る。さまでは、とうけて恐る恐る干すと、ややあって、客僧、御身は苦悶《くもん》し、煩乱《はんらん》し、七転八倒して黒き血のかたまりを吐くじゃ。」
客僧は色|真蒼《まっさお》である。
「驚いて少年が介抱する。が、もう叶《かな》わぬ、臨終という時、
(われは僧なり、身を殺して仁をなし得れば無上の本懐、君その素志を他に求めて、疾《と》くこの恐しき魔所を遁《のが》れられよ。)
と遺言する。これぞ、われらの誂《あつらえ》じゃ。
蚊帳の中で、少年の魘《うな》されたは、この夢を見た時よ、なあ。
これならば立退《たちの》くであろう、と思うと、ああ、埒《らち》あかぬ。客僧、御身が仮に落入るのを見る、と涙を流して、共に死のうと決心した。
葛籠《つづら》に秘め置く、守刀《まもりがたな》をキラリと引抜くまで、襖《ふすま》の蔭から見定めて、
(ああ、しばらく、)
と留めたは、さて、殺しては相済まぬ。
これによって、われら守護する逗留客は、御自分の方から、この邸を開いて、もはや余所《よそ》へ立退《の》くじゃが。
その以前、直々《じきじき》に貴面を得て、客僧に申《もおし》談じたい儀があると謂《い》わるる。
客は女性《にょしょう》でござるに因って、一応|拙者《それがし》から申入れる。ためにこれへ罷出《まかりいで》た。
秋谷悪左衛門取次を致す、」
と高らかに云って、穏和《おだやか》に、
「お逢い下さりょうか、いかが、」
と云った。
僧は思わず、
「は、」と答える。
声も終らず、小山のごとく膝を揺《ゆら》げ、向け直したと見ると、
「ござらっしゃい!」
破鐘《われがね》のごときその大音、哄《どっ》と響いた。目くるめいて、魂遠くなるほどに、大魔の形体《ぎょうたい》、片隅の暗がりへ吸込《すいこ》まれたようにすッと退《の》いた、が遥《はるか》に小さく、およそ蛍の火ばかりになって、しかもその衣《きぬ》の色も、袴《はかま》の色も、顔の色も、頭《かしら》の毛の総髪《そうがみ》も、鮮麗《あざやか》になお目に映る。
「御免遊ばせ。」
向うから襖一枚、颯《さっ》と蒼《あお》く色が変ると、雨浸《あまじみ》の鬼の絵の輪郭を、乱れたままの輪に残して、ほんのり桃色がその上に浮いて出た。
ト見ると、房々とある艶《つや》やかな黒髪を、耳許《みみもと》白く梳《くしけず》って、櫛巻《くしまき》にすなおに結んだ、顔を俯向《うつむ》けに、撫肩《なでがた》の、細く袖を引合わせて、胸を抱いたが、衣紋《えもん》白く、空色の長襦袢《ながじゅばん》に、朱鷺色《ときいろ》の無地の羅《うすもの》を襲《かさ》ねて、草の葉に露の玉と散った、浅緑の帯、薄き腰、弱々と糸の艶に光を帯びて、乳《ち》のあたり、肩のあたり、その明りに、朱鷺色が、浅葱《あさぎ》が透き、膚《はだ》の雪も幽《かすか》に透く。
黒髪かけて、襟かけて、月の雫《しずく》がかかったような、裾《すそ》は捌《さば》けず、しっとりと爪尖《つまさ》き軽《かろ》く、ものの居て腰を捧げて進むるごとく、底の知れない座敷をうしろに、果《はて》なき夜の暗さを引いたが、歩行《ある》くともなく立寄って、客僧に近寄る時、いつの間にか襖が開くと、左右に雪洞《ぼんぼり》が二つ並んで、敷居際に差向って、女の膝ばかりが控えて見える。そのいずれかが狗《いぬ》の顔、と思いをめぐらす暇もない。
僧は前に彳《たたず》んだのを差覗《さしのぞ》くように一目見て、
「わッ、」
とばかりに平伏《ひれふ》した。実《げ》にこそその顔《かんばせ》は、爛々たる銀《しろがね》の眼《まなこ》一|双《なら》び、眦《まなじり》に紫の隈《くま》暗く、頬骨のこけた頤《おとがい》蒼味がかり、浅葱に窩《くぼ》んだ唇裂けて、鉄漿《かね》着けた口、柘榴《ざくろ》の舌、耳の根には針のごとき鋭《と》き牙《きば》を噛《か》んでいたのである。
四十三
「おお、自分の顔を隠したさ。貴僧《あなた》を威《おど》す心ではない、戸外《そと》へ出ます支度のまま……まあ、お恥かしい。」
と、横へ取ったは白鬼《はっき》の面。端麗にして威厳あり、眉美しく、目の優しき、その顔《かんばせ》を差俯向《さしうつむ》け、しとやかに手を支《つ》いた。
「は、は、はじめまして、」
と、しどろになって会釈すると、面《おもて》を上げた寂《さみ》しい頬に、唇|紅《あこ》う莞爾《にっこり》して、
「前刻《さっき》、憚《はばかり》へいらっしゃいます、廊下でお目に懸《かか》りましたよ。」
客僧も、今はなかなかに胴|据《すわ》りぬ。
「貴女《あなた》はどなたでございます。」
と尋ねたが、その時はほぼその誰なるかを知っているような気がしたのである。
美女《たおやめ》は褄《つま》を深う居直って、蚊帳を透《すか》して打傾く。
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