《き》て釣《つり》をしたのか、それとも、何《なん》の國《くに》、何《なん》の里《さと》、何《なん》の池《いけ》で釣《つ》つたのが、一種《いつしゆ》の蜃氣樓《しんきろう》の如《ごと》き作用《さよう》で此處《こゝ》へ映《うつ》つたのかも分《わか》りません。餘《あま》り靜《しづか》な、もの音《おと》のしない樣子《やうす》が、夢《ゆめ》と云《い》ふよりか其《そ》の海市《かいし》に似《に》て居《ゐ》ました。
沼《ぬま》の色《いろ》は、やゝ蒼味《あをみ》を帶《お》びた。
けれども、其《そ》の茶店《ちやみせ》の婆《ばあ》さんは正《しやう》のものです。現《げん》に、私《わたし》が通《とほ》り掛《がか》りに沼《ぬま》の汀《みぎは》の祠《ほこら》をさして、(あれは何樣《なにさま》の社《やしろ》でせう。)と尋《たづ》ねた時《とき》に、(賽《さい》の神樣《かみさま》だ。)と云《い》つて教《をし》へたものです。今《いま》其《そ》の祠《ほこら》は沼《ぬま》に向《むか》つて草《くさ》に憩《いこ》つた背後《うしろ》に、なぞへに道芝《みちしば》の小高《こだか》く成《な》つた小《ちひ》さな森《もり》の前《まへ》にある。鳥居《とりゐ》が一基《いつき》、其《そ》の傍《そば》に大《おほき》な棕櫚《しゆろ》の樹《き》が、五|株《かぶ》まで、一|列《れつ》に並《なら》んで、蓬々《おどろ/\》とした形《かたち》で居《ゐ》る。……さあ、此《これ》も邸《やしき》あとと思《おも》はれる一條《ひとつ》で、其《そ》の小高《こだか》いのは、大《おほ》きな築山《つきやま》だつたかも知《し》れません。
處《ところ》で、一|錢《せん》たりとも茶代《ちやだい》を置《お》いてなんぞ、憩《やす》む餘裕《よゆう》の無《な》かつた私《わたし》ですが、……然《さ》うやつて賣藥《ばいやく》の行商《ぎやうしやう》に歩行《ある》きます時分《じぶん》は、世《よ》に無《な》い兩親《りやうしん》へせめてもの供養《くやう》のため、と思《おも》つて、殊勝《しゆしよう》らしく聞《きこ》えて如何《いかゞ》ですけれども、道中《だうちう》、宮《みや》、社《やしろ》、祠《ほこら》のある處《ところ》へは、屹《きつ》と持合《もちあは》せた藥《くすり》の中《なか》の、何種《なにしゆ》のか、一包《ひとつゝみ》づゝを備《そな》へました。――詣《まう》づる人《ひと》があつて
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