》の保養がしたい、と言わっしゃる。
 海辺は賑《にぎや》かでも、馬車が通って埃《ほこり》が立つ。閑静な処をお望み、間数は多し誂《あつら》え向き、隠居所を三間ばかり、腰元も二人ぐらい附く筈《はず》と、御子息から相談を打《ぶ》たっしゃると、隠居と言えば世を避けたも同様、また本宅へ居直るも億劫《おっこう》なり、年寄《としより》と一所では若い御婦人の気が詰《つま》ろう。若いものは若い同士、本家の方へお連れ申して、土用正月、歌留多《うたがるた》でも取って遊ぶが可《い》い、嫁もさぞ喜ぼう、と難有《ありがた》いは、親でのう。
 そこで、そのお嬢様に御本家の部屋を、幾つか分けて、貸すことになりましけ。ある晩、腕車《くるま》でお乗込み、天上ぬけに美《うつくし》い、と評判ばかりで、私等《わしら》ついぞお姿も見ませなんだが、下男下女どもにも口留めして、秘《かく》さしったも道理じゃよ。
 その嬢様は落っこちそうなお腹じゃげな。」
「むむ、孕《はら》んでいたかい。そりゃ怪《け》しからん、その息子というのが馴染《なじみ》ではないのかね。」
「御推量でございます、そこじゃ、お前様。見えて半月とも経《た》ちませぬに、豪《えら》い騒動が起ったのは、喜太郎様の嫁御がまた臨月じゃ。
 御本家に飼殺しの親爺《おやじ》仁右衛門、渾名《あだな》も苦虫《にがむし》、むずかしい顔をして、御隠居殿へ出向いて、まじりまじり、煙草《たばこ》を捻《ひね》って言うことには、(ハイ、これ、昔から言うことだ。二人|一斉《いっとき》に産をしては、後か、前《さき》か、いずれ一人、相孕《あいばらみ》の怪我《けが》がござるで、分別のうてはなりませぬ、)との。
 喜十郎様、凶年にもない腕組をさっせえて、(善悪《よしあし》はともかく、内の嫁が可愛いにつけ、余所《よそ》の娘の臨月を、出て行《ゆ》けとは無慈悲で言われぬ。ただし廂《ひさし》を貸したものに、母屋《おもや》を明渡して嫁を隠居所へ引取る段は、先祖の位牌《いはい》へ申訳がない。私等《わしら》が本宅へ立帰って、その嬢様にはこの隠居所を貸すとしよう)――御夫婦、黒門を出さしったのが、また世に立たっしゃる前表かの。
 鶴谷は再度、御隠居の代になりました。」
「息子さんは不埒《ふらち》が分って勘当かい。」
「聞かっせえまし、喜太郎様は亡くなりましたよ。前後《あとさき》へ黒門から葬礼《おとむらい》が五つ出ました。」
「五つ!」
「ええ、ええ、お前様。」
「誰と誰と、ね?」
「はじめがその出養生《でようじょう》の嬢様じゃ。これが産後でおいとしゅうならしった。大騒ぎのすぐあと、七日目に嫁御がお産じゃ。
 汐時《しおどき》が二つはずれて、朝六つから夜の四つ時まで、苦しみ通しの難産でのう。
 村中は火事場の騒ぎ、御本宅は寂《しん》として、御経の声やら、咳《しわぶき》やら……」

       十四

「占者が卦《け》を立てて、こりゃ死霊《しりょう》の祟《たたり》がある。この鬼に負けてはならぬぞ。この方から逆寄《さかよ》せして、別宅のその産屋《うぶや》へ、守刀《まもりがたな》を真先《まっさき》に露払いで乗込めさ、と古袴《ふるばかま》の股立《ももだ》ちを取って、突立上《つッたちあが》りますのに勢《いきおい》づいて、お産婦を褥《しとね》のまま、四隅と両方、六人の手で密《そっ》と舁《か》いて、釣台へ。
 お先立ちがその易者殿、御幣《ごへい》を、ト襟へさしたものでござります。筮竹《ぜいちく》の長袋を前《まえ》半じゃ、小刀のように挟んで、馬乗提灯《うまのりぢょうちん》の古びたのに算木を顕《あらわ》しましたので、黒雲の蔽《おっ》かぶさった、蒸暑い畦《あぜ》を照《てら》し、大手を掉《ふ》って参ります。
 嫁入道具に附いて来た、藍貝柄《あおがいえ》の長刀《なぎなた》を、柄払《つかばら》いして、仁右衛門親仁が担ぎました。真中《まんなか》へ、お産婦の釣台を。そのわきへ、喜太郎様が、帽子《シャッポ》かぶりで、蒼《あお》くなって附添った、背後《うしろ》へ持明院の坊様が緋《ひ》の衣じゃ。あとから下男下女どもがぞろぞろと従《つ》きました。取揚婆《とりあげばあ》[#「婆」は底本では「姿」]さんは前《さき》へ早や駆抜けて、黒門のお部屋へ産所の用意。
