さま》、祖父殿《おんぢいどん》は家《うち》へ帰《かへ》りごと有《あ》るめえがね。
お剰《まけ》に家中《うちぢう》、無事《ぶじ》なものは一人《ひとり》も無《な》かつた。が不思議《ふしぎ》に私《わし》だけが助《たすか》りました。
御時世《ごじせい》が変《かは》つてから、古葛籠《ふるつゞら》の底《そこ》で見《み》つけました。祖父殿《おんぢいどん》が工夫《くふう》の絵図面《ゑづめん》、暇《ひま》にあかして遣《や》つて見《み》て、私《わし》が先《ま》づ乗《の》つて出《で》たが、案《あん》の定《ぢやう》燃出《もえだ》したで、やれ、人殺《ひとごろ》し、と……はツはツはツ、水《みづ》へ入《はい》つて泳《およ》いで遁《に》げた。
困《こま》つた事《こと》には、私《わし》が腹《はら》からの工夫《くふう》でねえでの、焼《や》くまいやうに手《て》を抜《ぬ》くと、五位鷺《ごゐさぎ》が動《うご》かぬ。濠《ほり》の真中《まんなか》で燃《も》え出《だ》すを合点《がつてん》の向《むき》には、幾度《いくど》も拵《こさ》へて乗《の》せて進《しん》ぜる。其処《そこ》で、へい、麓《ふもと》のものは承知《しようち》して、私《わし》がことを鷺《さぎ》の船頭《せんどう》、埒《らち》もない芸当《げいたう》だあ。」
と蹲《しやが》んで、腰《こし》の煙草入《たばこいれ》を捻《ひね》り出《だ》す。
聞《き》くものは、目《め》を閉《と》ぢて恍惚《ぼう》とした。
八
「処《ところ》が、聞《き》かつせえまし。」
と、すぱ/\と煙《けむり》を吹《ふ》かす。近《ちか》い煙草《たばこ》に遠霞《とほがすみ》で、天守《てんしゆ》を包《つゝ》んだ鬱蒼《うつさう》たる樹立《こだち》の蔭《かげ》が透《す》いて来《く》る。
「段々《だん/\》村《むら》が遠退《とほの》いて、お天守《てんしゆ》が寂《さび》しく成《な》ると、可怪《あやし》可恐《おそろし》い事《こと》が間々《まゝ》有《あ》るで、あの船《ふね》も魔《ま》ものが漕《こ》いで焼《や》くと、今《いま》お前様《めえさま》が疑《うたが》はつせえた通《とほ》り……
私《わし》が拵《こさ》へものと思《おも》ひながら、不気味《ぶきみ》がつて、何《なに》か魔《ま》の人《ひと》が仕掛《しか》けて置《お》く、囮《おとり》のやうに間違《まちが》へての。谿河《たにがは》を流《なが》す筏《いかだ》の端《はし》へ鴉《からす》が留《と》まつても気《き》に為《す》るだよ。
誰《たれ》も来《き》て乗《の》らぬので、久《ひさし》い間《あひだ》雨曝《あまざら》しぢや。船頭《せんどう》も船《ふね》も退屈《たいくつ》をした処《ところ》、又《また》これが張合《はりあひ》で、私《わし》も手遊《おもちや》が拵《こさ》へられます。
旦那《だんな》、嘸《さぞ》お前様《めえさま》吃驚《びつくり》さつせえたらうが、前刻《いましがた》船《ふね》と一所《いつしよ》に、白《しろ》い裸骸《はだか》の人《ひと》さ焼《や》けるのを見《み》た時《とき》は、やれ、五十年百年目《ごじふねんひやくねんめ》には、世《よ》の中《なか》に同《おな》じ事《こと》が又《また》有《あ》るか、と魂消《たまげ》ましけえ。其《それ》で無《な》うてさへ、御時節《ごじせつ》の有難《ありがた》さに、切支丹《キリシタン》と間違《まちが》へられぬが見《み》つけものゝ処《ところ》ぢや。あれが生身《いきみ》の婦《をんな》で無《な》うて、私《わし》もチヨン斬《ぎ》られずに済《す》んだでがす……
が、お前様《めえさま》は又《また》、一躰《いつたい》どうさつせえた訳《わけ》でがすの。」
と、ちよこなんとした割膝《わりひざ》の、真中《まんなか》どころへ頤《あご》を据《す》えて、啣煙管《くはへぎせる》で熟《じつ》と眺《なが》める。……老爺《ぢゞい》の前《まへ》を六尺《ろくしやく》ばかり草《くさ》を隔《へだ》てゝ、青年《わかもの》はばつたり膝《ひざ》を支《つ》いて、手《て》を下《さ》げた。……此《こ》の姿《すがた》を、天守《てんしゆ》から見《み》たら、虫《むし》のやうな形《かたち》であらう。
