《たれ》か拵《こしら》へるものが居《ゐ》て、直《す》ぐ其《それ》を売《う》るらしい。破莚《やれむしろ》の上《うへ》は、藍《あゐ》の絵具《ゑのぐ》や、紅殻《べにがら》だらけ――婆《ばあ》さんの前垂《まへだれ》にも、ちら/\霜《しも》のやうに胡粉《ごふん》がかゝつた。其《そ》の他《た》角細工《つのざいく》も種々《いろ/\》ある。……
「はツはツ、婆様《ばあさま》が家《うち》ぢや。」と老爺《ぢゞい》は不意《ふい》に笑《わら》ひ懸《か》けて、
「茶《ちや》でも飲《あが》つてござつたかの。」
雪枝《ゆきえ》は不図《ふと》心着《こゝろづ》いたらしく調子《てうし》を変《か》へて、
「あゝ、お知己《ちかづき》の店《みせ》なんですか。」
「昔《むかし》の恋《こひ》でがす。彼《あれ》でもの、お前様《めえさま》、新造盛《しんざうざか》りの事《こと》も有《あ》つけ。人形《あねさま》を欲《ほ》しがる時分《じぶん》ぢや。なんぼ山鳥《やまどり》のおろのかゞみで、頤髯《あごひげ》さ撫《な》でた処《ところ》で、木《き》の枝《えだ》で、鋸《のこぎり》を使《つか》ひ/\、猿《さる》の脚《あし》と並《なら》んだ尻《しり》を、下《した》から見《み》せては落《お》つこちねえ。其処《そこ》で、人形《にんぎやう》やら、おかめの面《めん》やら、御機嫌取《ごきげんとり》に拵《こしら》へて持《も》つて行つては、莞爾《につこり》させて他愛《たあい》なく見惚《みと》れて居《ゐ》たものでがす。はゝゝ、はじめの内《うち》は納戸《なんど》の押入《おしいれ》へ飾《かざ》つての、見《み》るな見《み》るな、と云《い》ふ。恐《おそ》ろしい、男《をとこ》を食《く》つて骨《ほね》を秘《かく》す、と村《むら》のものが嬲《なぶ》つたつけの……真個《ほん》の孤屋《ひとつや》の鬼《おに》に成《な》つて、狸婆《たぬきばゞあ》が、旧《もと》の色仕掛《いろじか》けで私《わし》に強請《ゆす》つて、今《いま》では銭《おあし》にするでがすが、旦那《だんな》、何《なに》か買《か》はしつたか、沢山《たんと》直切《ねぎ》らつしやれば可《よ》かつけな。」
采《さい》
十三
「おゝ、老爺《おぢい》さんが、あの、種々《いろ/\》なものを。」
と雪枝《ゆきえ》は目《め》の覚《さ》めた顔色《かほつき》して、
「面《めん》も頭《かしら》も、お製作《こしら》へに成《な》つたんですか。……あゝ、いや、鷺《さぎ》のお手際《てぎは》を見《み》たので分《わか》る。軒《のき》に振《ぶ》ら下《さが》つた獅子頭《しゝがしら》や、狐《きつね》の面《めん》など、どんな立派《りつぱ》なものだつたか分《わか》らない。が、其《それ》に気《き》が着《つ》く了見《れうけん》なら、こんな虚気《うつけ》な、――対手《あひて》が鬼《おに》にしろ、魔《ま》にしろ、自分《じぶん》の女房《にようばう》を奪《うば》はれる馬鹿《ばか》は見《み》ない。
失礼《しつれい》ながら、そんなものは目《め》も留《と》めないで、
『采《さい》は無《な》いか。』
『お媼《ばあ》さん、あの、采《さい》はありませんか。』
と同伴《つれ》の婦《をんな》も聞《き》いたんです。」……
双六巌《すごろくいは》で振《ふ》らうと云《い》ふ、よく考《かんが》へれば夢《ゆめ》のやうなことだつた。
『一六《いちろく》、三五《さんご》の釆粒《さいつぶ》かの、はい、ござります。』と隅《すみ》の壁《かべ》へ押着《おつゝ》けた、薬箪笥《くすりだんす》の古《ふる》びたやうな抽斗《ひきだし》を開《あ》けると、鼠《ねづみ》の屎《ふん》が、ぱら/\溢《こぼ》れる。其《そ》の中《なか》から、畳紙《たとうがみ》を出《だ》して、ころ/\と手《て》で揺《ゆす》りながら軒《のき》の明前《あかりさき》へ持《も》つて出《で》た。
『猪《ゐのしゝ》の牙《きば》で拵《こさ》へました、ほんに佳《い》い采《さい》でござります、御覧《ごらう》じまし。』と莞爾々々《にこ/\》しながら、掌《てのひら》を反《そ》らして載《の》せた処《ところ》を、二人《ふたり》で一個《ひとつ》づゝ取《と》つた。
