と驚きながらも、
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(屋根で鵝鳥の鳴き叫ぶ、
 板戸に駒《こま》の影がさす。)
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 と、現《うつつ》にも、絶えず耳に聞きますけれど、それだと心は頷《うなず》きません。
 いかなる事も堪忍んで、どうぞその唄を聞きたい、とこうして参籠をしているんですが、祟《たたり》ならばよし罪は厭《いと》わん、」
 と激しく言いつつ、心づいて、悄然《しょうぜん》として僧を見た。
「ただその、手毬を取返したのは、唄は教えない、という宣告じゃあなかろうか、とそう思うと情《なさけ》ない。
 ああ、お話が八岐《やちまた》になって、手毬は……そうです。天井から猫が落ちます以前、私が縁側へ一人で坐っています処へ、あの白粉《おしろい》の花の蔭から、芋※[#「くさかんむり/更」、221−3]《ずいき》の葉を顔に当てた小児《こども》が三人、ちょろちょろと出て来て、不思議そうに私を見ながら、犬ころがなつくように傍《そば》へ寄ると、縁側から覗込《のぞきこ》んで、手毬を見つけて、三人でうなずき合って、
(それをおくれ。)と言います。
(お前たちのか。)
 と聞くと、頭《かぶり》を掉《ふ》るから、
(じゃ、小父《おじ》さんのだ。)と言うと、男が毬を、という調子に、
(わはは)と笑って、それなりに、ちらちらとどこかへ取って行ったんでした。」――

       三十三

「何、私《わし》がうわさしていさっせえた処だって……はあ、お前様《めえさま》二人でかね。」
 どッこいしょ、と立ったまま、広縁が高いから、背負《しょ》って来た風呂敷包は、腰ぎりにちょうど乗る。
「だら、可《い》いけんども、」
 と結目《むすびめ》を解下《ときお》ろして、
「天井裏でうわさべいされちゃ堪《たま》んねえだ。」
 と声を密《ひそ》めたが、宰八は直ぐ高調子、
「いんね、私《わし》一人じゃござりましねえ。喜十郎様が許《とこ》の仁右衛門の苦虫《にがむし》と、学校の先生ちゅが、同士にはい、門前《もんまえ》まで来っけえがの。
 あの、樹の下の、暗え中へ頭|突込《つッこ》んだと思わっせえまし、お前様、苦虫の親仁《おやじ》が年効《としがい》もねえ、新造子《しんぞっこ》が抱着かれたように、キャアと云うだ。」
「どうしたんです。」
「何かまた、」
 と、僧も夜具包の上から伸上って顔を出した。
 宰八|紅顱巻《あかはちまき》をかなぐって、
「こりゃ、はい、御坊様御免なせえまし。御本家からも宜《よろ》しくでござりやす。いずれ喜十郎様お目に懸《かか》りますだが、まず緩《ゆっく》りと休まっしゃりましとよ。
 私《わし》こういうぞんざいもんだで、お辞儀の仕様もねえ。婆様がよッくハイ御挨拶しろと云うてね、お前様|旨《うま》がらしっけえ、団子をことづけて寄越《よこ》しやした。茶受《ちゃうけ》にさっしゃりやし。あとで私が蚊いぶしを才覚しながら、ぶつぶつ渋茶を煮立てますべい。
