如何《いか》にも、我《わ》が顔《かほ》ながら不気味《ぶきみ》さうに見《み》えた。――眉《まゆ》を顰《ひそ》めて、
「ま、ま、少《わけ》え旦那《だんな》、落着《おちつ》かつせえ、気《き》を静《しづ》めさつせえまし。……魔物《まもの》だ、鬼《おに》だ喚《わめ》いて、血相《けつさう》を変《か》へてござる……何《ど》うも見《み》た処《ところ》、――未《ま》だ此《こ》の上《うへ》に逆上《のぼせあが》らつしやるなよ――何《ど》うやら取逆《とりのぼ》せて居《ゐ》さつしやるが、はて、」
と上下《うへした》、天守《てんしゆ》を七分《しちぶ》、青年《わかもの》を三分《さんぶ》に見較《みくら》べ、
「もの、此処《こゝ》さ城趾《しろあと》の、お天守《てんしゆ》へ上《あが》らつしやりは為《し》ねえかの。」
「為《し》ねえかぢや無《な》からう。昨夜《ゆふべ》貴様《きさま》に何処《どこ》で逢《あ》つた?」
「先《ま》づ、むゝ、其《それ》で分《わか》つた。」
「分《わか》つたか。いや昨夜《さくや》は失礼《しつれい》したよ、魔物《まもの》の隊長《たいちやう》。」
「はて、迷惑《めいわく》な、私《わし》う魔物《まもの》だと思《おも》はつしやる。」
「魔物《まもの》で無《な》くて、魔物《まもの》で無《な》くて、汝《おのれ》、五位鷺《ごゐさぎ》が漕出《こぎだ》して、濠《ほり》の中《なか》で自然《しぜん》に焼《や》ける……不思議《ふしぎ》な船《ふね》の持主《もちぬし》が有《あ》るものか。」
「成程《なるほど》、何《なに》も仔細《しさい》を知《し》らつしやらぬお前様《めえさま》は、様子《やうす》を見《み》ても、此処等《こゝら》の人《ひと》ではござらつしやらぬ。」
「那様《そん》な事《こと》を言《い》つて何《ど》うする、貴様《きさま》は奪《うば》つて行《い》つた俺《おれ》の女房《にようばう》の、町処《ちやうところ》まで知《し》つてるでは無《な》いか。」
「急《せ》かつしやるな。此《こ》の山裾《やますそ》の、双六温泉《すごろくをんせん》へ、湯治《たうぢ》に来《き》さつせえた人《ひと》だんべいの。」
「知《し》れた事《こと》を、貴様《きさま》がお浦《うら》を掴出《つかみだ》した、……あの旅籠屋《はたごや》に逗留《とうりう》して居《ゐ》る。」
「そんなら、はい、無理《むり》はねえだ。」
と莞爾《につこり》して、草鞋《わらぢ》の尖《さき》で向直《むきなほ》つた。早《は》や煙《けむり》の余波《なごり》も消《き》えて、浮脂《きら》に紅蓮《ぐれん》の絵《ゑ》も描《か》かぬ、水《みづ》の其方《そなた》を眺《なが》めながら、
「あの……木葉船《こツぱぶね》はの、丁《ちやん》と自然《ひとりで》に動《うご》くでがすよ……土地《とち》のものは知《し》つとります。で、鷺《さぎ》の船頭《せんどう》と渾名《あだな》するだ。それ、見《み》さしつた通《とほ》り、五位鷺《ごゐさぎ》が漕《こ》ぐべいがね。」
「漕《こ》ぐのは鷺《さぎ》でも鳶《とんび》でも構《かま》はん。漕《こ》がせるのは人間《にんげん》ぢや無《な》いのだらう。」
余計《よけい》なことを、と投《な》げ調子《てうし》。
「いんや、お前様《めえさま》、お天守《てんしゆ》の、」
と声《こゑ》を密《ひそ》めて、
「……魔《ま》の人《ひと》が為業《しわざ》なら、同一《おなじ》鷺《さぎ》が漕《こ》ぐにして、其《そ》の船《ふね》は光《ひかり》を放《はな》つて、ふわ/\雲《くも》の中《なか》を飛行《ひぎやう》するだ。
……たか/″\人間《にんげん》の仕事《しごと》だけに、羽《はね》の有《あ》る船頭《せんどう》を使《つか》ふても、水《みづ》の上《うへ》を浮《う》いて行《い》くだよ。何《なに》も希有《けう》がらつしやるには当《あた》らぬ。あの船《ふね》は、私《わし》が慰楽《なぐさみ》に造《つく》るでがす。」
「えゝ、拵《こしら》へる、而《そ》して魔物《まもの》では無《な》いと言《い》ふのか。」
