《きゝあは》せたが、居合《ゐあ》はせた婦人連《ふじんれん》が亦《また》誰《たれ》も知《し》らぬ。其《そ》の癖《くせ》、佳薫《いゝかをり》のする花《はな》だと云《い》つて、小《ちひ》さな枝《えだ》ながら硝子杯《コツプ》に插《さ》して居《ゐ》たのがあつた。九州《きうしう》の猿《さる》が狙《ねら》ふやうな褄《つま》の媚《なまめ》かしい姿《すがた》をしても、下枝《したえだ》までも屆《とゞ》くまい。小鳥《ことり》の啄《ついば》んで落《おと》したのを通《とほ》りがかりに拾《ひろ》つて來《き》たものであらう。
「お乳《ちゝ》のやうですわ。」
一人《ひとり》の處女《しよぢよ》が然《さ》う云《い》つた。
成程《なるほど》、近々《ちか/″\》と見《み》ると、白《しろ》い小《ちひ》さな花《はな》の、薄《うつす》りと色着《いろづ》いたのが一《ひと》ツ一《ひと》ツ、美《うつくし》い乳首《ちゝくび》のやうな形《かたち》に見《み》えた。
却説《さて》、日《ひ》が暮《く》れて、其《そ》の歸途《かへり》である。
私《わたし》たちは七丁目《なゝちやうめ》の終點《しうてん》から乘《の》つて赤坂《あかさか》の方《はう》へ歸《かへ》つて來《き》た……あの間《あひだ》の電車《でんしや》は然《さ》して込合《こみあ》ふ程《ほど》では無《な》いのに、空《そら》怪《あや》しく雲脚《くもあし》が低《ひく》く下《さが》つて、今《いま》にも一降《ひとふり》來《き》さうだつたので、人通《ひとどほ》りが慌《あわたゞ》しく、一町場《ひとちやうば》二町場《ふたちやうば》、近處《きんじよ》へ用《よう》たしの分《ぶん》も便《たよ》つたらしい、停留場《ていりうぢやう》毎《ごと》に乘人《のりて》の數《かず》が多《おほ》かつた。
で、何時《いつ》何處《どこ》から乘組《のりく》んだか、つい、それは知《し》らなかつたが、丁《ちやう》ど私《わたし》たちの並《なら》んで掛《か》けた向《むか》う側《がは》――墓地《ぼち》とは反對《はんたい》――の處《ところ》に、二十三四の色《いろ》の白《しろ》い婦人《ふじん》が居《ゐ》る……
先《ま》づ、色《いろ》の白《しろ》い婦《をんな》と云《い》はう、が、雪《ゆき》なす白《しろ》さ、冷《つめた》さではない。薄櫻《うすざくら》の影《かげ》がさす、朧《おぼろ》に香《にほ》ふ裝《よそほひ》である。……こんな
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