《こごし》をゆすり合わせ、と、ああふらりふらりとする。きゃッきゃッきゃッきゃッ。あはははは。お馬丁《べっとう》は小腰をゆするが、蘆毛《あしげ》よ。(振向く)お厩《うまや》が近うなって、和《わ》どのの足はいよいよ健かに軽いなあ。この裏坂《うらざか》を帰らいでも、正面の石段、一飛びに翼《つばさ》の生じた勢《いきおい》じゃ。ほう、馬に翼が生《は》えて見い。われらに尻尾《しっぽ》がぶら下る……きゃッきゃッきゃッ。いや化《ばけ》の皮の顕われぬうちに、いま一献《いっこん》きこしめそう。待て、待て。(馬柄杓《まびしゃく》を抜取る)この世の中に、馬柄杓などを何《なん》で持つ。それ、それこのためじゃ。(酒を酌《く》む)ととととと。(かつ面を脱ぐ)おっとあるわい。きゃッきゃッきゃッ。仕丁《しちょう》めが酒を私《わたくし》するとあっては、御前《おんまえ》様、御機嫌むずかしかろう。猿が業《わざ》と御覧《ごろう》ずれば仔細《しさい》ない。途《みち》すがらも、度々《たびたび》の頂戴《ちょうだい》ゆえに、猿の面も被ったまま、脱いでは飲み被っては飲み、質《しち》の出入《だしい》れの忙《せわ》しい酒じゃな。あはははは。おおおお、竜《たつ》の口《くち》の清水《しみず》より、馬の背の酒は格別じゃ、甘露甘露。(舌鼓《したつづみ》うつ)た
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