《おほき》な像《ざう》で、飯《めし》の時《とき》なんぞ、並《なら》んで坐《すは》る、と七才《なゝつ》の年《とし》の私《わたくし》の芥子坊主《けしばうず》より、づゝと上《うへ》に、髪《かみ》の垂《さが》つた島田《しまだ》の髷《まげ》が見《み》えたんです。衣服《きもの》は白無垢《しろむく》に、水浅黄《みづあさぎ》の襟《ゑり》を重《かさ》ねて、袖口《そでくち》と褄《つま》はづれは、矢張《やつぱり》白《しろ》に常夏《とこなつ》の花《はな》を散《ち》らした長襦袢《ながじゆばん》らしく出来《でき》て居《ゐ》て……其《それ》が上《うへ》から着《き》せたのではない。木彫《きぼり》に彩色《さいしき》を為《し》たんです。が、不思議《ふしぎ》なのは、其《そ》の白無垢《しろむく》、何《ど》うして置《お》いても些《ちつ》とでも塵埃《ほこり》が溜《たま》らず、虫《むし》も蠅《はい》も、遂《つい》ぞ集《たか》つたことが無《な》い。花畑《はなばたけ》へでも抱《だ》いて出《で》ると、綺麗《きれい》な蝶々《てふ/\》は、帯《おび》に来《き》て、留《とま》つたんです、最《も》う一《ひと》つ不思議《ふしぎ》なのは、立像《りつざう》に刻《きざ》んだのが、膝《ひざ》柔《やはら》かにすつと坐《すは》る。
袖《そで》は両方《りやうはう》から振《ふり》が合《あ》つて、乳《ちゝ》のあたりで、上下《うへした》に両手《りやうて》を重《かさ》ねたのが、ふつくりして、中《なか》に何《なに》か入《はい》つて居《ゐ》さうで、……駆《か》けて行《い》つて、
『姉《ねえ》さん、』と捉《つか》まつた時《とき》なぞ、肩《かた》が揺《ゆ》れると、ころりん、ころりんと其《それ》は実《じつ》に……何《なん》とも微妙《びめう》な音《ね》が為《し》て幽《かすか》に鳴《な》る、……父母《ふたおや》をはじめ、見《み》るほどのものは、何《なん》だらう何《なん》だらう、と言《い》ひ/\したが、指《ゆび》を折《を》らなくては分《わか》らないから、無論《むろん》開《あ》けては見《み》ず仕舞《じまひ》。
とう/\其《そ》の彫像《てうざう》を――何《なん》です――父《ちゝ》が暖炉《ストーブ》に燻《く》べて焼《や》いたまでも分《わか》らなかつたんです。
ちら/\雪《ゆき》の降《ふ》る晩方《ばんがた》でした。……私《わたくし》は、小児《こども》の群食《むらぐひ》で、欲《ほし》くない。両親《りやうしん》が卓子《ていぶる》に対向《さしむか》ひで晩飯《ばんめし》を食《た》べて居《ゐ》た。其処《そこ》へ、彫像《てうざう》を負《おぶ》つて入《はい》つたんですが、西洋室《せいやうま》の扉《ひらき》を開《あ》けやうとして、
『姉《ねえ》さん、』と仰向《あふむ》くと上《うへ》から俯向《うつむ》いて見《み》たやうに思《おも》ふ、……廊下《らうか》の長《なが》い、黄昏時《たそがれどき》の扉《ひらき》の際《きは》で、むら/\と鬢《びん》の毛《け》が、其時《そのとき》は戦《そよ》いだやうに思《おも》ひました。ぱつちりした目《め》が、眉《まゆ》の下《した》で、睫毛《まつげ》を黒《くろ》く瞬《またゝ》いたやうで。……」
見《み》ながら、其《そ》のまゝ、扉《ひらき》を開《あ》ける、と小児《こども》の背《せな》に、裾《すそ》を後抱《うしろだき》にして居《ゐ》た彫像《てうざう》の丈《たけ》が反《そ》つて、髷《まげ》が、天井裏《てんじやううら》の高《たか》い処《ところ》に見《み》えた。
ト半靴《はんぐつ》の先《さき》を反《そ》らした、母親《はゝおや》の白《しろ》い足《あし》が卓子掛《ていぶるかけ》と絨氈《じうたん》の間《あひだ》で動《うご》いた。窓《まど》の外《そと》は雪《ゆき》が其《そ》の光《ひかり》を撫《な》でゝ、さら/\音《おと》が為《し》さうに、月《つき》が有《あ》つて、植込《うゑこみ》の梢《こずえ》がちら/\黒《くろ》い。烈々《れつ/\》と燃《も》える暖炉《だんろ》のほてりで、赤《あか》い顔《かほ》の、小刀《ナイフ》を持《も》つたまゝ頤杖《あごづゑ》をついて、仰向《あふむ》いて、ひよいと此方《こちら》を向《む》いた父《ちゝ》の顔《かほ》が真蒼《まつさを》に成《な》つた。