釆《さい》は珠《たま》のやうに見《み》えた。綺麗《きれい》に磨《みが》いたのが透通《すきとほ》るばかりに出来《でき》て、点々《ぽち/\》打《う》つた目《め》の黒《くろ》いのが、雪《ゆき》の中《なか》に影《かげ》の顕《あら》はれた、連《つらな》る山々《やま/\》、秀《ひい》でた峯《みね》、深《ふか》い谷《たに》のやうに不図《ふと》見《み》えた。
『可愛《かあい》ぢやありませんか。』
と同伴《つれ》の女《をんな》は一寸《ちよいと》摘《つま》んだが、掌《てのひら》へ据《す》え直《なほ》して、
『お媼《ばあ》さん、思《おも》ふ目《め》が出《で》ませうか。』と右《みぎ》の手《て》を蓋《ふた》で胸《むね》へつけて、ころ/\と振《ふ》つて試《み》る。
と背中《せなか》から抱《だ》き締《し》めて、づる/\と遠《とほ》くへ持《も》つて行《ゆ》かれたやうに成《な》つて、雪枝《ゆきえ》は其時《そのとき》の事《こと》を思出《おもひだ》した。
「其《そ》の時《とき》の事《こと》と言《い》ふのは、父《ちゝ》が此《こ》の土地《とち》の祠《ほこら》から持《も》つて帰《かへ》つた、あの、掌《てのひら》に秘密《ひみつ》を蔵《かく》した木像《もくざう》です。」
「おゝ、」と頷《うなづ》く、老爺《ぢい》は腕組《うでぐみ》を為《し》た肩《かた》を動《うご》かす。
「あゝ、それぢや、木彫《きぼり》の美人《びじん》が、父《ちゝ》のナイフに突刺《つきさ》されて、暖炉《ストーブ》の中《なか》に焼《や》かれた時《とき》まで、些《ちつ》とも其《そ》の秘密《ひみつ》を明《あ》かさなかつた、微妙《びめう》な音《ね》のしたものは、同一《おなじ》、此《こ》の采《さい》であつたかも知《し》れない。
時《とき》に、傍《そば》に立《た》つた家内《かない》の姿《すがた》が、其《それ》に髣髴《そつくり》だ、と思《おも》ふと、想像《さうざう》が遠《とほ》く昔《むかし》へ返《かへ》つて、不思議《ふしぎ》なもので、袖《そで》を並《なら》べたお浦《うら》の姿《すがた》が、づゝと離《はな》れて遥《はる》かな向《むか》ふへ……」
と雪枝《ゆきえ》は語《かた》つて、押遣《おしや》るやうに手《て》を振《ふ》つた。
「其時《そのとき》の事《こと》を思《おも》ふと、老爺《おぢい》さん、恁《か》う言《い》ふ内《うち》にも貴方《あなた》の身体《からだ》も遠《とほ》くへ行《ゆ》く……ふら/\と間《あひだ》が離《はな》れる。」……
而《そ》して、婆《ばあ》さんの店《みせ》なりに、お浦《うら》の身体《からだ》が向《むか》ふへ歩行《ある》いて、見《み》る間《ま》に其《それ》が、谷《たに》を隔《へだ》てた山《やま》の絶頂《ぜつちやう》へ――湧出《わきで》る雲《くも》と裏表《うらおもて》に、動《うご》かぬ霞《かすみ》の懸《かゝ》つた中《なか》へ、裙袂《すそたもと》がはら/\と夕風《ゆふかぜ》に靡《なび》きながら薄《うす》くなる。
あの辺《あたり》へ、夕暮《ゆふぐれ》の鐘《かね》が響《ひゞ》いたら、姿《すがた》が近《ちか》く戻《もど》るのだらう、――と誰《た》が言《い》ふともなく自分《じぶん》で安心《あんしん》して、益々《ます/\》以前《もと》の考《かんがへ》に耽《ふけ》つて居《ゐ》ると、榾《ほだ》を焚《た》くか、炭《すみ》を焼《や》くか、谷間《たにま》に、彼方此方《かなたこなた》、ひら/\、ひら/\と蒼白《あをじろ》い炎《ほのほ》が揚《あが》つた。
思《おも》はず彫像《てうざう》を焼《や》いた暖炉《ストーブ》の火《ひ》に心着《こゝろづ》いて、何故《なぜ》か、急《きふ》に女《をんな》の身《み》が危《あや》ぶまれて来《き》た。
『お浦《うら》。』
と呼《よ》んだが返事《へんじ》をしない。
『お浦《うら》、お浦《うら》。』と言《い》つたが、返事《へんじ》を為《し》ない。雪枝《ゆきえ》最《も》うきよろ/\し出《だ》した、其《それ》で二足三足《ふたあしみあし》づゝ、前後左右《ぜんごさいう》を、ばた/\と行《い》つたり、来《き》たり……