 途中、何とも希有《けう》な通りものでござりまして、あの蛍がまたむらむらと、蠅がなぶるように御病人の寝姿に集《たか》りますと、おなじ煩うても、美しい人の心かして、夢中で、こう小児《こども》のように、手で取っちゃ見さしっけ。
 上へ手を上げさっしゃるのも、御容体を聞くにつけ、空をつかんで悶《もだ》えさっしゃるようで、目も当てられぬ。
 それでも祟りに負けるなと、言うて、一生懸命、仰向《あおむ》かしった枕をこぼれて、さまで瘠《や》せも見えぬ白い頬へかかる髪の先を、しっかり白歯で噛《か》ましったが、お馴染《なじみ》じゃ、私《わし》が藪《やぶ》の下で待《まち》つけて、御新造様《ごしんぞさま》しっかりなさりまし、と釣台に縋《すが》ったれば、アイと、細い声で云うて莞爾《にっこり》と笑わしった。橋を渡って向うへ通る、暗《やみ》の晩の、榛《はん》の木の下あたり、蛍の数の宙へいかいことちらちらして、常夏《とこなつ》の花の俤《おもかげ》立《だ》つのが、貴方《あなた》の顔のあたりじゃ、と目を瞑《つぶ》って、おめでたを祈りましたに……」
 声も寂しゅう、
「お寺の鐘が聞えました。」
「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、」
「お可哀相に、初産《ういざん》で、その晩、のう。
 厭《いや》な事でござります。黒門へ着かしって、産所へ据えよう、としますとの、それ、出養生の嬢様の、お産の床と同一《おんなじ》じゃ。(ああ、青い顱巻《はちまき》をした方が、寝てでござんす、ちっと傍《わき》へ)と……まあ、難産の嫁御がそう言わしっけ。
 其奴《そいつ》に、負けるな、押潰《おッつぶ》せ、と構わず褥《しとね》を据えましたが、夜露を受けたが悪かったか、もうお医者でも間に合わず。
(あなたも。……口惜《くやし》い、)と恍惚《うっとり》して、枕にひしと喰《くい》つかしって、うむと云うが最期で、の、身二ツになりはならしったが、産声も聞えず、両方ともそれなりけり。
 余りの事に、取逆上《とりのぼ》せさしったものと見えまして、喜太郎様はその明方、裏の井戸へ身を投げてしまわしった。
 井戸|替《がえ》もしたなれど、不気味じゃで、誰も、はい、その水を飲みたがりませぬ処から、井桁《いげた》も早や、青芒《あおすすき》にかくれましたよ。
 七日に一度、十日に一度、仁右衛門親仁や、私《わし》がとこの宰八――少《わか》いものは初《はじめ》から恐ろしがって寄《よっ》つきませぬで――年役に出かけては、雨戸を明けたり、引窓を繰ったり、日も入れ、風も通したなれど、この間のその、のう、嘉吉が気が違いました一件の時から、いい年をしたものまで、黒門を向うの奥へ、木下闇《このしたやみ》を覗《のぞ》きますと、足が縮《すく》んで、一寸も前へ出はいたしませぬ。
 簪《かんざし》の蒼い光った珠《たま》も、大方蛍であろう、などと、ひそひそ風説《うわさ》をします処へ、芋※[#「くさかんむり/更」、160−11]《ずいき》の葉に目口のある、小さいのがふらふら歩行《ある》いて、そのお前様、
[#ここから4字下げ]
(秋谷邸の細道じゃ、
 誰方が見えても……)[#底本では4字下げ]
[#ここで字下げ終わり]
 でござりましょう。人足《ひとあし》が絶えるとなれば、草が生えるばっかりじゃ。ハテ黒門の別宅は是非に及ばぬ。秋谷邸の本家だけは、人足が絶やしとうないものを、どうした時節か知らぬけれど、鶴谷の寿命が来たのか、と喜十郎様は、かさねがさねおつむりが真白《まっしろ》で。おふくろ様も好《い》いお方、おいとしい事でござります。
 おお、おお、つい長話になりまして、そちこち刻限、ああ、可厭《いや》な芋※[#「くさかんむり/更」、160−11]の葉が、唄うて歩行《ある》く時分になりました。」
 と姥は四辺《あたり》を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》した。浪の色が蒼くなった。
