も聞えませぬ。それでいて――寂然《しん》として、海ばかり動きます耳に響いて、秋谷へ近路のその山づたい。鈴虫が音《ね》を立てると、露が溢《こぼ》れますような、佳《い》い声で、そして物凄《ものすご》う、
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(ここはどこの細道じゃ、
       細道じゃ。
 天神さんの細道じゃ、
       細道じゃ。
 少し通して下さんせ、下さんせ。)
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 とあわれに寂しく、貴女の声で聞えました。
 その声が遠くなります、山の上を、薄綿で包みますように、雲が白くかかりますと、音が先へ、颯《さ》あ――とたよりない雨が、海の方へ降って来て、お声は山のうらかけて、遠くなって行《ゆ》きますげな。
 前刻《さっき》見た兎《う》の毛の雲じゃ、一雨来ようと思うた癖に、こりゃ心ない、荷が濡れよう、と爺どのは駆けて戻って、がッたり車を曳出《ひきだ》しながら、村はずれの小店からまず声をかけて、嘉吉めを見せにやります。
 何か、その唄のお声が、のう、十年五十年も昔聞いたようにもあれば、こう云う耳にも、響くと云います。
 遠慮すると見えまして、余り委《くわ》しい事は申しませぬが、
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