ざ! 上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じやうらう》、」
「お客《きやく》なれば貴僧《あなた》から、」
「や、采《さい》は、上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じやうらう》。」と高声《たかごゑ》で言《い》つた。
「空《そら》を行《ゆ》く雲《くも》の数《かづ》、」
と眉《まゆ》を開《ひら》いて見上《みあ》ぐる天《てん》を、白《しろ》い雲《くも》が来《き》ては消《き》え、白《しろ》い雲《くも》が来《き》ては消《き》えする。
「桜《さくら》の花《はな》の散《ち》るのを数《かぞ》へ、舞《ま》ひ来《く》る蝶《てふ》の翼《つばさ》を算《よ》んで、貴僧《あなた》、私《わたし》と順々《じゆん/\》に。」
 坊主《ばうず》は頷《うなづ》いて袈裟《けさ》を揺《ゆす》つた。
「言《い》ふ目《め》。」
と高《たか》く美女《たをやめ》が。
「乞目《こひめ》、」
と坊主《ばうず》が、互《たがひ》に一声《ひとこゑ》。鶯《うぐひす》と梟《ふくろふ》と、同時《どうじ》に声《こゑ》を懸合《かけあ》はせた。
「一《ひと》つ来《き》て、二《ふた》つぢや。」
と鶴《つる》の姿《すがた》の雲《くも》を睨《にら》んで、鼓草《たんぽゝ》は格子《かうし》を動《うご》く。
 ト美女《たをやめ》は袂《たもと》を取《と》つて、袖《そで》を斜《なゝ》めに、瞳《ひとみ》を流《なが》せば、心《こゝろ》ある如《ごと》く桜《さくら》の枝《えだ》から、花片《はなびら》がさら/\と白《しろ》く簪《かざし》の花《はな》を掠《かす》める時《とき》、紅《くれない》の色《いろ》を増《ま》して、受《う》け取《と》る袖《そで》に飜然《ひらり》と留《と》まつた。
「右《みぎ》が三《みつ》つ、」
と袖《そで》を返《かへ》して、左《ひだり》の袂《たもと》を静《しづ》かに引《ひ》くと、また花片《はなびら》がちらりと来《く》る。
「一《ひと》つと二《ふた》つ、」
と菫《すみれ》の花《はな》が白《しろ》い指《ゆび》から格子《かうし》へ入《はい》つた。
「雲《くも》よ、雲《くも》よ、雲《くも》よ、」
と呼《よ》んで、気色《けしき》ばんで、やゝ坊主《ばうず》があせり出《だ》した。――争《あらそ》ひの半《なかば》であつた。
「雲《くも》が来《く》る、花《はな》が降《ふ》る。や、此《こ》の采《さい》は気《き》が長《なが》いぞ。見《み》て居《ゐ》る内《うち》に斧《をの》の柄《え》が朽《く》ち、玉手箱《たまてばこ》が破《やぶ》れうも知《し》れぬが。少《わか》い人《ひと》、其《そ》の采《さい》を……其《そ》の采《さい》を出《だ》さつしやい。うつかり見惚《みと》れて私《わし》も忘《わす》れた。」
と目《め》の覚《さ》めたやうに老爺《ぢい》が言《い》つた。
 青年《わかもの》は疾《と》くから心着《こゝろづ》いて、仏舎利《ぶつしやり》のやうに手《て》に捧《さゝ》げて居《ゐ》たのを、密《そつ》と美女《たをやめ》の前《まへ》へ出《だ》した。
「一《ひと》つ振《ふ》つたり、」
と老爺《ぢい》が傍《かたはら》から、肝入《きもい》れして、采《さい》を盤石《ばん》に投《な》げさせた。
「お姫様《ひいさま》、それ/\、星《ほし》が一《ひと》つで、梅《うめ》が五《ご》ぢや。瞬《またゝき》する間《ま》に、十度《とたび》も目《め》が出《で》る。早《はや》く、もし、其《それ》で勝負《しようぶ》を着《つ》けさつせえまし。」
「天下《てんか》の重宝《ちやうほう》、私《わし》もつひ是《これ》に気《き》が着《つ》かなんだ。」
と坊主《ばうず》は手早《てばや》く拾《ひろ》ひ取《と》る。
「いえ、急《いそ》いでは成《な》りません、花《はな》の数《かず》、蝶《てふ》の数《かず》、雲《くも》の数《かず》で無《な》くつては。」と美女《たをやめ》は頭《かしら》を振《ふ》つた。
