で行《ゆ》く。美《うつくし》い肉《にく》の脊筋《せすぢ》を掛《か》けて左右《さいう》へ開《ひら》く水《みづ》の姿《すがた》は、輕《かる》い羅《うすもの》を捌《さば》くやうです。其《そ》の膚《はだ》の白《しろ》い事《こと》、あの合歡花《ねむのはな》をぼかした色《いろ》なのは、豫《かね》て此《こ》の時《とき》のために用意《ようい》されたのかと思《おも》ふほどでした。
 動止《うごきや》んだ赤茶《あかちや》けた三俵法師《さんだらぼふし》が、私《わたし》の目《め》の前《まへ》に、惰力《だりよく》で、毛筋《けすぢ》を、ざわ/\とざわつかせて、うツぷうツぷ喘《あへ》いで居《ゐ》る。
 見《み》ると驚《おどろ》いた。ものは棕櫚《しゆろ》の毛《け》を引束《ひツつか》ねたに相違《さうゐ》はありません。が、人《ひと》が寄《よ》る途端《とたん》に、ぱちぱち豆《まめ》を燒《や》く音《おと》がして、ばら/\と飛着《とびつ》いた、棕櫚《しゆろ》の赤《あか》いのは、幾千萬《いくせんまん》とも數《かず》の知《し》れない蚤《のみ》の集團《かたまり》であつたのです。
 早《は》や、兩脚《りやうあし》が、むづ/\、脊筋《せすぢ》がぴち/\、頸首《えりくび》へぴちんと來《く》る、私《わたし》は七顛八倒《しつてんはつたう》して身體《からだ》を振《ふ》つて振飛《ふりと》ばした。
 唯《と》、何《なん》と、其《そ》の棕櫚《しゆろ》の毛《け》の蚤《のみ》の巣《す》の處《ところ》に、一人《ひとり》、頭《づ》の小《ちひ》さい、眦《めじり》と頬《ほゝ》の垂下《たれさが》つた、青膨《あをぶく》れの、土袋《どぶつ》で、肥張《でつぷり》な五十《ごじふ》恰好《かつかう》の、頤鬚《あごひげ》を生《はや》した、漢《をとこ》が立《た》つて居《ゐ》るぢやありませんか。何《なに》ものとも知《し》れない。越中褌《ゑつちうふんどし》と云《い》ふ……あいつ一《ひと》つで、眞裸《まつぱだか》で汚《きたな》い尻《けつ》です。
 婦《をんな》は沼《ぬま》の洲《す》へ泳《およ》ぎ着《つ》いて、卯《う》の花《はな》の茂《しげり》にかくれました。
 が、其《そ》の姿《すがた》が、水《みづ》に流《なが》れて、柳《やなぎ》を翠《みどり》の姿見《すがたみ》にして、ぽつと映《うつ》つたやうに、人《ひと》の影《かげ》らしいものが、水《みづ》の向《むか》うに、岸《き
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