神佛《しんぶつ》から授《さづ》かつたものと思《おも》へば、屹《きつ》と病氣《びやうき》が治《なほ》りませう。私《わたし》も幸福《かうふく》なんです。
丁度《ちやうど》私《わたし》の居《ゐ》た汀《みぎは》に、朽木《くちき》のやうに成《な》つて、沼《ぬま》に沈《しづ》んで、裂目《さけめ》に燕子花《かきつばた》の影《かげ》が映《さ》し、破《やぶ》れた底《そこ》を中空《なかぞら》の雲《くも》の往來《ゆきき》する小舟《こぶね》の形《かたち》が見《み》えました。
其《それ》を見棄《みす》てて、御堂《おだう》に向《むか》つて起《た》ちました。
談話《はなし》の要領《えうりやう》をお急《いそ》ぎでせう。
早《はや》く申《まを》しませう。……其《そ》の狐格子《きつねがうし》を開《あ》けますとね、何《ど》うです……
(まあ、此《これ》は珍《めづら》しい。)
几帳《きちやう》とも、垂幕《さげまく》とも言《い》ひたいのに、然《さ》うではない、萌黄《もえぎ》と青《あを》と段染《だんだら》に成《な》つた綸子《りんず》か何《なん》ぞ、唐繪《からゑ》の浮模樣《うきもやう》を織込《おりこ》んだのが窓帷《カアテン》と云《い》つた工合《ぐあひ》に、格天井《がうてんじやう》から床《ゆか》へ引《ひ》いて蔽《おほ》うてある。此《これ》に蔽《おほ》はれて、其《そ》の中《なか》は見《み》えません。
此《これ》が、もつと奧《おく》へ詰《つ》めて張《は》つてあれば、絹一重《きぬひとへ》の裡《うち》は、すぐに、御廚子《みづし》、神棚《かみだな》と云《い》ふのでせうから、誓《ちか》つて、私《わたし》は、覗《のぞ》くのではなかつたのです。が、堂《だう》の内《うち》の、寧《むし》ろ格子《かうし》へ寄《よ》つた方《はう》に掛《かゝ》つて居《ゐ》ました。
何心《なにごころ》なく、端《はし》を、キリ/\と、手許《てもと》へ、絞《しぼ》ると、蜘蛛《くも》の巣《す》のかはりに幻《まぼろし》の綾《あや》を織《お》つて、脈々《みやく/\》として、顏《かほ》を撫《な》でたのは、薔薇《ばら》か菫《すみれ》かと思《おも》ふ、いや、それよりも、唯今《たゞいま》思《おも》へば、先刻《さつき》の花《はな》の匂《にほひ》です、何《なん》とも言《い》へない、甘《あま》い、媚《なまめ》いた薫《かをり》が、芬《ぷん》と薫《かを》つた。」
――
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