仕丁、ハタと躓《つまず》き四《よ》つに這《は》い、面を落す。慌《あわ》てて懐《ふところ》に捻込《ねじこ》む時、間近《まぢか》にお沢を見て、ハッと身を退《すさ》りながら凝《じっ》と再び見直す)何《なん》じゃ、人か、参詣《さんけい》のものか。はて、可惜《あったら》二つない肝《きも》を潰《つぶ》した。ほう、町方《まちかた》の。……艶々《つやつや》と媚《なま》めいた婦《おんな》じゃが、ええ、驚かしおった、おのれ! しかも、のうのうと居睡《いねむ》りくさって、何処《どこ》に、馬の通るを知らぬ婦があるものか、野放図《のほうず》な奴《やつ》めが。――いやいや、御堂《みどう》、御社《みやしろ》に、参籠《さんろう》、通夜《つや》のものの、うたたねするは、神の御《お》つげのある折じゃと申す。神慮のほども畏《かしこ》い。……眠《ねむり》を驚かしてはなるまいぞ。(抜足《ぬきあし》に社前を横ぎる時、お沢。うつつに膝を直さんとする懐中より、一|挺《ちょう》の鉄槌《かなづち》ハタと落つ。カタンと鳴る。仕丁。この聊《いささか》の音にも驚きたる状《さま》して、足を爪立《つまだ》てつつ熟《じっ》と見て、わなわなと身ぶるいするとともに、足疾《あしばや》に樹立《こだち》に飛入《とびい》る。間《ま》。――懐紙《かいし》の端《はし》乱れて、お沢の白き胸《むな》さきより五寸|釘《くぎ》パラリと落つ。)
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白寮権現《はくりょうごんげん》の神職を真先《まっさき》に、禰宜《ねぎ》。村人《むらびと》一同。仕丁続いて出《い》づ――神職、年四十ばかり、色白く肥えて、鼻下《びか》に髯《ひげ》あり。落ちたる鉄槌を奪うと斉《ひと》しく、お沢の肩を掴《つか》む。
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神職 これ、婦《おんな》。
お沢 (声の下に驚き覚《さ》め、身を免《のが》れんとして、階前には衆の林立せるに遁場《にげば》を失い、神職の手を振りもぎりながら)御免なさいまし、御免なさいまし。(一度|階《きざはし》をのぼりに、廻廊の左へ遁ぐ。人々は縁下《えんした》より、ばらばらとその行く方《ほう》を取巻く。お沢。遁げつつ引返《ひきかえ》すを、神職、追状《おいざま》に引違《ひきちが》え、帯|際《ぎわ》をむずと取る。ずるずる黒繻子《くろじゅす》の解くるを取って棄て、引据《ひきす》え、お沢の両手をもて犇《ひし》と蔽《おお》う乱れたる胸に、岸破《がば》と手を差入《さしいれ》る)あれ、あれえ。
神職 (発《あば》き出したる形代《かたしろ》の藁《わら》人形に、すくすくと釘の刺《ささ》りたるを片手に高く、片手に鉄槌を翳《かざ》すと斉しく、威丈高《いたけだか》に突立上《つッたちあが》り、お沢の弱腰《よわごし》を※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》と蹴《け》る)汚らわしいぞ! 罰当《ばちあた》り。
お沢 あ。(階《きざはし》を転《まろ》び落つ。)
神職 鬼畜、人外《にんがい》、沙汰《さた》の限りの所業をいたす。
禰宜 いや何とも……この頃《ごろ》の三《み》晩|四《よ》晩、夜《よ》ふけ小《さ》ふけに、この方角……あの森の奥に当って、化鳥《けちょう》の叫ぶような声がしまするで、話に聞く、咒詛《のろい》の釘かとも思いました。なれど、場所|柄《がら》ゆえの僻耳《ひがみみ》で、今の時節に丑《うし》の刻参《ときまいり》などは現《うつつ》にもない事と、聞き流しておったじゃが、何と先《ま》ず……この雌鬼《めすおに》を、夜叉《やしゃ》を、眼前に見る事わい。それそれ俯向《うつむ》いた頬骨《ほおぼね》がガッキと尖《とが》って、頤《あご》は嘴《くちばし》のように三角|形《なり》に、口は耳まで真赤《まっか》に裂けて、色も縹《はなだいろ》になって来た。
般若の面の男 (希有《けう》なる顔して)禰宜様や、私《わし》らが事をおっしゃるずらか。
禰宜 気《け》もない事、この女夜叉《にょやしゃ》の悪相《あくそう》じゃ。
般若の面の男 ほう。
道化の面の男 (うそうそと前に出《い》づ)何と、あの、打込む太鼓……
〆太鼓の男 何じゃい。何じゃい。
道化の面 いや、太鼓ではない。打込む、それよ、カーンカーンと五寸釘……あの可恐《おそろし》い、藁の人形に五寸釘ちゅうは、はあ、その事でござりますかね。(下より神職の手に伸上《のびあが》る。)
笛の男 (おなじく伸上る)手首、足首、腹の真中(我が臍《へそ》を圧《おさ》えて反《そ》る)ひゃあ、みしみしと釘の頭も見えぬまで打込んだ。ええ、血など、ぼたれてはいぬずらか。
神職 (彼が言《ことば》のままに、手、足、胴|腹《はら》を打返して藁人形を翳《かざ》し見る)血も滴《た》りょう。…藁も肉のように裂けてある。これ、寄るまい。(この時人々の立かかる
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