はないので。いつ切尖《きっさき》が降って来ようも知れません。ちっとでも楯《たて》になるものをと、皆《みんな》が同一《おなじ》心です。言合わせたように順々に……前《さき》へ御免を被《こうむ》りますつもりで、私が釣っておいた蚊帳へ、総勢六人で、小さくなって屈《かが》みました。
 変におしおきでも待ってるようでなお不気味でした。そうか、と云って、夜《よる》夜中《よなか》、外へ遁出《にげだ》すことは思いも寄らず、で、がたがた震える、突伏《つッぷ》す、一人で寝てしまったのがあります、これが一番可いのです。坊様《ぼうさん》は口の裏《うち》で、頻《しきり》にぶつぶつと念じています。
 その舌の縺《もつ》れたような、便《たより》のない声を、蚊の唸《うな》る中に聞きながら、私がうとうとしかけました時でした。密《そっ》と一人が揺《ゆす》ぶり起して、
(聞えますか、)
 と言います。
(ココだ、ココだ、と云う声が、)と、耳へ口をつけて囁《ささや》くんです。それから、それへ段々、また耳移しに。
(失物《うせもの》はココにある、というお知らせだろう、)
(どうか、)と言う、ひそひそ相談《ばなし》。
 耳を澄ますと、蚊帳越の障子のようでもあり、廊下の雨戸のようでもあり、次の間と隔ての襖際《ふすまぎわ》……また柱の根かとも思われて、カタカタ、カタカタと響く――あの茶立虫《ちゃたてむし》とも聞えれば、壁の中で蝙蝠《こうもり》が鳴くようでもあるし、縁の下で、蟇《ひきがえる》が、コトコトと云うとも考えられる。それが貴僧《あなた》、気の持ちようで、ココ、ココ、ココヨとも、ココト、とも云うようなんです。
 自分のだけに、手を繃帯《ほうたい》した水兵の方が、一番に蚊帳を出ました。
 返す気で、在所《ありか》をおっしゃるからは仔細《しさい》はない、と坊さんがまた這出《はいだ》して、畳に擦附けるように、耳を澄ます。と水兵の方は、真中《まんなか》で耳を傾けて、腕組をして立ってなすったっけ。見当がついたと見えて、目で知らせ合って、上下《うえした》で頷《うなず》いて、その、貴僧《あなた》の背後《うしろ》になってます、」
「え!」
 と肩越に淵《ふち》を差覗《さしのぞ》くがごとく、座をずらして見返りながら、
「成程。」
「北へ四枚目の隅の障子を開けますとね。溝へ柄を、その柱へ、切尖《きっさき》を立掛けてあったろうではありませんか。」

       二十五

「それッきり、危うございますから、刃物は一切《いっせつ》厳禁にしたんです。
 遊びに来て下さるも可《よ》し、夜伽《よとぎ》とおっしゃるも難有《ありがた》し、ついでに狐狸《こり》の類《たぐい》なら、退治しようも至極ごもっともだけれども、刀、小刀《ナイフ》、出刃庖丁、刃物と言わず、槍《やり》、鉄砲、――およそそういうものは断りました。
 私も長い旅行です。随分どんな処でも歩行《ある》き廻ります考えで。いざ、と言や、投出して手を支《つ》くまでも、短刀を一口《ひとふり》持っています――母の記念《かたみ》で、峠を越えます日の暮なんぞ、随分それがために気丈夫なんですが、謹《つつしみ》のために桐油《とうゆ》に包んで、風呂敷の結び目へ、しっかり封をつけておくのですが、」
「やはり、おのずから、その、抜出すでございますか。」
「いいえ、これには別条ありません。盗人《ぬすっと》でも封印のついたものは切らんと言います。もっとも、怪物《ばけもの》退治に持って見えます刃物だって、自分で抜かなければ別条はないように思われますね。それに貴僧《あなた》、騒動《さわぎ》の起居《たちい》に、一番気がかりなのは洋燈《ランプ》ですから、宰八爺さんにそう云って、こうやって行燈《あんどう》に取替えました。」
「で、行燈は何事も、」
「これだって上《あが》ります。」
「あの上りますか。宙へ?」
 時に、明の、行燈のその皿あたりへ、仕切って、うつむけに伏せた手が白かった。
「すう、とこう、畳を離れて、」
「ははあ、」
 とばかり、僧は明の手のかげで、燈《ともしび》が暗くなりはしないか、と危《あやぶ》んだ目色《めつき》である。
「それも手をかけて、圧《おさ》えたり、据えようとしますと、そのはずみに、油をこぼしたり、台ごとひっくりかえしたりします。障《さわ》らないで、熟《じっ》と柔順《おとなし》くしてさえいれば、元の通りに据直《すわりなお》って、夜《よ》が明けます。一度なんざ行燈が天井へ附着《くッつ》きました。」
「天……井へ、」
「下に蚊帳が釣ってありますから、私も存じながら、寝ていたのを慌てて起上って、蚊帳越にふらふら釣り下った、行燈の台を押えようと、うっかり手をかけると、誰か取って引上げるように鴨居《かもい》を越して天井裏へするりと入ると、裏へちゃんと乗っかりました。も
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