「失礼《しつれい》しました。御老人《ごらうじん》、貴下《あなた》は大先生《だいせんせい》です。何《ど》うか、御高名《ごかうめい》をお名告《なの》り下《くだ》さい。私《わたくし》は香村雪枝《かむらゆきえ》と言《い》つて、出過《です》ぎましたやうですが、矢張《やつぱり》木《き》を刻《きざ》んで、ものゝ形《かたち》を拵《こしら》へます家業《かげふ》のものです。」とはツと額着《ぬかづ》く。
「是《これ》は、」
と同《おな》じく草《くさ》につけた双《さう》の掌《て》を上《あ》げたり下《さ》げたり、臀《いしき》を揉《も》んでもじついて、
「旦那《だんな》、はて、お前様《めえさま》、何《なに》言《い》はつしやる。何《ど》うさつしやる……気《き》を静《しづ》めてくらつせえよ。」
「否《いゝえ》、何《ど》うぞ、失礼《しつれい》ながらお名告《なの》り下《くだ》さい。御覧《ごらん》の通《とほ》り、私《わたくし》は何《ど》うかして居《ゐ》る。……夢《ゆめ》なんだか、現《うつゝ》なんだか、自分《じぶん》だか他人《たにん》だか、宛然《まるで》弁別《わきまへ》が無《な》いほどです――前刻《さつき》からお話《はな》し被為《なす》つた事《こと》も、其方《そちら》では唯《たゞ》あはあは笑《わら》つて居《ゐ》らつしやるのが、種々《いろ/\》な言《ことば》に成《な》つて、私《わたくし》の耳《みゝ》に聞《き》こえるのかも分《わか》りません。が、其《それ》に為《し》てもお聞《き》かせ下《くだ》さい。お名《な》が此《こ》の耳《みゝ》へ入《はい》れば、私《わたくし》は私《わたくし》だけで、承《うけたまは》つたことゝ了見《れうけん》します。香村雪枝《かむらゆきえ》つて言《い》ふんです。先生《せんせい》、真個《まつたく》は靱負《ゆきへ》と言《い》つて、昔《むかし》の侍《さむらひ》のやうな名《な》なんですが、其《それ》を其《そ》のまゝ雪《ゆき》の枝《えだ》と書《か》いて、号《がう》にして居《ゐ》る若輩《じやくはい》ものです。」
「えゝ/\、困《こま》つたな、これは。名《な》を言《い》へなら、言《い》ふだけれど、改《あらたま》つては面目《めんもく》ねえ。」
と天窓《あたま》を撫《な》でざまに、するりと顱巻《はちまき》を抜《ぬ》いて取《と》り、
「へい、些《ちつ》と爺《ぢゞい》には似合《にあ》ひましねえ、村《むら》の衆《しゆ》も笑《わら》ふでがすが、八才《やつつ》ぐれえな小児《こども》だね、へい、菊松《きくまつ》つて言《い》ふでがすよ。」
「菊松先生《きくまつせんせい》、貴下《あなた》は凡人《ぼんじん》では居《ゐ》らつしやらない。」
「勘弁《かんべん》して下《く》らつせえ。うゝとも、すうとも返答《へんたふ》打《う》つ術《すべ》もねえだ…私《わし》、先生《せんせい》と言《い》はれるは、臍《ほぞ》の緒《を》切《き》つては最初《はじめて》だでね。」
「何《なん》とも御謙遜《ごけんそん》で、申上《まをしあ》げやうもありません。大先生《だいせんせい》、貴下《あなた》で無《な》くつて、何《ど》うして、彼《あ》の五位鷺《ごゐさぎ》が刻《きざ》めます。あの船《ふね》が動《うご》かせます。而《そ》して、其《そ》の秘密《ひみつ》を人《ひと》に知《し》らせまいために、天《てん》の火《ひ》で焚《や》くと見《み》せて、船《ふね》をお秘《かく》しなさるんでせう。」
「お前様《めえさま》もの、祖父殿《おんぢいどん》の真似《まね》をするだ、で、私《わし》が自由《じいう》には成《な》んねえだ。間違《まちが》へて先生《せんせい》だ、師匠《ししやう》だ言《い》はつしやるなら、祖父殿《おんぢいどん》を然《さ》う呼《よ》ばらつせえ。」
「同《おな》じ事《こと》です、大名《だいみやう》の子孫《しそん》が華族《くわぞく》なら、名家《めいか》の御子孫《ごしそん》も先生《せんせい》です。特《とく》に私《わたくし》は然《さ》う申《まを》さなければ成《な》りません。