 寂然《しん》として、果《はて》は目を瞑《つむ》って聞入った旅僧は、夢ならぬ顔を上げて、葭簀《よしず》から街道の前後《あとさき》を視《なが》めたが、日脚を仰ぐまでもない。
「身に染む話に聞惚《ききと》れて、人通りがもう影法師じゃ。世の中には種々《いろいろ》な事がある。お婆さん、お庇《かげ》で沢山《たんと》学問をした、難有《ありがと》う、どれ……」

       十五

「そして、御坊様は、これからどこまで行《ゆ》かっしゃりますよ。」
 包を引寄せる旅僧に連れて、姥《うば》も腰を上げて尋ねると、
「鎌倉は通越して、藤沢まで今日の内に出ようという考えだったが、もう、これじゃ葉山で灯《あかり》が点《つ》こう。
 おお[#「 おお」は底本では「おお」]、そう言や、森戸の松の中に、ちらちらと灯《ひ》が見える。」
「よう御存じでござりますの。」
「まだ俗の中《うち》に知っています。そこで鎌倉を見物にも及ばず、東海道の本筋へ出ようという考えじゃったが、早や遅い。
 修業が足りんで、樹下、石上、野宿も辛し、」
 と打微笑《うちほほえ》み、
「鎌倉まで行《ゆ》きましょうよ。」
「それはそれは、御不都合な、つい話に実が入《い》りまして、まあ、とんだ御足《おみあし》を留めましてござります。」
「いや、どういたして、忝《かたじけな》い。私は尊いお説教を聴問したような心持じゃ。
 何、嘘ではありません。
 見なさる通り、行脚《あんぎゃ》とは言いながら、気散じの旅の面白さ。蝶々|蜻蛉《とんぼ》の道連《みちづれ》には墨染の法衣《ころも》の袖の、発心の涙が乾いて、おのずから果敢《はか》ない浮世の露も忘れる。
 いつとなく、仏の御名《みな》を唱えるのにも遠ざかって、前刻《さっき》も、お前ね。
 実はここに来しなであった。秋谷明神と云う、その森の中の石段の下を通って、日向《ひなた》の麦|畠《ばたけ》へ差懸《さしかか》ると、この辺には余り見懸けぬ、十八九の色白な娘が一人、めりんす友染《ゆうぜん》の襷懸《たすきが》け、手拭《てぬぐい》を冠《かぶ》って畑に出ている。
 歩行《ある》きながら振返って、何か、ここらにおもしろい事もないか、と徒口《むだぐち》半分、檜笠《ひのきがさ》の下から頤《おとがい》を出して尋ねるとね。
 はい、浪打際に子産石《こうみいし》と云うのがござんす。これこれでここの名所、と土地《ところ》自慢も、優しく教えて、石段から真直《まっす》ぐに、畑中《はたなか》を切って出て見なさんせ、と指さしをしてくれました。
 いかに石が名所でも、男ばかりで児《こ》が出来るか。何と、姉《あね》や、と麦にかくれる島田を覗《のぞ》いて、天狗《てんぐ》わらいに冴《さ》えて来ました、面目もない不了簡《ふりょうけん》。
 嘉吉とかを聞くにつけても、よく気が違わずに済んだ事、とお話中に悚気《ぞっ》としたよ。
 黒門の別荘とやらの、話を聞くと引入れられて、気が沈んで、しんみりと真心から念仏の声が出ました。
 途中すがらもその若い人たちを的に仏名を唱えましょう。木賃の枕に目を瞑《ねむ》ったら、なお歴然《ありあり》、とその人たちの、姿も見えるような気がするから、いっそよく念仏が申されようと考える。
 聞かしておくれの、お婆さん、お前は善智識、と云うても可《よ》い、私は夜通しでも構わんが。
 あんまり身を入れて話をする――聞く――していたので、邪魔になっては、という遠慮か、四五人こっちを覗《のぞ》いては、素通《すどおり》をしたのがあります。
 近在の人と見える。風呂敷包を腰につけて、草履|穿《ば》きで裾をからげた、杖を突張《つッぱ》った、白髪《しらが》の婆さんの、お前さんとは知己《ちかづき》と見えるのが、向うから声をかけたっけ。お前さんが話に夢中で、気が着かなんだものだから、そのままほくほく去《い》ってしまった。
 私も聞
前へ 次へ
全19ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング