神職の足近く、どさと差置く。)
神職 神のおおせじゃ、婦《おんな》、下におれ。――誰《た》ぞ御灯《みあかし》をかかげい――(村人一人、燈《とう》を開《ひら》く。灯《ひ》にすかして)それは何だ。穿出《ほりだ》したものか、ちびりと濡《ぬ》れておる。や、(足を爪立《つまだ》つ)蛇《へび》が絡《から》んだな。
禰宜 身《み》どもなればこそ、近う寄っても見ましたれ。これは大木《たいぼく》の杉の根に、草にかくしてござりましたが、おのずから樹《き》の雫《しずく》のしたたります茂《しげみ》ゆえ、びしゃびしゃと濡れております。村の衆は一目見ますと、声も立てずに遁《に》ぎょうとしました。あの、円肌《まるはだ》で、いびつづくった、尾も頭も短う太い、むくりむくり、ぶくぶくと横にのたくりまして、毒気《どくき》は人を殺すと申す、可恐《おそろし》く、気味の悪い、野槌《のづち》という蛇そのままの形に見えました。なれども、結んだのは生蛇《なまへび》ではござりませぬ。この悪念でも、さすがは婦《おんな》で、包《つつみ》を結《ゆわ》えましたは、継合《つぎあ》わせた蛇の脱殻《ぬけがら》でござりますわ。
神職 野槌か、ああ、聞いても忌《いま》わしい。……人目に触れても近寄らせまい巧《たくみ》じゃろ、企《たく》んだな。解け、解け。
禰宜 (解きつつ)山犬か、野狐か、いや、この包みました皮は、狢《むじな》らしうござります。
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一同目を注ぐ。お沢はうなだれ伏す。
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神職 鏡――うむ、鉄輪《かなわ》――うむ、蝋燭《ろうそく》――化粧道具、紅《べに》、白粉《おしろい》。おお、お鉄漿《はぐろ》、可厭《いや》なにおいじゃ。……別に鉄槌《かなづち》、うむ、赤錆《あかさび》、黒錆、青錆の釘《くぎ》、ぞろぞろと……青い蜘蛛《くも》、紅《あか》い守宮《やもり》、黒|蜥蜴《とかげ》の血を塗ったも知れぬ。うむ、(きらりと佩刀《はいとう》を抜きそばむると斉《ひと》しく、藁人形をその獣《けもの》の皮に投ぐ)やあ、もはや陳《ちん》じまいな、婦《おんな》。――で、で、で先ず、男は何ものだ。
お沢 (息の下にて言う)俳優《やくしゃ》です。
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――「俳優《やくしゃ》、」「ほう俳優。」「俳優。」と口々に言い継ぐ。
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神職 何《なん》じゃ、俳優《やくしゃ》?……――町へ参ってでもおるか。国のものか。
お沢 いいえ、大阪に――
禰宜 やけに大胆に吐《ぬか》すわい。
神職 おのれは、その俳優《やくしゃ》の妾《めかけ》か。
お沢 いいえ。
神職 聞けば、聞けば聞くほど、おのれは、ここだくの邪淫《じゃいん》を侵す。言うまでもない、人の妾となって汚れた身を、鏝塗《こてぬり》上塗《うわぬり》に汚しおる。あまつさえ、身のほどを弁《わきま》えずして、百四、五十里、二百里近く離れたままで人を咒詛《のろ》う。
仕丁 その、その俳優《やくしゃ》は、今大阪で、名は何と言うかな。姉《あね》様。
神職 退《さが》れ、棚村。恁《かか》る場合に、身らが、その名を聞き知っても、禍《わざわい》は幾分か、その呪詛《のろ》われた当人に及ぶと言う。聞くな。聞けば聞くほど、何が聞くほどの事もない。――淫奔《いんぽん》、汚濁、しばらくの間《ま》も神の御前《みまえ》に汚らわしい。茨《いばら》の鞭《むち》を、しゃつの白脂《しろあぶら》の臀《しり》に当てて石段から追落《おいおと》そう。――が呆《あき》れ果てて聞くぞ、婦《おんな》。――その釘を刺した形代《かたしろ》を、肌に当てて居睡《いねむ》った時の心持は、何とあった。
お沢 むずむず痒《かゆ》うございました。
禰宜 何《なん》じゃ藁人形をつけて……肌が痒い。つけつけと吐《ぬか》す事よ。これは気が変になったと見える。
お沢 いいえ、夢は地獄の針の山。――目の前に、茨に霜の降《ふ》りましたような見上げる崖《がけ》がありまして、上《あが》れ上れと恐しい二つの鬼に責められます。浅ましい、恥しい、裸身《はだかみ》に、あの針のざらざら刺さるよりは、鉄棒《かなぼう》で挫《くじ》かれたいと、覚悟をしておりましたが、馬が、一頭《ひとつ》、背後《うしろ》から、青い火を上げ、黒煙《くろけむり》を立てて駈《か》けて来て、背中へ打《ぶ》つかりそうになりましたので、思わず、崖へころがりますと、形代《かたしろ》の釘でございましょう、針の山の土が、ずぶずぶと、この乳《ちち》へ……脇《わき》の下へも刺《ささ》りましたが、ええ、痛いのなら、うずくのなら、骨が裂けても堪《こた》えます。唯くわッと身うちがほてって、その痒《かゆ》いこと、むず痒さに、懐中《ふところ》へ手を
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