って前刻《さっき》から――胸をはだけた、手織|縞《じま》の汚れた単衣《ひとえ》に、弛《ゆる》んだ帯、煮染めたような手拭《てぬぐい》をわがねた首から、頸《うなじ》へかけて、耳を蔽《おお》うまで髪の伸びた、色の黒い、巌乗《がんじょう》造りの、身の丈抜群なる和郎《わろ》一人。目の光の晃々《きらきら》と冴《さ》えたに似ず、あんぐりと口を開けて、厚い下唇を垂れたのが、別に見るものもない茶店の世帯を、きょろきょろと※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》していたのがあって――お百姓に、船頭殿は稼ぎ時、土方人足も働き盛り、日脚の八ツさがりをその体《てい》は、いずれ界隈《かいわい》の怠惰《なまけ》ものと見たばかり。小次郎法師は、別に心にも留めなかったが、不意の笑声に一驚を吃《きっ》して、和郎の顔と、折敷の団子を見|較《くら》べた。
「串戯《じょうだん》ではない、お婆《ばあ》さん、お前は見懸けに寄らぬ剽軽《ひょうきん》ものだね。」
「何でござりますえ。」
「いいえさ、この団子は、こりゃ泥か埴土《ねばつち》で製《こしら》えたのじゃないのかい。」
「滅相なことをおっしゃりまし。」
と年寄《としより》は真顔になり、見上げ皺《じわ》を沢山《たんと》寄せて、
「何を貴方、勿体もない。私《わし》もはい法然様《ほうねんさま》拝みますものでござります。吝嗇坊《しわんぼう》の柿の種が、小判小粒になればと云うて、御出家に土の団子を差上げまして済むものでござりますかよ。」
真正直《まっしょうじき》に言訳されて、小次郎法師はちと気の毒。
「何々、そう真に受けられては困ります。この涼しさに元気づいて、半分は冗戯《じょうだん》だが、旅をすれば色々の事がある。駿州《すんしゅう》の阿部川|餅《もち》は、そっくり正《しょう》のものに木で拵《こしら》えたのを、盆にのせて、看板に出してあると云います。今これを食べようとするのを見てその人が、」
と其方《そなた》を見た、和郎はきょとんと仰向《あおむ》いて、烏も居《お》らぬに何じゃやら、頻《しきり》に空を仰いでござる。
「唐突《だしぬけ》に笑うから、ははあ、この団子も看板を取違えたのかと思ったんだよ。」
「ええ、ええ、いいえ、お前様、」
とこざっぱりした前かけの膝《ひざ》を拍《たた》き、近寄って声を密《ひそ》め、
「これは、もし気ちがいでござりますよ。はい
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