―)
媛神 ほほほほ、(微笑《ほほえ》みつつ寄りて、蘆毛の鼻頭《はなづら》を軽く拊《う》つ)何だい、お前まで。(駒、高嘶《たかいなな》きす)〔――この時、看客の笑声《しょうせい》あるいは静まらん。然《しか》らんには、この戯曲なかば成功たるべし。〕――お沢さん、疲れたろう。乗っておいで。姥《うば》は影に添って、見送ってお上げ――人里まで。
お沢 お姫様。
巫女 もろともにお礼をば申上げます。
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蘆毛は、ひとりして鰭爪《ひづめ》軽く、お沢に行く。
[#ここで字下げ終わり]
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丁々坊 ははは、この梟、羽を生《はや》せ。(戯れながら――熊手にかけて、白拍子の躯《むくろ》、藁人形、そのほか、釘、獣皮などを掻《か》き浚《さら》う。)
巫女 さ、このお娘《こ》。――貴女様に、御挨拶《ごあいさつ》申上げて……
お沢 (はっと手をつかう)お姫様。草刈《くさかり》、水汲《みずくみ》いたします。お傍《そば》にいとう存じます。
媛神 (廻廊に立つ)――私《わたし》の傍《そば》においでだと、一つ目のおばけに成ります、可恐《こわ》い、可恐い、……それに第一、こんな事、二度とはいけません。早く帰って、そくさいにおくらし。――駒に乗るのに坐っていないで、遠慮のう。
お沢 (涙ぐみつつ)お姫様。
巫女 丁《ちょう》どや――丑《うし》の上刻《じょうこく》ぞの。(手綱《たづな》を取る。)
媛神 (鬢《びん》に真白《ましろ》き手を、矢を黒髪に、女性《にょしょう》の最も優しく、なよやかなる容儀見ゆ。梭《ひ》を持てるが背後《うしろ》に引添い、前なる女の童《わらべ》は、錦の袋を取出《とりい》で下より翳《かざ》し向く。媛神、半ば簪《かざ》して、その鏡を視《み》る。丁々坊は熊手をあつかい、巫女《みこ》は手綱を捌《さば》きつつ――大空《おおぞら》に、笙《しょう》、篳篥《ひちりき》、幽《ゆう》なる楽《がく》。奥殿《おくでん》に再び雪ふる。まきおろして)――
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ]――幕――



底本:「海神別荘 他二篇」岩波文庫、岩波書店
   1994(平成6)年4月18日第1刷発行
   2001(平成13)年1月15日第4刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十六巻」岩波書店
   1942(昭和17)年10月15日第1刷発行
初出:「文藝春秋」
   1927(昭和2)年3月
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2007年4月9日作成
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