りに、手拭《てぬぐい》に畳込んで、うしろ顱巻《はちまき》なんぞして、非常な勢《いきおい》だったんですが、猪口《ちょこ》の欠《かけ》の踏抜きで、痛《いたみ》が甚《ひど》い、お祟《たたり》だ、と人に負《おぶ》さって帰りました。
その立廻りですもの。灯《あかり》が危いから傍《わき》へ退《の》いて、私はそのたびに洋燈《ランプ》を圧《おさ》え圧えしたんですがね。
坐ってる人が、ほんとに転覆《ひっくりかえ》るほど、根太《ねだ》から揺れるのでない証拠には、私が気を着けています洋燈《ランプ》は、躍りはためくその畳の上でも、静《じっ》として、ちっとも動きはせんのです。
しかしまた洋燈ばかりが、笠から始めて、ぐるぐると廻った事がありました。やがて貴僧《あなた》、風車《かざぐるま》のように舞う、その癖、場所は変らないので、あれあれと云う内に火が真丸《まんまる》になる、と見ている内、白くなって、それに蒼味《あおみ》がさして、茫《ぼう》として、熟《じっ》と据《すわ》る、その厭《いや》な光ったら。
映る手なんざ、水へ突込《つッこ》んでるように、畝《うね》ったこの筋までが蒼白く透通って、各自《てんで》の顔は、皆《みんな》その熟した真桑瓜《まくわうり》に目鼻がついたように黄色くなったのを、見合せて、呼吸《いき》を詰める、とふわふわと浮いて出て、その晩の座がしらという、一番強がった男の膝へ、ふッと乗ったことがあるんですね。
わッと云うから、騒いじゃ怪我をしますよ、と私が暗い中で声を掛けたのに、猫化《ねこばけ》だ遣《やっ》つけろ、と誰だか一人、庭へ飛出して遁《に》げながら喚《わめ》いた者がある。畜生、と怒鳴って、貴僧、危いの何のじゃない!
※[#「火+發」、189−13]《ぱっ》と明《あかる》くなって旧《もと》の通《とおり》洋燈が見えると、その膝に乗られた男が――こりゃ何です、可《い》い加減な年配でした――かつて水兵をした事があるとか云って、かねて用意をしたものらしい、ドギドギする小刀《ナイフ》を、火屋《ほや》の中から縦に突刺してるじゃありませんか。」
「大変で、はあ、はあ、」
「ト思うと一|呼吸《いき》に、油壺をかけて突壊《つきこわ》したもんだから、流れるような石油で、どうも、後二日ばかり弱りました。
その時は幸に、当人、手に疵《きず》をつけただけ、勢《いきおい》で壊したから、火はそれなり、ばったり消えて、何の事もありませんでしたが、もしやの時と、皆《みんな》が心掛けておきました、蝋燭《ろうそく》を点《つ》けて、跡始末に掛《かか》ると、さあ、可訝《おかし》いのは、今の、怪我で取落した小刀《ナイフ》が影も見えないではありませんか。
驚きました。これにゃ、皆《みんな》が貴僧《あなた》、茶釜《ちゃがま》の中へ紛れ込んで祟《たた》るとか俗に言う、あの蜥蜴《とかげ》の尻尾《しっぽ》の切れたのが、行方知れずになったより余程《よっぽど》厭な紛失もの。襟へ入っていはしないか、むずむずするの、褌《ふんどし》へささっちゃおらんか、ひやりとするの、袂《たもと》か、裾《すそ》か、と立つ、坐る、帯を解きます。
前にも一度、大掃除の検査に、階子《はしご》をさして天井へ上った、警官《おまわり》さんの洋剣《サアベル》が、何かの拍子に倒《さかさま》になって、鍔元《つばもと》が緩んでいたか、すっと抜出《ぬけだ》したために、下に居たものが一人、切られた事がある座敷だそうで。
外のものとは違う。切物《きれもの》は危い、よく探さっしゃい、針を使ってさえ始める時と了《しま》う時には、ちゃんと数を合わせるものだ。それでもよく紛失するが、畳の目にこぼれた針は、奈落へ落ちて地獄の山の草に生える。で、餓鬼が突刺される。その供養のために、毎年六月の一日は、氷室《ひむろ》の朔日《ついたち》と云って、少《わか》い娘が娘同士、自分で小鍋立《こなべだ》ての飯《まま》ごとをして、客にも呼ばれ、呼びもしたものだに、あのギラギラした小刀《ナイフ》が、縁の下か、天井か、承塵《なげし》の途中か、在所《ありどころ》が知れぬ、とあっては済まぬ。これだけは夜一夜《よっぴて》さがせ、と中に居た、酒のみの年寄が苦り切ったので、総立ちになりました。