「随意《まゝ》にさつしやりませ。すつとこ被《かぶ》りをした天狗様《てんぐさま》があつて成《な》ろかい。気《き》を静《しづ》めさつしやるが可《い》い。嘘《うそ》だ思《おも》ふなら、退屈《たいくつ》せずに四日《よつか》五日《いつか》、私《わし》が小屋《こや》へ来《き》て対向《さしむか》ひに座《すは》つてござれ、ごし/\こつ/\と打敲《ぶつたゝ》いて、同一《おなじ》船《ふね》を、主《ぬし》が目《め》の前《まへ》で拵《こさ》へて見《み》せるだ。」
「ふん、」と返事《へんじ》を呑込《のみこ》んだが、まだ其《そ》の息《いき》は発喘《はず》むのであつた。
「何《ど》うして作《つく》る。」
「何《ど》うして作《つく》る? ……つひ一寸《ちよつ》くら手真似《てまね》で話《はな》されるもんではねえ。此《こ》の胸《むね》に、機関《からくり》を知《し》つとります。」
「機関《からくり》か。」
「危険《けんのん》な機関《からくり》だで、小《ちひ》さく拵《こさ》へて、小児《こども》の玩弄《おもちや》にも成《な》りましねえ。が、親譲《おやゆづ》りの秘伝《ひでん》ものだ、はツはツはツ、」
と浮世《うきよ》を忘《わす》れた笑《わら》ひを行《や》る。
「お待《ま》ち、親譲《おやゆづ》りの秘伝《ひでん》と言《い》ふと……」
と言《い》ひ方《かた》は迫《せま》つたが、声《こゑ》の調子《てうし》は大分《だいぶ》静《しづ》まる。
「何《なに》も、家伝《かでん》の秘法《ひはふ》の言《い》ふて、勿体《もつたい》を附《つ》けるでねえがね……祖父《おんぢい》の代《だい》から為《し》た事《こと》を、見《み》やう見真似《みまね》に遣《や》るでがすよ。」
「其《それ》ぢや、三代《さんだい》船大工《ふなだいく》か。」
と些少《すこし》落着《おちつ》いて青年《わかもの》が聞《き》いた。
雪枝《ゆきえ》、菊松《きくまつ》
七
「何《なん》の、お前様《めえさま》、見《み》さる通《とほ》り二十八方仏子柑《にじふはつぱうぶしかん》の山間《やまあひ》ぢや。木《き》を伐出《きりだ》いて谿河《たにがは》へ流《なが》せば流《なが》す……駕籠《かご》の渡《わた》しの藤蔓《ふぢづる》は編《あ》むにせい、船大工《ふなだいく》は要《い》りましねえ。――私等《わしら》が家《うち》は、村里町《むらざとまち》の祭礼《まつり》の花車人形《だしにんぎやう》。木偶之坊《でくのばう》も拵《こしら》へれば、内職《ないしよく》にお玉杓子《たまじやくし》も売《う》つたでがす。獅子頭《しゝがしら》、閻魔様《えんまさま》、姉様《あねさま》の首《くび》の、天狗《てんぐ》の面《めん》、座頭《ざとう》の顔《かほ》、白粉《おしろひ》も塗《ぬ》れば紅《べに》もなする、青絵具《あをゑのぐ》もべつたりぢや。
そんなものさ、甘干《あまぼし》の柿《かき》見《み》たやうに、軒《のき》へぶら下《さ》げて売《う》りましつけ、……水損《すゐそん》、山抜《やまぬ》け、御維新《ごゐしん》以来《このかた》、城趾《しろあと》へ草《くさ》が生《は》へる、濠《ほり》が埋《う》まる、村《むら》も里《さと》も無《な》くなりました処《ところ》へ、路《みち》が変《かは》つて、旅人《たびびと》も通《とほ》らぬけえに、根《ね》つから家業《かげふ》に成《な》らんでの、私《わし》ら、木挽《こびき》木樵《きこり》も遣《や》る。温泉場《をんせんば》に普請《ふしん》でも有《あ》る時《とき》には、下手《へた》な大工《だいく》の真似《まね》もする。閑《ひま》な日《ひ》には鰌《どぜう》を掬《しやく》つて暮《くら》すだが、祖父殿《おんぢいどん》は、繁昌《はんじやう》での、藩主様《とのさま》さ奥御殿《おくごてん》の、お雛様《ひなさま》も拵《こさ》へさしたと……
其《そ》の祖父殿《おんぢいどん》はの、山伏《やまぶし》の姿《すがた》した旅《たび》の修業者《しゆげふじや》が、道陸神《だうろくじん》の傍《そば》に病倒《やみたふ》れたのを世話《せわ》して、死水《しにみづ》を取《と》らしつけ……其《そ》の修業者《しゆげふじや》に習《なら》つた言《い》ひます。