 それよりか、お前様、腹アすかっしゃったろうと思うで、御本家からまた重詰めにして寄越さしった、そいつをぶら下げながら苦虫が、右のお前様、キャアでけつかる。
 門外の草原を、まるで川の瀬さ渡るように、三人がふらふらよちよち、モノ小半時かかったが、芸もねえ、えら遅くなって済まんしねえ。」
「何とも御苦労、」
 と僧は慇懃《いんぎん》に頭《つむり》をさげる。
「その人たちは、どうしたのかね。」
 と明が尋ねた。
「はい、それさ、そのキャアだから、お前様、どうした仁右衛門と、云うと、苦虫が、面《つら》さ渋くして、(ああ、厭《いや》なものを見た。おらが鼻の尖《さき》を、ひいらひいら、あの生白《なまちら》けた芋の葉の長面《ながづら》が、ニタニタ笑えながら横に飛んだ。精霊棚の瓢箪《ひょうたん》が、ひとりでにぽたりと落ちても、御先祖の戒《いましめ》とは思わねえで、酒も留《や》めねえ己《おら》だけんど、それにゃ蔓《つる》が枯れたちゅう道理がある。風もねえに芋の葉が宙を歩行《ある》くわけはねえ。ああ、厭だ、総毛立つ、内へ帰って夜具を被《かぶ》って、ずッしり汗でも取らねえでは、煩いそうに頭も重い。)
 と縮《すく》むだね。
 例《いつも》の小児《こども》が駆出したろう、とそう言うと、なお悪い。あの声を聞くと堪《たま》らねえ。あれ、あれ、石を鳴らすのが、谷戸《やと》に響く。時刻も七ツじゃ、と蒼《あお》くなって、風呂敷包|打置《ぶちお》いて、ひょろひょろ帰るだ。
 先生様、ではお前様、その重箱を提げてくれさっせえ、と私《わし》が頼むとね。
(厭だ、)と云っけい。
(はてね、なぜでがす。)
 ここさ、お客様の前《めえ》だけんど、気にかけて下せえますなよ。
(軍歌でもやるならまだの事、子守や手毬唄なんかひねくる様な奴《やつ》の、弁当持って堪るものか。)
 と吐《こ》くでねえか。
 奴は朋友《ともだち》に聞いた、と云うだが、いずれ怪物《ばけもの》退治に来た連中からだんべい。
 お客様何でがすか、お前様、子守唄|拵《こさ》えさっしゃるかね。袋戸棚の障子へ、書いたもの貼《は》っとかっしゃるのは、もの、それかね。」
 明は恥じたる色があった。
「こしらえるのじゃない、聞いたのを書き留めて置くんです。数があって忘れるから、」
「はあ、私《わし》はまた、こんな恐怖《おっかね》え処《とこ》に落着いていさっしゃるお前様だ。
 怨敵《おんてき》退散の貼御符《はりごふう》かと思ったが。
 何か、ハイ、わけは分《わか》ンねえがね、悪く言ったのがグッと癪《しゃく》に障《さわ》ったで、
(なら可《よ》うがす、客人のものは持ってもれえますめえ、が、お前様、学校の先生様だ。可《よ》し、私あハイ、何も教えちゃもらわねえだで、師匠じゃねえ、同士に歩行《ある》くだら朋達《ともだち》だっぺい。蟹の宰八が手ンぼうの助力さっせえ。)
 と極《き》めつけたさ。
 帽子の下で目を据えたよ。
(貴様のような友達は持たん、失敬な。)と云って引返したわ。何か託《かこつ》け、根は臆病で遁《に》げただよ。見さっせえ、韋駄天《いだてん》のように木の下を駆出し、川べりの遠くへ行く仁右衛門親仁を、
(おおい、おおい、)
 と茶番の定九郎《さだくろう》を極《き》めやあがる。」