これは、私だって気味が悪かったんです。」
僧はただ目で応《こた》え、目で頷《うなず》く。
二十四
「洋燈《ランプ》の火でさえ、大概|度胆《どぎも》を抜かれたのが、頼みに思った豪傑は負傷するし、今の話でまた変な気になる時分が、夜も深々と更けたでしょう。
どんな事で、どこから抛《ほう》り投げまいものでもない。何か、対手《あいて》の方も斟酌《しんしゃく》をするか、それとも誰も殺すほどの罪もないか、命に別条はまず無かろうが、怪我は今までにも随分ある。
さあ、捜す、となると、五人の天窓《あたま》へ燭台《しょくだい》が一ツです。蝋《ろう》の継ぎ足しはあるにして、一時《いっとき》に燃すと翌方《あけがた》までの便《たより》がないので、手分けをするわけには行《ゆ》きません。
もうそうなりますとね、一人じゃ先へ立つのも厭《いや》がりますから、そこで私が案内する、と背後《あと》からぞろぞろ。その晩は、鶴谷の檀那寺《だんなでら》の納所《なっしょ》だ、という悟った禅坊さんが一人。変化《へんげ》出でよ、一喝《いっかつ》で、という宵の内の意気組で居たんです。ちっとお差合いですね、」
「いえ、宗旨違いでございます、」
と吃驚《びっくり》したように莞爾《にっこり》する。
「坊さんまじりその人数《にんず》で。これが向うの曲角から、突当りのはばかりへ、廻縁《まわりえん》になっています。ぐるりとその両側、雨戸を開けて、沓脱《くつぬぎ》のまわり、縁の下を覗《のぞ》いて、念のため引返して、また便所《はばかり》の中まで探したが、光るものは火屋《ほや》の欠《かけら》も落ちてはいません。
じゃあ次の室《ま》を……」
と振返って、その大《おおき》なる襖《ふすま》を指した。
「と皆《みんな》が云うから、私は留めました。
ここを借りて、一室《ひとま》だけでも広過ぎるから、来てからまだ一度も次の室《ま》は覗《のぞ》いて見ない。こういう時開けては不可《いけ》ません。廊下から、厠《かわや》までは、宵から通った人もある。転倒《てんどう》している最中、どんな拍子で我知らず持って立って、落して来ないとも限らんから、念のため捜したものの、誰も開けない次の室《ま》へ行ってるようでは、何かが秘《かく》したんだろうから、よし有ったにした処で、先方《さき》にもしその気があれば、怪我もさせよう、傷もつけよう。さて無い、となると、やっぱり気が済まんのは同一《おんなじ》道理。押入も覗《のぞ》け、棚も見ろ、天井も捜せ、根太板をはがせ、となっては、何十人でかかった処で、とてもこの構えうち隅々まで隈《くま》なく見尽される訳のものではない。人足の通った、ありそうな処だけで切上げたが可《い》いでしょう――
それもそうか、いよいよ魔隠しに隠したものなら、山だか川だか、知れたものではない。
まあ、人間|業《わざ》で叶《かな》わん事に、断念《あきら》めは着きましたが、危険《けんのん》な事には変わりはないので。いつ切尖《きっさき》が降って来ようも知れません。ちっとでも楯《たて》になるものをと、皆《みんな》が同一《おなじ》心です。言合わせたように順々に……前《さき》へ御免を被《こうむ》りますつもりで、私が釣っておいた蚊帳へ、総勢六人で、小さくなって屈《かが》みました。
変におしおきでも待ってるようでなお不気味でした。そうか、と云って、夜《よる》夜中《よなか》、外へ遁出《にげだ》すことは思いも寄らず、で、がたがた震える、突伏《つッぷ》す、一人で寝てしまったのがあります、これが一番可いのです。坊様《ぼうさん》は口の裏《うち》で、頻《しきり》にぶつぶつと念じています。
その舌の縺《もつ》れたような、便《たより》のない声を、蚊の唸《うな》る中に聞きながら、私がうとうとしかけました時でした。密《そっ》と一人が揺《ゆす》ぶり起して、