轆轤首《ろくろくび》さ、引窓《ひきまど》から刎《は》ねて出《で》る、見越入道《みこしにふだう》がくわつと目《め》を開《あ》く、姉様《あねさま》の顔《かほ》は莞爾《につこり》笑《わら》ふだ、――切支丹宗門《キリシタンしうもん》で、魔法《まはふ》を使《つか》ふと言《い》ふて、お城《しろ》の中《なか》で殺《ころ》されたとも言《い》へば、行方知《ゆくへし》れずに成《な》つたとも言《い》ふ。
はじめは、不思議《ふしぎ》な機関《からくり》を藩主様《とのさま》御前《ごぜん》で見《み》せい言《い》ふて、お城《しろ》へ召《め》されさしけえの、其時《そのとき》拵《こさ》へたのが、五位鷺《ごゐさぎ》の船頭《せんどう》ぢや。
それ、船《ふね》を浮《うか》べたのは、矢張《やはり》此《こ》の濠《ほり》。」
と言《い》ひかけて、水《みづ》には臨《のぞ》まず、却《かへ》つて空《そら》を指《ゆびさ》した老爺《ぢい》の指《ゆび》は、一《ひとつ》の峰《みね》と相対《あひむか》つて、霞《かすみ》の高《たか》い、天守《てんしゆ》の棟《むね》に並《なら》んで見《み》えた。
「これは、其《そ》の三重濠《さんぢゆうぼり》で、二《に》の丸《まる》の奥《おく》でがす。お殿様《とのさま》は、継上下《つぎかみしも》の侍方《さむらひがた》、振袖《ふりそで》の腰元衆《こしもとしゆ》づらりと連《つ》れて出《で》て御見物《ごけんぶつ》ぢや。
『町人《ちやうにん》、此《こ》の船《ふね》を何《ど》うするな。』
『御意《ぎよい》にござります。舳《みよし》に据《す》えました其《そ》の五位鷺《ごゐさぎ》が翼《つばさ》を帆《ほ》に張《は》り、嘴《くちばし》を舵《かぢ》に仕《つかまつ》りまして、人手《ひとで》を藉《か》りませず水《みづ》の上《うへ》を渡《わた》りまする。』
と申上《まをしあ》げたて。……なれども唯《たゞ》差置《さしお》いたばかりでは鷺《さぎ》が翼《つばさ》を開《ひら》かぬで、人《ひと》が一人《ひとり》乗《の》る重量《おもみ》で、自然《おのづ》から漕《こ》いで出《で》る。……一体《いつたい》が、天上界《てんじやうかい》の遊山船《ゆさんぶね》に擬《なぞ》らへて、丹精《たんせい》籠《こ》めました細工《さいく》にござるで、御斉眉《おかしづき》の中《なか》から天人《てんにん》のやうな上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じやうらう》御一方《おひとかた》、と望《のぞ》んだげな。
当時《たうじ》飛鳥《とぶとり》も落《お》ちると言《い》ふ、お妾《めかけ》が一人《ひとり》乗《の》つて出《で》たが、船《ふね》の焼出《やけだ》したのは、主《ぬし》が見《み》さしつた通《とほ》りでがす。――其《そ》の妾《めかけ》と言《い》ふのが、祖父殿《おんぢいどん》の許嫁《いひなづけ》で有《あ》つたとも言《い》へば、馴染《なじみ》だとも風説《うはさ》したゞね。
処《ところ》で、綾錦《あやにしき》へ燃《も》えつく時《とき》、祖父殿《おんぢいどん》が手《て》を挙《あ》げて、
『飛込《とびこ》め、助《たす》かる。』
と我鳴《がな》らしつけが、お妾《めかけ》は慌《あは》てもせず、珠《たま》の簪《かんざし》を抜《ぬ》くと、舷《ふなばた》から水中《すゐちう》へ投込《なげこ》んで、颯《さつ》と髪《かみ》の毛《け》を捌《さば》いたと思《おも》へ。……胴《どう》の間《ま》へ突伏《つゝぷ》して動《うご》かぬだ。
裸《はだか》で飛込《とびこ》んだ、侍方《さむらひがた》、船《ふね》に寄《よ》りは寄《よ》つたれども、燃《も》え立《た》つ炎《ほのほ》で手《て》が出《だ》せぬ。漸《やつ》との思《おも》ひで船《ふね》を引《ひつ》くら返《かへ》した時分《じぶん》には、緋鯉《ひごひ》のやうに沈《しづ》んだげな。――これだもの、お前様《めえ
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