十
「東京《とうきやう》駿河台《するがだい》に家《うち》があつた、其《そ》の二階《にかい》でした。」
と言《い》ひかけて、左右《さいう》を見《み》る、と野《の》と濠《ほり》と草《くさ》ばかりでは無《な》く、黙《だま》つて打傾《うちかたむ》いて老爺《ぢゞい》が居《ゐ》た。其《それ》を、……雪枝《ゆきえ》は確《たしか》め得《え》た面色《おもゝち》であつた。
「父《ちち》が矗乎《すつくり》と立《た》つと……
『おのれ!』と言《い》つて、つか/\と来《き》ましたが。私《わたくし》の身躰《からだ》が一《ひと》つ、胴廻《どうまは》りを為《す》ると、肩《かた》から倒《さかさま》に婦《をんな》が落《お》ちた。裙《すそ》が未《ま》だ此《こ》の肱《ひぢ》に懸《かゝ》つて、橋《はし》に成《な》つて床《ゆか》に着《つ》く、仰向《あふむ》けの白《しろ》い咽喉《のど》を、小刀《ナイフ》でざつくりと、さあ、斬《き》りましたか、突《つ》いたんですか。
『きやつ、』と言《い》つて、私《わたくし》は鉄砲玉《てつぱうだま》のやうに飛出《とびだ》したが、廊下《らうか》の壁《かべ》に額《ひたひ》を打《ぶ》つて、ばつたり倒《たふ》れた。……気《き》の弱《よわ》い母《はゝ》もひきつけて了《しま》つたさうです。
母《はゝ》は、父《ちゝ》が、其《そ》の木像《もくざう》の胴《どう》を挫折《ひしを》つた――其《それ》が又《また》脆《もろ》く折《を》れた――のを突然《いきなり》頭《あたま》から暖炉《ストーブ》へ突込《つゝこ》んだのを見《み》たが、折口《をれくち》に偶《ふ》と目《め》が着《つ》くと、内臓《ないざう》がすつかり刻込《きざみこ》んであつた。まるで生《しやう》のものを見《み》るやうに腸《はらわた》も長《なが》く、青《あを》い火《ひ》が其《それ》に搦《から》んだので、余《あまり》の事《こと》に気絶《きぜつ》したんだ、と後《のち》に言《い》ひます。
父《ちゝ》は年《とし》経《た》つて亡《な》くなるまで、其時《そのとき》の事《こと》に就《つ》いては一言《いちごん》も何《なん》にも言《い》はない。最《もつと》も当坐《たうざ》二月《ふたつき》ばかりは、何《ど》うかすると一室《ひとま》に籠《こも》つて、誰《たれ》にも口《くち》を利《き》かないで、考事《かんがへごと》をして居《ゐ》たさうですが、別《べつ》に仔細《しさい》は無《な》かつたんです。
但《たゞし》其時《そのとき》から、両親《りやうしん》は私《わたくし》を男《をとこ》にしました。其《それ》まで、三人《さんにん》も出来《でき》た児《こ》が皆《みんな》育《そだ》たなかつたので、私《わたくし》を女《をんな》にして置《お》いたんです。名《な》も雪枝《ゆきえ》と言《い》ふ女《をんな》のやうな。
其《そ》の名《な》を直《す》ぐに号《がう》にして、今《いま》、こんな家業《かげふ》を為《す》るやうに成《な》つたのも、小児《こども》の時《とき》から、其《そ》の像《ざう》の事《こと》が、目《め》にも心《こゝろ》にも身躰《からだ》にも離《はな》れなかつた為《せゐ》なんです。
こんな辺鄙《へんぴ》な温泉《をんせん》へ参《まゐ》つたのも、実《じつ》は忘《わす》れられない可懐《なつか》しい気《き》が為《し》たゝめです。何処《どこ》か知《し》らんが、其《そ》の木像《もくざう》は、父《ちゝ》が此《こ》の土地《とち》から持《も》つて帰《かへ》つたと言《い》ふぢやありませんか。
山《やま》も谷《たに》も野《の》も水《みづ》も、其処《そこ》には私《わたくし》の師匠《ししやう》がある、と信《しん》じ居《ゐ》た。果《はた》して貴下《あなた》にお目《め》にかゝつた。――あの、白無垢《しろむく》に常夏《とこなつ》の長襦袢《ながじゆばん》、浅黄《あさぎ》の襟《ゑり》して島田《しまだ》に結《ゆ》つた、両《りやう》の手《て》に秘密《ひみつ》を蔵《かく》した、絶世《ぜつせ》の美人《びじん》の像《ざう》を刻《きざ》んだ方《かた》は、貴下《あなた》の其《そ》の祖父様《おぢいさん》では無《な》いでせうか。」
