を辷《すべ》り落ちて、消えたは可《い》いが、ぽたりぽたり雫《しずく》がし出した。頸《えり》と言わず、肩と言わず、降りかかって来ましたが、手を当てる、とべとりとして粘る。嗅《か》いでみると、いや、貴僧《あなた》、悪甘い匂と言ったら。
夜深しに汗ばんで、蒸々《むしむし》して、咽喉《のど》の乾いた処へ、その匂い。血腥《ちなまぐさ》いより堪《たま》りかねて、縁側を開けて、私が一番に庭へ出ると、皆《みんな》も跣足《はだし》で飛下りた。
驚いたのは、もう夜が明けていたことです。山の巓《いただき》の方は蒼《あお》くなって、麓《ふもと》へ靄《もや》が白んでいました。
不思議な処へ、思いがけない景色を見て、和蘭陀《オランダ》へ流された、と云うのがあるし、堪らない、まず行燈《あんどう》をつけ直せ、と怒鳴ったのが居る。
屋根のその辺だ、と思う、西瓜のあとには、烏が居て、コトコトと嘴《はし》を鳴らし、短夜《みじかよ》の明けた広縁には、ぞろぞろ夥《おびただ》しい、褐《かば》色の黒いのと、松虫鈴虫のようなのが、うようよして、ざっと障子へ駆上《かけあが》って消えましたが、西瓜の核《たね》が化《な》ったんですって。
連中は、ふらふら[#「ふらふら」は底本では「ふろふら」]と二日酔いのような工合《ぐあい》で、ぼんやり黒門を出て、川べりに帰りました。
橋の処で、杭《くい》にかかって、ぶかぶか浮いた真蒼《まっさお》な西瓜を見て、それから夢中で、遁《に》げたそうです。
昼過ぎに、宰八が来て、その話。
私はその時分までぐっすり寝ました。
この時おかしかったのは、爺さんが、目覚しに茶を一つ入れてやるべいって、小まめに世話をして、佳《い》い色に煮花が出来ましたが、あいにく西瓜も盗んで来ない。何かないか、と考えて、有る――台所に糖味噌が、こりゃ私に、と云って一々運ぶも面倒だから、と手の着いたのじゃあるが、桶《おけ》ごと持って来て、時々爺さんが何かを突込《つッこ》んでおいてくれるんでした。
一人だから食べ切れないで、直《じ》きつき過ぎる、と云って、世話もなし、茄子《なす》を蔕《へた》ごと生《しょう》のもので漬けてありました。可《い》い漬《つか》り加減だろう、とそれに気が着いて、台所へ出ましたっけ。
(お客様あ、)
(何だい。)
(昨夜《ゆうべ》凄《すさま》じい音がしたと言わしっけね、何にも落《おっ》こちたものはねえね。)
って言いながら、やがて小鉢へ、丸ごと五つばかり出して来ました。
薄お納戸の好《い》い色で。」
二十七
「青葉の影の射《さ》す処、白瀬戸の小鉢も結構な青磁の菓子器に装《も》ったようで、志の美しさ。
箸《はし》を取ると、その重《かさな》った茄子《なす》が、あの、薄皮の腹のあたりで、グッ、グッ。
一ツ音を出すと、また一つグッ、もう一つのもググ、ググと声を立てるんですものね。
変な顔をして、宰八が、
(お客様、聞えるかね。)
(ああ鳴くとも。)
(ちんじちょうようだ、此奴《こいつ》、)
と爺様《じいさん》が鉈豆《なたまめ》のような指の尖《さき》で、ちょいと押すと、その圧《お》されたのがグググ、手をかえるとまた他《ほか》のがググ。
心あって鳴くようで、何だか上になった、あの蔕《へた》の取手まで、小さな角《つの》らしく押立《おった》ったんです。
また飛出さない内に、と思って、私は一ツ噛《かじ》ったですよ。」
「召食《めしあが》ったか。」
と、僧は怪訝顔《けげんがお》で、
「それは、お豪《えら》い。」
「何聞く方の耳が鳴るんでしょうから、何事もありません、茄子《なすび》の鳴くわけは無いのですから。
それでも爺さんは苦切《にがりき》って、少《わか》い時にゃ、随分|悪物食《あくものぐい》をしたものだで、葬い料で酒ェ買って、犬の死骸《しがい》なら今でも食うが、茄子《なす》の鳴くのは厭だ、と言います。
もっとも変なことは変ですが、同じ気味の悪い中でも、対手《あいて》が茄子だけに、こりゃおかしくって可《よ》かったですよ。」
「茄子《なすび》ならば、でございますが、ものは茄子《なす》でも、対手《あいて》は別にございましょう。」
明は俯向《うつむ》いて莞爾《にっこり》した、別に意味のない笑《わらい》だった。
「で、そりゃ昼間の事でございますな。」
「昨日の午後《ひるすぎ》でした。」
「昼間からは容易でない。」
と半ば呟《つぶや》くがごとくに云って、
「では、昨夜あたりはさぞ……」
と聞く方が眉を顰《ひそ》める。
「ええ、酷《ひど》うございました、どうせ、夜が寝られはしないんですから、」
「それでお窶《やつ》れなさるのじゃ、貴下《あなた》、お顔の色がとんだ悪い!……
茶店の婆さんが申したも、その事でございます。
唯今《
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