       三十四

 その夜に限って何事もなく、静かに。……寝ようという時、初夜過ぎた。
 宰八が手燭《てしょく》に送られて、広縁を折曲って、遥《はる》かに廻廊を通った僧は、雨戸の並木を越えたようで、故郷《ふるさと》には蚊帳を釣って、一人寂しく友が待つ思《おもい》がある。
「ここかい。」
「それを左へ開けさっせえまし、入口の板敷から二ツ目のが、男が立って遣《や》るのでがす。行抜けに北の縁側へも出られますで、お前様《めえさま》帰りがけに取違えてはなんねえだよ。
 二三年この方、向うへは誰も通抜けた事がねえで、当節柄じゃ、迷込んではどこへ行くか、ハイ方角が着きましねえ。」
「もう分りましたよ。」
「可《よ》かあねえ、私《わし》、ここに待っとるで、燈《あかり》をたよりに出て来さっせえ。
 私も、この障子の多《いか》いこと続いたのに、めらめら破れのある工合《ぐあい》が、ハイ一ツ一ツ白髑髏《しゃれかうべ》のようで、一人で立ってる気はしねえけんど、お前様が坊様だけに気丈夫だ。えら茶話がもてて、何度も土瓶をかわかしたで、入《いれ》かわって私もやらかしますべいに、待ってるだよ。」
 僧は戸を開けながら、と、声をかけて、
「御免下さい。」
 と、ぴたりと閉めた。
「あ、あ、気味の悪い。誰に挨拶《あいさつ》さっせるだ。南無阿弥陀仏《なむあみだぶ》、南無阿弥陀仏。はて、急に変なことを考えたぞ[#「考えたぞ」は底本では「考えだぞ」]。そこさ一面の障子の破れ覗《のぞ》いたら何が見えべい――南無阿弥陀仏《なんまいだ》、ああ、南無阿弥陀仏、……やあ、蝋燭《ろうそく》がひらひらする、どこから風が吹いて来るだ。これえ消したが最後、立処《たちどころ》に六道の辻に迷うだて。南無阿弥陀仏《なんまいだ》、御坊様、まだかね。」
「ちょいと、」
「ひゃあ、」
 僧は半ば開いて、中に鼠の法衣《ころも》で立ちつつ、
「ちょいと燭《あかり》を見せておくれ。」
「ええ、お前様、前《さき》へ戸を開けておいてから何か言わっしゃれば可《い》い。板戸が音声《おんじょう》を発したか、と吃驚《びっくり》しただ、はあ、何だね。」
「入口の、この出窓の下に、手水《ちょうず》鉢があったのを、入りしなに見ておいたが、広いので暗くて分らなくなりました。」
「ああ、手、洗わっしゃるのかね、」
 と手燭ばかりを、ずいと出して、
「鉢前にゃ、夜《よ》が明けたら見さっせえまし、大した唐銅《からかね》の手水鉢の、この邸さ曳《ひ》いて来る時分に牛一頭かかった、見事なのがあるけんど、今開ける気はしましねえ。……」
 ええ、そよら、そよらと風だ。
 そ、その鉢にゃ水があれば可《い》いがね、無くば座敷まで我慢さっせえまし、土瓶の残《のこり》を注《か》けて進ぜる。」
「あります、あります。」
 ざっと音をさして、
「冷い美しい水が、満々《なみなみ》とありますよ。」
「嘘を吐《つ》くもんでェねえ。なに美《うつくし》い水があんべい。井戸の水は真蒼《まっさお》で、小川の水は白濁りだ。」
「じゃあ燭《あかり》で見るせいだろうか、」
「そして、はあ、何なみなみとあるもんだ。」
「いいえ、縁切《ふちきり》こぼれるようだよ。ああ、葉越さんは綺麗好きだと見える。真白《まっしろ》な手拭《てぬぐい》が、」
 と言いかけてしばらく黙った。
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今年より卯月《うづき》八日は吉日よ
    尾長《おなが》蛆虫《うじむし》成敗ぞする
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「ここに倒《さかさま》にはってあるのは、これは誰方《どなた》がお書きなすった、」
「……南無阿弥陀仏《なまいだ》、南無阿弥陀仏……」
「ああ、佳《い》いおてだ。」
 と大和尚のように落着いて、大《おおき》く言ったが、やがてちと慌《あわただ》しげに小さな坊さまになって急いで出た。
「ええ、疾《はや》く出さっせえ、私《わし》もう押堪《おっこら》えて、座敷から庭へ出て用たすべい。」
「ほんとに誰が書いたんだね、女の手だが、」
 と掛手拭を賞《ほ》めた癖に、薄汚れた畳んだのを自分の袂《たもと》から出している。
「南無阿弥陀仏《なんまいだぶ》、ソ、それは、それ、この次の、次の、小座敷で亡くならしっけえ、どっかの嬢様が書いて貼《は》っただとよ、直《じ》きそこだ、今ソンな事あどうでも可《え》え。頭から、慄然《ぞっ》とするだに、」
「そうかい、ああ私も今、手を拭《ふ》こうとすると、真新しい切立《きりたて》の掛手拭が、冷く濡れていたのでヒヤリとした。」
「や、」と横飛びにどたりと踏んだが、その跫音《あしおと》を忍びたそうに、腰を浮かせて、同一《おなじ》処を蹌踉蹌踉《うろうろ》する。

       三十五

「そうふらふらさしちゃ燈《あかり》が消えます。貸しなさい、私がその手燭《てしょく》を持とうで。」
「頼んます、はい、どうぞお前様《めえさま》持たっせえて、ついでにその法衣《ころも》着さっせえ姿から、光明|赫燿《かくやく》と願えてえだ。」
 僧は燭を取って一足出たが、
「お爺さん、」
 と呼んだのが、驚破《すわや》事ありげに聞えたので、手んぼうならぬ手を引込《ひっこ》め、不具《かたわ》の方と同一《おなじ》処で、掌《てのひら》をあけながら、据腰《すえごし》で顔を見上げる、と皺面《しわづら》ばかりが燭の影に真赤《まっか》になった。――この赤親仁と、青坊主が、廊下はずれに物言う状《さま》は、鬼が囁《ささや》くに異ならず。
「ええ、」
「どこか呻吟《うめ》くような声がするよ。」
「芸もねえ、威《おど》かしてどうさっせる。」
「聞きなさい、それ……」
「う、う、う、」
 と厭《いや》な声。
「爺さん、お前が呻吟くのかい。」
「いんね、」
 と変な顔色で、鼻をしかめ、
「ふん、難産の呻
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