私《わたくし》が今《いま》の此《こ》の仕事《しごと》を為《す》るやうに成《な》りましたのは、貴下《あなた》か、或《あるひ》は其《そ》の祖父様《ぢいさま》の御薫陶《ごくんたう》に預《あづか》つたと言《い》つて宜《よろ》しい。」……
技芸天《ぎげいてん》
九
「父《ちゝ》は或県《あるけん》の書記官《しよきくわん》でした。」
と雪枝《ゆきえ》は衣兜《かくし》に手《て》を挟《はさ》んだ。
「一年《あるとし》、此《こ》の地《ち》を巡廻《じゆんくわい》した事《こと》が有《あ》ります。私《わたくし》が七才《なゝつ》の時《とき》です。未《ま》だ其《そ》の頃《ころ》は、今《いま》の温泉《をんせん》は無《な》かつたやうですね。」
「温泉《をんせん》の開《ひら》けたのは近《ちか》い頃《ころ》の事《こと》でがすよ。然《さ》うでがすとも。前《まへ》から寂《さび》れては居《ゐ》ましつけえ、お城《しろ》の居《ゐ》まはりに、未《ま》だ、町《まち》の形《かたち》の残《のこ》つた頃《ころ》は、温泉《をんせん》は無《な》かつけの。
地震《ぢしん》が豪《えら》く押《おつ》ぱだかつて、しやつきり残《のこ》つたのはお天守《てんしゆ》ばかりぢや。人間《にんげん》も家《いへ》も押転《おつころ》ばして、濠《ほり》も半分《はんぶん》がた埋《うま》りましけ。冬《ふゆ》の事《こと》での、其《そ》の前兆《ぜんてう》べい、八尺余《はつしやくよ》も積《つも》つた雪《ゆき》が一晩《ひとばん》に融《と》けて、びしや/\と消《き》えた。あれ松《まつ》が蒼《あを》いわ、と言《い》ふ内《うち》に、天《てん》も地《ち》も赤黒《あかぐろ》く成《な》つて、活《い》きものと言《い》ふ活《いき》ものは、泥《どろ》の上《うへ》を泳《およ》いだての。
其《そ》の響《ひゞ》きで、今《いま》の処《ところ》へ、熱湯《ねつたう》が湧出《わきだ》いた。ぢやがさ、天道《てんだう》人《ひと》を殺《ころ》さずかい。生命《いのち》だけは助《たすか》つても、食《く》はう飲《の》まうの分別《ふんべつ》も出《で》なんだ処《ところ》温泉《をんせん》が昌《さか》つて来《き》たで、何《ど》うやら娑婆《しやば》の形《かたち》に成《な》つた。其《そ》のかはり、旧《もと》から噂《うはさ》の高《たか》かつたお天守《てんしゆ》の此《こ》の辺《へん》は、人《ひと》の寄附《よりつ》かぬ凄《すご》い処《ところ》に成《な》りましたよ。見《み》さつせえ、いまに太陽様《おてんとうさま》が出《で》さつせえても、濠端《ほりばた》かけて城跡《しろあと》には、お前様《めえさま》と私等《わしら》が他《ほか》には、人間《にんげん》らしい影《かげ》もねえだ。偶々《たま/\》突立《つゝた》つて歩行《ある》くものは、性《しやう》の善《よ》くねえ、野良狐《のらぎつね》か、山猫《やまねこ》だよ。
こんな処《ところ》へ、主《ぬし》は何《なん》として又《また》姉様《あねさま》の人形《にんぎやう》連《つ》れて来《き》さつせえた。」
「其《それ》を順《じゆん》にお話《はなし》しませう、」
と雪枝《ゆきえ》は一度《いちど》塞《ふさ》いだ目《め》を、茫乎《ばう》と開《あ》けて、
「父《ちゝ》が此《こ》の処《ところ》を巡廻《じゆんくわい》した節《せつ》、何処《どこ》か山蔭《やまかげ》の小《ちひ》さな堂《だう》に、美《うつくし》い二十《はたち》ばかりの婦《をんな》の、珍《めづら》しい彫像《てうざう》が有《あ》つたのを、私《わたくし》の玩弄《おもちや》にさせうと、堂守《だうもり》に金子《かね》を遣《や》つて、供《とも》のものに持《も》たせて帰《かへ》つたのを、他《ほか》に姉妹《きやうだい》もなし、姉《あね》さんが一人《ひとり》出来《でき》たやうに、負《おぶ》つたり抱《だ》いたり為《し》ました。大
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