慌《あはたゞ》しく成《な》つて来《き》た。
第一《だいいち》、お浦《うら》ばかりぢやない、其処《そこ》に居《ゐ》た婆《ばあ》さんも見《み》えなければ、其《それ》らしい店《みせ》もない。
いや、これは可怪《おかし》いぞ。一人《ひとり》ばかり居《ゐ》ないのなら、女《をんな》が何《ど》うかしたのだらうが、店《みせ》も婆《ばあ》さんもなくなつた、とすると……前方《さき》が攫《さら》はれたのぢやなくつて、自分《じぶん》が魅《つま》まれたものらしい。
『おゝい、おゝい。』
と智恵《ちゑ》のない声《こゑ》をしながら、無暗《むやみ》に人《ひと》を呼《よ》んで、雪枝《ゆきえ》は山路《やまみち》を駆《かけ》づり廻《まは》つた。
十四
「段々《だん/\》暗《くら》くなる、最《も》う目《め》は眩《くら》む、風《かぜ》が吹出《ふきだ》す。此《こ》の風《かぜ》は……昼間《ひるま》蒼《あを》く澄《す》んだ山《やま》の峡《かひ》から起《おこ》つて、障《さは》つて来《く》る樹《き》の枝《えだ》、岩角《いはかど》、谷間《たにあひ》に、白《しろ》い雲《くも》のちぎれて鳥《とり》の留《とま》るやうに見《み》えたのは未《ま》だ雪《ゆき》が残《のこ》つたのか、……と思《おも》ふほど横面《よこづら》を削《けづ》つて冷《つめ》たかつた。
『ま……、何処《どこ》へござらつしやる、旦那《だんな》。』
とすた/\小走《こばし》りに駆《か》けて来《き》て、背後《うしろ》から袂《たもと》を引留《ひきと》めた、山稼《やまかせ》ぎの若《わか》い男《をとこ》があつた。
『お城趾《しろあと》へ行《ゆ》かしつては成《な》りましねえだよ。日《ひ》も暮《く》れたに、当事《あてこと》もねえ。』と少《すこ》し叱《しか》つて言《い》ふ。
煙《けむり》が立《た》つて、づん/\とあがる坂《さか》一筋《ひとすぢ》、やがて、其《そ》の煙《けむり》の裙《すそ》が下伏《したぶ》せに、ぱつと拡《ひろ》がつたやうな野末《のずゑ》の処《ところ》へ掛《かゝ》つて居《ゐ》ました。」
雪枝《ゆきえ》は胸《むね》を伸上《のしあ》げて、岬《みさき》が突出《つきで》た湾《わん》の外《そと》を臨《のぞ》むが如《ごと》く背後状《うしろざま》に広野《ひろの》を視《なが》めた。……東雲《しのゝめ》の雲《くも》は其《そ》の野末《のずゑ》を離《はな》れて、細《ほそ》く長《なが》く縦《たて》に蒼空《あをぞら》の糸《いと》を引《ひ》いて、上《のぼ》つて行《ゆ》く、……人《ひと》も馬《うま》も、其処《そこ》を通《とほ》つたら、ほつほつと描《ゑが》かれやう、鳥《とり》も飛《と》ばゞ見《み》えやう、――けれども天守《てんしゆ》の屋根《やね》は森《もり》が包《つゝ》んで、霞《かすみ》がくれに尚《なほ》暗《くら》い。其《そ》の上《うへ》、野《の》の果《はて》を引上《ひきあげ》る雲《くも》も此方《こなた》をさして畳《たゝ》まつて来《く》るやうで、老爺《ぢゞい》と差向《さしむか》つた中空《なかぞら》は厚《あつ》さが増《ま》す。其《そ》の濃《こ》く暗《くら》い奥《おく》から、黄金色《こがねいろ》に赤味《あかみ》の注《さ》した雲《くも》が、むく/\と湧出《わきだ》す、太陽《たいやう》は其処《そこ》まで上《のぼ》つた――汀《みぎは》の蘆《あし》の枯《か》れた葉《は》にも、さすがに薄《うす》い光《ひかり》がかゝつて、角《つの》ぐむ芽生《めばえ》もやゝ煙《けぶ》りかけた。此《こ》の煙《けむり》は月夜《つきよ》のやうに水《みづ》の上《うへ》にも這《は》ひ懸《かゝ》る。船《ふね》の焼《や》けた余波《なごり》は分解《わか》ず……唯《たゞ》陽炎《かげらふ》が頻《しきり》に形《かたち》づくりするのが分解《わ
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