ただいま》お話を伺いました。そんなこんなで村の者も行《ゆ》かなくなり、爺様も夜は恐がって参りませんから、貴下の御容子《ごようす》が分らないに因って、家つきの仏を回向《えこう》かたがた、お見舞申してはくれまいか、と云うに就いて、推参したのでございますが、いや、何とも驚きました。
 いずれ御厄介に相成らねばなりませんが、私《わたくし》もどうか唯今のその茄子の鳴くぐらいな処で、御容赦が願いたい。
 どこと云って三界《さんがい》宿なし、一泊御報謝に預る気で参ったわけで。なかなか家つきの幽霊、祟《たたり》、物怪《もののけ》を済度しようなどという道徳思いも寄らず。実は入道|名《な》さえ持ちません。手前勝手、申訳のないお詫びに剃ったような坊主。念仏さえ碌《ろく》に真心からは唱えられんでございまして、御祈祷《ごきとう》僧《そう》などと思われましては、第一、貴下の前へもお恥かしゅうございますが、いかがでございましょう。お宿を願いましても差支えはないでございましょうか。いくらか覚悟はして参りましたが、目《ま》のあたりお話を伺いましては、ちと二の足でございますが。」
「一人でも客がありますと、それだけ鶴谷では喜びますそうです。持主の本宅が喜びますものを、誰に御遠慮が入《い》りますものですか。私もお連《つれ》があって、どんなに嬉しいか知れません。」
「そりゃ、鶴谷殿はじめ、貴下の思召しはさように難有《ありがと》うございましても、別にその……ええ、まず、持主が鶴谷としますと、この空屋敷の御支配でございますな、――その何とも異様な、あの、その、」
「それは私も御同然です。人の住むのが気に入らないので荒れるのだろうと思いますが。
 そこなんです、貴僧《あなた》。逆《さから》いさえしませんければ、畳も行燈《あんどう》も何事もないのですもの。戸障子に不意に火が附いてそこいらめらめら燃えあがる事がありましても、慌てて消す処は破れ、水を掛けた処は濡れますが、それなりの処は、後で見ますと濡れた様子もないのですから。
 座敷だっていくらもあります、貴僧、」
 とふと心づいたように、
「御一所でお煩《うるさ》ければ、隣のお座敷へいらっしゃい。何か正体を見届けようなぞと云っては不可《いけ》ませんが、鶴谷が許したお客僧が、何も御遠慮には及びません。
 ただすらりと開かないで、何かが圧《おさ》えてでもいるようでしたら、お見合せなさいまし。逆《さから》うと悪いんですから。」

       二十八

「なかなか、逆らいますどころではございません、座敷好みなんぞして可《い》いものでございますか。
 あの襖《ふすま》を振向いて熟《じっ》と視《み》ろ、とおっしゃったって、容易にゃそちらも向けません次第で、御覧の通り、早や固くなっております。
 お話につけて申しますが、実は手前もこの黒門を潜《くぐ》りました時は、草に支《つか》えて、しばらく足が出ませんでございました。
 それと申すが、まず庭口と思う処で、キリキリトーンと、余程その大轆轤《おおろくろ》の、刎釣瓶《はねつるべ》を汲上《くみあ》げますような音がいたす。
 もっとも曰《いわ》くづきの邸《やしき》ながら、貴下《あなた》お一方はまずともかくもいらっしゃる。人が住めば水も要ろうで、何も釣瓶の音が不思議と云うでは、道理上、こりゃ無いのでありまするが、婆さんに聞きました心積《こころづも》り、学生の方が自炊をしてお在《いで》と云えば、土瓶か徳利《とっくり》に汲んで事は足りる、と何となく思ってでもおりましたせいか、そのどうも水を汲む音が、馴《な》れた女中衆《おなごしゅ》でありそうに思われました。
 ト台所の方を、どうやら嫋娜《すらり》とした、脊の高い御婦人が、黄昏《たそがれ》に忙しい裾捌《すそさば》きで通られたような、ものの気勢《けはい》もございます。
 何となく賑《にぎや》かな様子が、七輪に、晩のお菜《かず》でもふつふつ煮えていようという、豆腐屋さ――ん、と町方ならば呼ぶ声のしそうな様子で。
 さては婆さんに試されたか、と一旦《いったん》は存じましたが、こう笠を傾けて遠くから覗込《のぞきこ》みました、勝手口の戸からかけて、棟へ、高く烏瓜《からすうり》の一杯にからんだ工合《ぐあい》が、何様、何ヶ月も閉切《しめきり》らしい。
 ござったかな、と思いながら、擽《くすぐ》ったいような御門内の草を、密《そっ》と蹈《ふ》んで入りますと、春さきはさぞ綺麗《きれい》でございましょう。一面に紫雲英《げんげ》が生えた、その葉の中へ伝わって、断々《きれぎれ》ながら、一条《ひとすじ》、蒼《あお》ずんだ明るい色のものが、這《は》ったように浮いたように落ちています。上へさした森の枝を、月が漏る影に相違は無さそうなが、何となく婦人の黒髪、その、丈長く、足許《あしもと》
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