(聞えますか、)
と言います。
(ココだ、ココだ、と云う声が、)と、耳へ口をつけて囁《ささや》くんです。それから、それへ段々、また耳移しに。
(失物《うせもの》はココにある、というお知らせだろう、)
(どうか、)と言う、ひそひそ相談《ばなし》。
耳を澄ますと、蚊帳越の障子のようでもあり、廊下の雨戸のようでもあり、次の間と隔ての襖際《ふすまぎわ》……また柱の根かとも思われて、カタカタ、カタカタと響く――あの茶立虫《ちゃたてむし》とも聞えれば、壁の中で蝙蝠《こうもり》が鳴くようでもあるし、縁の下で、蟇《ひきがえる》が、コトコトと云うとも考えられる。それが貴僧《あなた》、気の持ちようで、ココ、ココ、ココヨとも、ココト、とも云うようなんです。
自分のだけに、手を繃帯《ほうたい》した水兵の方が、一番に蚊帳を出ました。
返す気で、在所《ありか》をおっしゃるからは仔細《しさい》はない、と坊さんがまた這出《はいだ》して、畳に擦附けるように、耳を澄ます。と水兵の方は、真中《まんなか》で耳を傾けて、腕組をして立ってなすったっけ。見当がついたと見えて、目で知らせ合って、上下《うえした》で頷《うなず》いて、その、貴僧《あなた》の背後《うしろ》になってます、」
「え!」
と肩越に淵《ふち》を差覗《さしのぞ》くがごとく、座をずらして見返りながら、
「成程。」
「北へ四枚目の隅の障子を開けますとね。溝へ柄を、その柱へ、切尖《きっさき》を立掛けてあったろうではありませんか。」
二十五
「それッきり、危うございますから、刃物は一切《いっせつ》厳禁にしたんです。
遊びに来て下さるも可《よ》し、夜伽《よとぎ》とおっしゃるも難有《ありがた》し、ついでに狐狸《こり》の類《たぐい》なら、退治しようも至極ごもっともだけれども、刀、小刀《ナイフ》、出刃庖丁、刃物と言わず、槍《やり》、鉄砲、――およそそういうものは断りました。
私も長い旅行です。随分どんな処でも歩行《ある》き廻ります考えで。いざ、と言や、投出して手を支《つ》くまでも、短刀を一口《ひとふり》持っています――母の記念《かたみ》で、峠を越えます日の暮なんぞ、随分それがために気丈夫なんですが、謹《つつしみ》のために桐油《とうゆ》に包んで、風呂敷の結び目へ、しっかり封をつけておくのですが、」
「やはり、おのずから、その、抜出すでございますか。」
「いいえ、これには別条ありません。盗人《ぬすっと》でも封印のついたものは切らんと言います。もっとも、怪物《ばけもの》退治に持って見えます刃物だって、自分で抜かなければ別条はないように思われますね。それに貴僧《あなた》、騒動《さわぎ》の起居《たちい》に、一番気がかりなのは洋燈《ランプ》ですから、宰八爺さんにそう云って、こうやって行燈《あんどう》に取替えました。」
「で、行燈は何事も、」
「これだって上《あが》ります。」
「あの上りますか。宙へ?」
時に、明の、行燈のその皿あたりへ、仕切って、うつむけに伏せた手が白かった。
「すう、とこう、畳を離れて、」
「ははあ、」
とばかり、僧は明の手のかげで、燈《ともしび》が暗くなりはしないか、と危《あやぶ》んだ目色《めつき》である。
「それも手をかけて、圧《おさ》えたり、据えようとしますと、そのはずみに、油をこぼしたり、台ごとひっくりかえしたりします。障《さわ》らないで、熟《じっ》と柔順《おとなし》くしてさえいれば、元の通りに据直《すわりなお》って、夜《よ》が明けます。一度なんざ行燈が天井へ附着《くッつ》きました。」
「天……井へ、」
「下に蚊帳が釣ってありますから、私も存じながら、寝ていたのを慌てて起上って、蚊帳越にふらふら釣り下った、行燈の台を押えようと、うっかり手をかけると、誰か取って引上げるように鴨居《かもい》を越して天井裏へするりと入ると、裏へちゃんと乗っかりました。も
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