ましつつ、やがて階段に斜《ななめ》に腰|打掛《うちか》く。なお耳を傾け傾け、きりきりきり、はたり。間調子《まぢょうし》に合わせて、その段の欄干を、軽く手を打ちて、機織の真似し、次第に聞惚《ききほ》れ、うっとりとなり、おくれ毛《げ》はらはらとうなだれつつ仮睡《いねむ》る。)
仕丁 (揚幕《あげまく》の裡《うち》にて――突拍子《とっぴょうし》なる猿《さる》の声)きゃッきゃッきゃッ。(乃《すなわ》ち面長《つらなが》き老猿《ふるざる》の面を被《かぶ》り、水干《すいかん》烏帽子《えぼし》、事触《ことぶれ》に似たる態《なり》にて――大根《だいこん》、牛蒡《ごぼう》、太人参《ふとにんじん》、大蕪《おおかぶら》。棒鱈《ぼうだら》乾鮭《からざけ》堆《うずたか》く、片荷《かたに》に酒樽《さかだる》を積みたる蘆毛《あしげ》の駒《こま》の、紫なる古手綱《ふるたづな》を曳《ひ》いて出《い》づ)きゃッ、きゃッ、きゃッ、おきゃッ、きゃア――まさるめでとうのう仕《つかまつ》る、踊るが手もと立廻り、肩に小腰《こごし》をゆすり合わせ、と、ああふらりふらりとする。きゃッきゃッきゃッきゃッ。あはははは。お馬丁《べっとう》は小腰をゆするが、蘆毛《あしげ》よ。(振向く)お厩《うまや》が近うなって、和《わ》どのの足はいよいよ健かに軽いなあ。この裏坂《うらざか》を帰らいでも、正面の石段、一飛びに翼《つばさ》の生じた勢《いきおい》じゃ。ほう、馬に翼が生《は》えて見い。われらに尻尾《しっぽ》がぶら下る……きゃッきゃッきゃッ。いや化《ばけ》の皮の顕われぬうちに、いま一献《いっこん》きこしめそう。待て、待て。(馬柄杓《まびしゃく》を抜取る)この世の中に、馬柄杓などを何《なん》で持つ。それ、それこのためじゃ。(酒を酌《く》む)ととととと。(かつ面を脱ぐ)おっとあるわい。きゃッきゃッきゃッ。仕丁《しちょう》めが酒を私《わたくし》するとあっては、御前《おんまえ》様、御機嫌むずかしかろう。猿が業《わざ》と御覧《ごろう》ずれば仔細《しさい》ない。途《みち》すがらも、度々《たびたび》の頂戴《ちょうだい》ゆえに、猿の面も被ったまま、脱いでは飲み被っては飲み、質《しち》の出入《だしい》れの忙《せわ》しい酒じゃな。あはははは。おおおお、竜《たつ》の口《くち》の清水《しみず》より、馬の背の酒は格別じゃ、甘露甘露。(舌鼓《したつづみ》うつ)たったったっ、甘露甘露。きゃッきゃッきゃッ。はて、もう御前《おんまえ》に近い。も一度馬柄杓でもあるまいし、猿にも及ぶまい。(とろりと酔える目に、あなたに、階《きざはし》なるお沢の姿を見る。慌《あわただ》しくまうつむけに平伏《ひれふ》す)ははッ、大権現《だいごんげん》様、御免なされ下さりませ、御免なされ下さりませ。霊験《あらたか》な御姿《おすがた》に対し恐多《おそれおお》い。今やなぞ申しましたる儀は、全く譫言《たわごと》にござります。猿の面を被りましたも、唯おみきを私《わたくし》しょう、不届《ふとどき》ばかりではござりませぬ、貴女様御祭礼の前日夕、お厩《うまや》の蘆毛を猿が曳《ひ》いて、里方《さとかた》を一巡いたしますると、それがそのままに風雨順調、五穀|成就《じょうじゅ》、百難|皆除《かいじょ》の御神符《ごしんぷ》となります段を、氏子中《うじこじゅう》申伝《もうしつた》え、これが吉例《きちれい》にござりまして、従って、海つもの山つものの献上を、は、はッ、御覧の如く清らかに仕《つかまつ》りまする儀でござりまして、偏《ひとえ》にこれ、貴女様御威徳にござります。お庇《かげ》を蒙《こうむ》りまする嬉《うれ》しさの余り、ついたべ酔いまして、申訳《もうしわけ》もござりませぬ。真平御免《まっぴらおゆる》され下されまし。ははッ、(恐る恐る地につけたる額《ひたい》を擡《もた》ぐ。お沢。うとうととしたるまま、しなやかに膝《ひざ》をかえ身動《みじろ》ぎす。長襦袢《ながじゅばん》の浅葱《あさぎ》の褄《つま》、しっとりと幽《かすか》に媚《なま》めく)それへ、唯今それへ参りまする。恐れ恐れ。ああ、恐れ。それ以《もっ》て、烏帽子きた人の屑《くず》とも思召《おぼしめ》さず、面《つら》の赤い畜生《ちくしょう》とお見許し願わしう、はッ、恐れ、恐れ。(再び猿の面を被りつつも進み得ず、馬の腹に添い身を屈《かが》め、神前を差覗《さしのぞ》く)蘆毛よ、先へ立てよ。貴女様み気色《けしき》に触《ふる》る時は、矢の如く鬢櫛《びんぐし》をお投げ遊ばし、片目をお潰《つぶ》し遊ばすが神罰と承る。恐れ恐れ。(手綱を放たれたる蘆毛は、頓着《とんじゃく》なく衝《つ》と進む。仕丁は、ひょこひょこと従い続く。舞台やがて正面にて、蘆毛は一気に厩《うまや》の方《かた》、右手もみじの中にかくる。この一気に、尾の煽《あおり》をくらえる如く、
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