の襟、襷《たすき》になり帯になり、果《はて》は薄《すすき》の裳《もすそ》になって、今もある通り、村はずれの谷戸口《やとぐち》を、明神の下あたりから次第に子産石《こうみいし》の浜に消えて、どこへ灌《そそ》ぐということもない。口につけると塩気があるから、海潮《うしお》がさすのであろう。その川裾《かわすそ》のたよりなく草に隠れるにつけて、明神の手水洗《みたらし》にかけた献燈の発句には、これを霞川、と書いてあるが、俗に呼んで湯川と云う。
 霞に紛れ、靄に交って、ほのぼのと白く、いつも水気の立つ処から、言い習わしたものらしい。
 あの、薄煙《うすけぶり》、あの、靄の、一際夕暮を染めたかなたこなたは、遠方《おちかた》の松の梢《こずえ》も、近間なる柳の根も、いずれもこの水の淀《よど》んだ処で。畑《はた》一つ前途《ゆくて》を仕切って、縦に幅広く水気が立って、小高い礎《いしずえ》を朦朧《もうろう》と上に浮かしたのは、森の下闇《したやみ》で、靄が余所《よそ》よりも判然《はっきり》と濃くかかったせいで、鶴谷が別宅のその黒門の一構《ひとかまえ》。
 三人は、彼処《かしこ》をさして辿《たど》るのである。
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