くこう透かして見っけ。
しゃぼん球《だま》ではねえよ。真円《まんまる》な手毬の、影も、草に映ったでね。」
「それがまたどうして消えた、馬鹿な!」
と勢込《いきおいこ》む、つき反らした杖《ステッキ》の尖《さき》が、ストンと蟹の穴へ狭《はさま》ったので、厭な顔をした訓導は、抜きざまに一足飛ぶ。
「まあ、聞かっせえ。
玉味噌の鑑定とは、ちくと物が違うでな、幾ら私《わし》が捻《ひね》くっても、どこのものだか当りは着かねえ。
(霞のような小川の波に、常夏《とこなつ》の影がさして、遠くに……(細道)が聞える処へ、手毬が浮いて……三年五年、旅から旅を歩行《ある》いたが、またこんな嬉しい里は見ない、)
と、ずぶ濡《ぬれ》の衣《きもの》を垂れる雫《しずく》さえ、身体《からだ》から玉がこぼれでもするほどに若え方は喜ばっしゃる。」
十八
「――(この上誰か、この手毬の持主に逢えるとなれば、爺さん、私は本望だ、野山に起臥《おきふし》して旅をするのもそのためだ。)
と、話さっしゃるでの。村を賞《ほ》められたが憎くねえだし、またそれまでに思わっしゃるものを、ただわかりましねえで放擲《ほか》しては、何か私《わし》、気が済まねえ。
そこで、草原へ蹲《しゃが》み込んで、信《まこと》にはなさりますめえけんど、と嘉吉に蒼《あお》い珠《たま》授けさしった……」
しばらく黙って、
「の、事を話したらばの。先生様の前だけんど、嘘を吐《つ》け、と天窓《あたま》からけなさっしゃりそうな少《わけ》え方が、
(おお、その珠と見えたのも、大方星ほどの手毬だろう。)と、あのまた碧《あお》い星を視《なが》めて云うだ。けちりんも疑わねえ。
(なら、まだ話します事がござります、)とついでに黒門の空邸《あきやしき》の話をするとの。
(川はその邸の、庭か背戸を通って流れはしないか。)
と乗出しけよ。……(流れは見さっしゃる通りだ)……」
今もおなじような風情である。――薄《うっす》りと廂《ひさし》を包む小家《こいえ》の、紫の煙《けぶり》の中も繞《めぐ》れば、低く裏山の根にかかった、一刷《ひとはけ》灰色の靄《もや》の間も通る。青田の高低《たかひく》、麓《ふもと》の凸凹《でいり》に従うて、柔《やわら》かにのんどりした、この一巻《ひとまき》の布は、朝霞には白地の手拭《てぬぐい》、夕焼には茜《あかね》の襟、襷《たすき》になり帯になり、果《はて》は薄《すすき》の裳《もすそ》になって、今もある通り、村はずれの谷戸口《やとぐち》を、明神の下あたりから次第に子産石《こうみいし》の浜に消えて、どこへ灌《そそ》ぐということもない。口につけると塩気があるから、海潮《うしお》がさすのであろう。その川裾《かわすそ》のたよりなく草に隠れるにつけて、明神の手水洗《みたらし》にかけた献燈の発句には、これを霞川、と書いてあるが、俗に呼んで湯川と云う。
霞に紛れ、靄に交って、ほのぼのと白く、いつも水気の立つ処から、言い習わしたものらしい。
あの、薄煙《うすけぶり》、あの、靄の、一際夕暮を染めたかなたこなたは、遠方《おちかた》の松の梢《こずえ》も、近間なる柳の根も、いずれもこの水の淀《よど》んだ処で。畑《はた》一つ前途《ゆくて》を仕切って、縦に幅広く水気が立って、小高い礎《いしずえ》を朦朧《もうろう》と上に浮かしたのは、森の下闇《したやみ》で、靄が余所《よそ》よりも判然《はっきり》と濃くかかったせいで、鶴谷が別宅のその黒門の一構《ひとかまえ》。
三人は、彼処《かしこ》をさして辿《たど》るのである。
ここに渠等《かれら》が伝う岸は、一間ばかりの川幅であるが、鶴谷の本宅の辺《あたり》では、およそ三間に拡がって、川裾は早やその辺からびしょびしょと草に隠れる。
ここへは、流《ながれ》をさかのぼって来るので、間には橋一つ渡らねばならぬ。
橋は明神の前へ、三崎街道に一つ、村の中に一つ。今しがた渠等が渡って、ここから見えるその村の橋も、鶴谷の手で欄干はついているが、細流《せせらぎ》の水静かなれば、偏《ひとえ》に風情を添えたよう。青い山から靄の麓へ架《か》け渡したようにも見え、低い堤防《どて》の、茅屋《かやや》から茅屋の軒へ、階子《はしご》を横《よこた》えたようにも見え、とある大家の、物好《ものずき》に、長く渡した廻廊かとも視《なが》められる。
灯《ともしび》もやや、ちらちらと青田に透く。川下の其方《そなた》は、藁屋《わらや》続きに、海が映って空も明《あかる》い。――水上《みなかみ》の奥になるほど、樹の枝に、茅葺《かやぶき》の屋根が掛《かか》って、蓑虫《みのむし》が塒《ねぐら》したような小家がちの、それも三つが二つ、やがて一つ、窓の明《あかり》も射《さ》さず、水を離れた夕炊《ゆうかしぎ》の煙ば
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