雪枝《ゆきえ》は熟《じつ》と対手《あひて》を視《なが》めた。
「え、貴下《あなた》かも分《わか》らん、貴下《あなた》かも知《し》れません。先生《せんせい》、仰有《おつしや》つて下《くだ》さい、一生《いつしやう》のお願《ねが》ひです。」
「若《わけ》え旦那《だんな》、祖父殿《おんぢいどん》が事《こと》は私《わし》も知《し》らんで、何《なに》か言《い》はつしやりますやうな悪戯《いたづら》を為《し》たかも分《わか》らねえ。私《わし》は早《は》や、獅子鼻《しゝばな》や団栗目《どんぐりめ》、御神酒徳利《おみきどつくり》の口《くち》なら真似《まね》も遣《や》るが、弁天様《べんてんさま》は手《て》に負《お》えねえ……まあ、そんな事《こと》は措《お》かつしやい。ぢやが、お前様《めえさま》は山《やま》が先生《せんせい》、水《みづ》が師匠《ししやう》と言《い》ふわけ合《あひ》で、私等《わしら》が気《き》にや天上界《てんじやうかい》のやうな東京《とうきやう》から、遥々《はる/″\》と……飛騨《ひだ》の山家《やまが》までござつたかね。」
と掻蹲《かつゝくば》ひ、両腕《りやううで》を膝《ひざ》に預《あづ》けたまゝ啣煙管《くはへぎせる》で摺出《すりだ》す躰《てい》は、嘴《くちばし》長《なが》い鷺《さぎ》の船頭《せんどう》化《ば》けたやうな態《さま》である。
雪枝《ゆきえ》は、しばらく猶予《ためら》つた。
「仮《かり》にも先生《せんせい》と呼《よ》んだ貴下《あなた》に向《むか》つて、嘘《うそ》は言《い》へません。……一度《いちど》来《こ》やう、是非《ぜひ》見《み》たい。生《うま》れない以前《いぜん》から雪枝《ゆきえ》の身躰《からだ》とは、許嫁《いひなづけ》の約束《やくそく》があるやうな此《こ》の土地《とち》です。信者《しんじや》が善光寺《ぜんくわうじ》、身延《みのぶ》へ順礼《じゆんれい》を為《す》るほどな願《ねがひ》だつたのが、――いざ、今度《こんど》、と言《い》ふ時《とき》、信仰《しんかう》が鈍《にぶ》つて、遊山《ゆさん》に成《な》つた。
其《それ》が悪《わる》かつたんです……
家内《かない》と二人連《ふたりづれ》で来《き》たんです、然《しか》も婚礼《こんれい》を為《し》たばかりでせう。」
盃《さかづき》を納《をさめ》るなり汽車《きしや》に乗《の》つて家《いへ》を出《で》た夫婦《ふうふ》の身体《からだ》は、人間《にんげん》だか蝶《てふ》だか区別《くべつ》が附《つ》かない。遥々《はる/″\》来《き》た、と言《い》はれては何《なん》とも以《もつ》て極《きまり》が悪《わる》い。気《き》も魂《たましひ》もふら/\で、六十余州《ろくじふよしう》、菜《な》の花《はな》の上《うへ》を舞《ま》ひ歩行《ある》いても疲《つか》れぬ元気《げんき》。其《それ》も突《つゝ》かけに夜昼《よるひる》かけて此処《こゝ》まで来《き》たなら、まだ/\仕事《しごと》の手前《てまへ》、山《やま》にも水《みづ》にも言訳《いひわけ》があるのに……彼方《あつち》へ二晩《ふたばん》此方《こつち》へ三晩《みばん》、泊《とま》り泊《とま》りの道草《みちくさ》で、――花《はな》には紅《くれなゐ》、月《つき》には白《しろ》く、処々《ところ/″\》の温泉《をんせん》を、嫁《よめ》の姿《すがた》で彩色《さいしき》しては、前後左右《ぜんごさいう》、額縁《がくぶち》のやうな形《かたち》で、附添《つきそ》つて、木《き》を刻《きざ》んで拵《こしら》へたものが、恁《か》う行《い》くものか、と自《みづ》から彫刻家《てうこくか》であるのを嘲《あざ》ける了見《れうけん》。
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