《まんなか》で追《おっ》かける、人の煽《あお》りで、水が動いて、手毬は一つくるりと廻った。岸の方へ寄るでねえかね。
(えら!気の疾え先生だ。さまで欲しけりゃ算段のうして、柳の枝を折《おっ》ぺっしょっても引寄せて取ってやるだ、見さっせえ、旅の空で、召ものがびしょ濡れだ。)と叱言《こごと》を言いながら、岸へ来たのを拾おう、と私《わし》、えいやっと蹲《しゃが》んだが。
 こんな川でも、動揺《どよ》みにゃ浪を打つわ、濡れずば栄螺《さざえ》も取れねえ道理よ。私《わし》が手を伸《のば》すとの、また水に持って行《ゆ》かれて、手毬はやっぱり、川の中で、その人が取らしっけがな。……ここだあ仁右衛門、先生様も聞かっせえ。」
 と夜具風呂敷の黄母衣越《きほろごし》に、茜色《あかねいろ》のその顱巻《はちまき》を捻向《ねじむ》けて、
「厭《いや》な事は、……手毬を拾うと、その下に、猫が一匹居たではねえかね。」

       十七

 訓導は苦笑いして、
「可《い》い加減な事を云う、狂気《きちがい》の嘉吉以来だ。お前は悪く変なものに知己《ちかづき》のように話をするが、水潜《みずくぐ》りをするなんて、猫化けの怪談にも、ついに聞いた事はないじゃないか。」
「お前様もね、当前《あたりまえ》だあこれ、空を飛ぼうが、泳ごうが、活《い》きた猫なら秋谷中|私《わし》ら知己《ちかづき》だ。何も厭《いや》な事はねえけんど、水ひたしの毛がよれよれ、前足のつけ根なぞは、あか膚《はだ》よ。げっそり骨の出た死骸《しがい》でねえかね。」
 訓導は打棄《うっちゃ》るように、
「何だい、死骸か。」
「何だ死骸か、言わっしゃるが、死骸だけに厭なこんだ。金壺眼《かなつぼまなこ》を塞《ふさ》がねえ。その人が毬《まり》を取ると、三毛の斑《ぶち》が、ぶよ、ぶよ、一度、ぷくりと腹を出いて、目がぎょろりと光ッたけ。そこら鼠色の汚《きたね》え泡だらけになって、どんみりと流れたわ、水とハイ摺々《すれすれ》での――その方は岸へ上って、腰までずぶ濡れの衣《きもの》を絞るとって、帽子を脱いで仰向《あおむ》けにして、その中さ、入れさしった、傍《そば》で見ると、紫もありゃ黄色い糸もかがってある、五|色《しき》の――手毬は、さまで濡れてはいねえだっけよ。」
「なあよ、宰八、」
「何《あん》だえ。」
 仁右衛門は沈んだ声で、
「その手毬はどうしたよ。」
「今でもその学生が持ってるかね。」
 背後《うしろ》から、訓導がまた聞き挟む。
「忽然《こつねん》として消え失《う》せただ。夢に拾った金子《かね》のようだね。へ、へ、へ、」
 とおかしな笑い方。
「ふん、」
 と苦虫は苦ったなりで、てくてくと歩行《ある》き出す。
「嘘を吐《つ》け、またはじめた。大方、お前が目の前で、しゃぼん球《だま》のように、ぱっと消えてでもなくなったろう、不思議さな。」
「違えます、違えますとも!」
 仁右衛門の後を打ちながら、
「その人が、
(爺様《じいさん》、この里では、今時分手毬をつくか。)
(何《あん》でね?)
(小児《こども》たちが、優しい声、懐《なつか》しい節で唄うている。
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ここはどこの細道じゃ、
秋谷邸の細道じゃ……)
[#ここで字下げ終わり]
 一件ものをの、優しい声、懐しい声じゃ云うて、手毬を突くか、と問わっしゃるだ。
 とんでもねえ、あれはお前様、芋※[#「くさかんむり/更」、169−14]《ずいき》の葉が、と言おうとしたが、待ちろ、芸もねえ、村方の内証を饒舌《しゃべ》って、恥|掻《か》くは知慧《ちえ》でねえと、
(何《あに》お前様《めえさま》、学校で体操するだ。おたま杓子《じゃくし》で球をすくって、ひるてんの飛《とび》っこをすればちゅッて、手毬なんか突きっこねえ、)と、先生様の前だけんど、私《わし》一ツ威張ったよ。」
「何だ、見《みっ》ともない、ひるてんの飛びっことは。テニスだよ、テニスと言えば可《い》い。」
「かね……私《わし》また西洋の雀躍《すずめおどり》か、と思ったけ、まあ、可《え》え。」
「ちっとも可《よ》かあない、」
 と訓導は唾《つば》をする。
「それにしても、奥床しい、誰が突いた毬だろう、と若え方問わっしゃるだが。
 のっけから見当はつかねえ、けんど、主《ぬし》が袂《たもと》から滝のように水が出るのを見るにつけても、何とかハイ勘考せねばなんねえで、その手毬を持って見た、」
 と黄母衣《きほろ》を一つ揺上《ゆすりあ》げて、
「濡れちゃいねえが、ヒヤリとしたでね、可《い》い塩梅《あんばい》よ、引込《ひっこ》んだのは手棒《てんぼう》の方、」
 へへ、とまた独りで可笑《おかし》がり、
「こっちの手で、ハイ海へ落ちさっしゃるお日様と、黒門の森に掛《かか》ったお月様の真中《まんなか》へ、高《たっか》
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