処じゃ。天井から、釣鐘《つりがね》が、ガーンと落ちて、パイと白拍子が飛込む拍子に――御矢《おんや》が咽喉《のど》へ刺《ささ》った。(居《い》ずまいを直す)――ははッ、姫君。大《おお》釣鐘と白拍子と、飛ぶ、落つる、入違《いれちが》いに、一矢《ひとや》、速《すみやか》に抜取りまして、虚空《こくう》を一飛びに飛返ってござる。が、ここは風が吹きぬけます。途《みち》すがら、遠州|灘《なだ》は、荒海《あらうみ》も、颶風《はやて》も、大雨《おおあめ》も、真の暗夜《やみよ》の大暴風雨《おおあらし》。洗いも拭《ぬぐ》いもしませずに、血ぬられた御矢は浄《きよ》まってござる。そのままにお指料《さしりょう》。また、天を飛びます、その御矢の光りをもって、沖に漂いました大船《たいせん》の難破一|艘《そう》、乗組んだ二百あまりが、方角を認め、救われまして、南無大権現《なむだいごんげん》、媛神様と、船の上に黒く並んで、礼拝《らいはい》恭礼をしましてござる。――御利益《ごりやく》、――御奇特《ごきどく》、祝着《しゅうじゃく》に存じ奉る。
巫女 お喜びを申上げます。
媛神 (梢を仰ぐ)ああ、空にきれいな太白星《たいはくせい》。あの光りにも恥かしい、……私《わたし》の紅《あか》い簪《かんざし》なんぞ。……
神職 御神《おんかみ》、かけまくもかしこき、あやしき御神、このまま生命《いのち》を召さりょうままよ、遊ばされました事すべて、正しき道でござりましょうか――榛貞臣《はしばみさだおみ》、平《ひら》に、平に。……押して伺いたてまつる。
媛神 存じません。
禰宜 ええ、御神《おんかみ》、御神。
媛神 知らない。
[#ここから4字下げ]
――「平《ひら》に一同、」「一同|偏《ひとえ》に、」「押して伺い奉る、」村人らも異口同音にやや迫りいう――
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
巫女 知らぬ、とおっしゃる。
神職 いや、神々の道が知れませいでは、世の中は東西南北を相失いまする。
媛神 廻ってお歩行《ある》きなさいまし、お沢さんをぐるぐると廻したように、ほほほ。そうして、道の返事は――ああ、あすこでしている。あれにお聞き。
[#ここから4字下げ]
「のりつけほうほう、ほうほう、」――梟《ふくろう》鳴く。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
神職 何、あの梟鳥《ふくろどり》をお返事とは?
媛神 あなた方《がた》の言う事は、私《わたし》には、時々あのように聞こえます。よくお聞きなさるがよい。
[#ここから4字下げ]
――梟、頻《しきり》に鳴く。「のりつけほうほう」――
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
老仕丁 のりつけほうほう。のりたもうや、つげたもうや。あやしき神の御声《おんこえ》じゃ、のりつけほうほう。(と言うままに、真先《まっさき》に、梟に乗憑《のりうつ》られて、目の色あやしく、身ぶるいし、羽搏《はばたき》す。)
[#ここから4字下げ]
――これを見詰めて、禰宜と、仕丁と、もろともに、のり憑《つ》かれ、声を上ぐ。――「のりつけほう。――のりつけほうほう、ほう。」
次第に村人ら皆|憑《うつ》らる――「のりつけほうほう。ほうほう。ほうほう」――
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
神職 言語《ごんご》道断、ただ事《ごと》でない、一方《ひとかた》ならぬ、夥多《おびただ》しい怪異じゃ。したたかな邪気じゃ。何が、おのれ、何が、ほうほう……
[#ここから1字下げ]
(再び太刀《たち》を抜き、片手に幣を振り、飛《とび》より、煽《あお》りかかる人々を激しくなぎ払い打ち払う間《あいだ》、やがて惑乱し次第に昏迷《こんめい》して――ほうほう。――思わず袂《たもと》をふるい、腰を刎《は》ねて)ほう、ほう、のりつけ、のりつけほう。のりつけほう。〔備考、この時、看客《かんかく》あるいは哄笑《こうしょう》すべし。敢《あえ》て煩わしとせず。〕(恁《か》くして、一人一人、枝々より梟の呼び取る方《ほう》に、ふわふわとおびき入れらる。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
丁々坊 ははははは。(腹を抱《かか》えて笑う。)
媛神 姥《うば》、お客を帰そう。あらしが来そうだから。
巫女 御意《ぎょい》。
媛神 蘆毛《あしげ》、蘆毛。――(駒《こま》、おのずから、健かに、すとすと出《い》づ。――ほうほうのりつけほうほう――と鳴きつつ来《きた》る。媛神。軽く手を拍《う》つや、その鞍《くら》に積めるままなる蕪《かぶ》、太根《だいこ》、人参《にんじん》の類《るい》、おのずから解けてばらばらと左右に落つ。駒また高らかに鳴く。のりつけほうほう。―
前へ 次へ
全14ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング