かり、細く沖で救《すくい》を呼ぶ白旗のように、風のまにまに打靡《うちなび》く。海の方は、暮が遅くて灯《あかり》が疾《はや》く、山の裾は、暮が早くて、燈《ともしび》が遅いそうな。
まだそれも、鳴子引けば遠近《おちこち》に便《たより》があろう。家と家とが間《あい》を隔て、岸を措《お》いても相望むのに、黒門の別邸は、かけ離れた森の中に、ただ孤家《ひとつや》の、四方へ大《おおき》なる蜘蛛《くも》のごとく脚を拡げて、どこまでもその暗い影を畝《うね》らせる。
月は、その上にかかっているのに。……
先達《せんだつ》の仁右衛門は、早やその樹立《こだち》の、余波《なごり》の夜に肩を入れた。が、見た目のさしわたしに似ない、帯がたるんだ、ゆるやかな川|添《ぞい》の道は、本宅から約八丁というのである。
宰八が言続《いいつ》いで、
「……(外廻りを流れて来るし、何もハイ空家から手毬を落す筈《はず》はねえ。そんでも猫の死骸なら、あすこへ持って行って打棄《うっちゃ》った奴があるかも知んねえ、草ぼうぼうだでのう、)と私《わし》、話をしただがね。」
十九
「それからその少《わけ》え方は、(どうだろう、その黒門の空家というのを、一室《ひとま》借りるわけには行くまいか、自炊を遣《や》って、しばらく旅の草臥《くたびれ》を休めたい、)と相談|打《ぶ》ったが。
ねえ、先生様。
お前様《めえさま》、今の住居《すまい》は、隣の嚊々《かかあ》が小児《がき》い産んで、ぎゃあぎゃあ煩《うるせ》え、どこか貸す処があるめえか、言わるるで、そん当時黒門さどうだちゅったら、あれは、と二の足を蹈《ふ》ましっけな。」
と横ざまに浴《あび》せかけると、訓導は不意打ながら、さしったりで、杖《ステッキ》を小脇に引抱《ひんだ》き、
「学校へ通うのに足場が悪くって、道が遠くって仕様がないから留《や》めたんだ。」
「朝寝さっしゃるせいだっぺい。」
仁右衛門が重い口で。
訓導は教うるごとく、
「第一水が悪い。あの、また真蒼《まっさお》な、草の汁のようなものが飲めるものかい。」
「そうかね――はあ、まず何にしろだ。こっちから頼めばとって、昼間掃除に行くのさえ、厭《いや》がります空屋敷じゃ。そこが望み、と仰有《おっしゃ》るに、お住居《すまい》下さればその部屋一ツだけも、屋根の草が無うなって、立腐れが保つこんだで、こっちは願ったり、叶《かな》ったり、本家の旦那《だんな》もさぞ喜びましょうが、尋常体《なみてい》の家《うち》でねえ。あの黒門を潜《くぐ》らっしゃるなら、覚悟して行かっせえ、可《よ》うがすか、と念を入れると、
(いやその位の覚悟はいつでもしている。)
と落着いたもんだてえば。
はてな、この度胸だら盗賊《どろぼう》でも大将株だ、と私《わし》、油断はねえ、一分別しただがね、仁右衛門よ、」
「おおよ。」
「前刻《さっき》、着たっきりで、手毬を拾いに川ん中さ飛込んだ時だ。旅空かけて衣服《きもの》をどうするだ、と私《わし》頼まれ効《がい》もなかったけえ、気の毒さもあり、急がずば何とかで濡れめえものを夕立だ、と我鳴《がなっ》った時よ。
(着物は一枚ありますから……)
と見得でねえわ、見得でねえね。極《きま》りの悪そうに、人の心を無にしねえで言訳をするように言わしっけが、こいつを睨《にら》んで、はあ、そこへ私《わし》が押惚《おっぽ》れただ。
殊勝な、優しい、最愛《いとし》い人だ。これなら世話をしても仔細《しさい》あんめえ。第一、あの色白な仁体《じんてい》じゃ……化《ば》……仁右衛門よ。」
「何《あに》い、」
「暗くなったの、」
「彼これ、酉刻《むつ》じゃ。」
「は、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、黒門前は真暗《まっくら》だんべい。」
「大丈夫、月が射《さ》すよ。」
と訓導は空を見て、
「お前、その手毬の行方はどうしたんだい。」
「そこだてね、まあ聞かっせえ、客人が、その最愛《いとし》らしい容子《ようす》じゃ……化《ばけ》、」
とまた言い掛けたが、青芒《あおすすき》が川のへりに、雑木|一叢《ひとむら》、畑の前を背|屈《かが》み通る真中《まんなか》あたり、野末の靄《もや》を一|呼吸《いき》に吸込んだかと、宰八|唐突《だしぬけ》に、
「はッくしょ!」
胴震いで、立縮《たちすく》み、
「風がねえで、えら太《ひど》い蜘蛛の巣だ。仁右衛門、お前《めえ》、はあ、先へ立って、よく何ともねえ。」
「巣、巣どころか、己《おら》あ樹の枝から這《は》いかかった、土蜘蛛を引掴《ひッつか》んだ。」
「ひゃあ、」
「七日風が吹かねえと、世界中の人を吸殺すものだちゅっけ、半日蒸すと、早やこれだ。」
と握占《にぎりし》めた掌《てのひら》を、自分で捻開《こじあ》けるようにして開いたが、恐る恐る透《すか
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