「えゝ、お姫様《ひいさま》の! 何《ど》うやら今《いま》までの乞目《こひめ》では、一度《いちど》に一年《いちねん》も懸《かゝ》りさうぢや。お庇《かげ》と私等《わしら》は飢《ひもじ》うも、だるうも無《な》けれど、肝心《かんじん》助《たす》け取《と》らうと云《い》ふ、奥様《おくさま》の身《み》をお察《さつ》しやれ。一息《ひといき》に血《ち》一点《ひとたらし》、一刻《いつこく》に肉《にく》一分《いちぶ》は絞《しぼ》られる、削《けづ》られる……天守《てんしゆ》の梁《うつばり》に倒《さかさま》で、身《み》の鞭《むち》に暇《ひま》はないげな。」
「其《そ》の通《とほ》り。」と傲然《がうぜん》として、坊主《ばうず》は身構《みがま》へ為《し》て袖《そで》を掲《かゝ》げた。

         四十五

 美女《たをやめ》の顔《かほ》の色《いろ》は早《は》や是非《ぜひ》なげに見《み》えた。
 一《いち》が起《お》き、六《ろく》が出《い》で、三《さん》に変《かは》り、二《に》に飜《かへ》り、五《ご》が並《なら》ぶ。天《てん》に星《ほし》の輝《かゞや》く如《ごと》く、采《さい》の目《め》の疾《と》く、駒《こま》の烈《はげ》しく動《うご》くに連《つ》れて、中空《なかぞら》を見《み》よ、岫《しう》を湧《わ》き、谷《たに》を飛《と》ぶ、消《き》えた雲《くも》が残《のこ》り、続《つゞ》く雲《くも》が累《かさな》り、追《お》ふ雲《くも》が結着《むすびつ》いて、雲《くも》はやがて厚《あつ》く、雲《くも》はやがて濃《こ》く、既《すで》にして近《ちか》くなり、低《ひく》く成《な》つた。……
 忽《たちま》ち一片《いつぺん》、美女《たをやめ》の面《おもて》にも雲《くも》の影《かげ》が映《さ》すよと見《み》れば、一谷《ひとだに》は暗《くら》く成《な》つた。
 鋭《するど》き山颪《やまおろし》が颯《さ》と来《く》ると、舞下《まひさが》る雲《くも》に交《まじ》つて、漂《たゞよ》ふ如《ごと》く菫《すみれ》の薫《かほり》が※[#「火+發」、182−14]《ぱつ》としたが、拭《ぬぐ》ひ去《さ》つて、つゝと消《き》えると、電《いなづま》が空《くう》を切《き》つた。……坊主《ばうず》の法衣《ころも》は、大巌《おほいは》の色《いろ》の乱《みだ》れた双六《すごろく》の盤《ばん》を蔽《おほ》ふて、四辺《あたり》は墨《すみ》よりも蔭《かげ》が黒《くろ》い。
 ト暗夜《あんや》の如《ごと》き山懐《やまふところ》を、桜《さくら》の花《はな》は矢《や》を射《ゐ》るばかり、白《しろ》い雨《あめ》と散《ち》り灌《そゝ》ぐ。其《そ》の間《あひだ》をくわつと輝《かゞや》く、電光《いなびかり》の縫目《ぬいめ》から空《そら》を破《やぶ》つて突出《つきだ》した、坊主《ばうず》の面《つら》は物凄《ものすさま》しいものである……
 唯《と》見《み》れば、頭《かしら》に、無手《むづ》と一本《いつぽん》の角《つの》生《お》ひたり。顔面《がんめん》黒《くろ》く漆《うるし》して、目《め》の隈《くま》、鼻頭《はなづら》、透通《すきとほ》る紫陽花《あぢさゐ》に藍《あゐ》を流《なが》し、額《ひたひ》から頤《あぎと》に掛《か》けて、長《なが》さ三尺《さんじやく》、口《くち》から口《くち》へ其《そ》の巾《はゞ》五尺《ごしやく》、仁王《にわう》の顔《かほ》を上《うへ》に二《ふた》つ下《した》に三《み》つ合《あ》はせたばかり、目《め》に余《あま》る大《おほき》さと成《な》つて、カチ/\と歯《は》の鳴《な》る時《とき》、鰐《わに》かと思《おも》ふ大口《おほぐち》を赫《くわつ》と開《ひら》いて、上頤《うはあご》を嘗《な》める舌《した》が赤《あか》い。
「騒《さわ》ぐまい、時々《とき/″\》ある……深山幽谷《しんざんいうこく》の変《へん》じや。少《わか》い人《ひと》、誰《たれ》の顔《かほ》も何《ど》の姿《すがた》も、何《ど》う変《かは》るか知《し》んねえだ! 驚《おどろ》くと気《き》が狂《くる》ふぞ、目《め》を塞《ふさ》いで踞《せぐゝま》れ、蹲《しやが》め、突伏《つゝふ》せ、目《め》を塞《ふさ》げい。」
と老爺《ぢい》が呼《よば》はる。
 雪枝《ゆきえ》はハツと身《み》を伏《ふ》せて、巌《いは》に吸込《すひこ》まれるかと呼吸《いき》を詰《つ》めたが、胸《むね》の動悸《だうき》が、持上《もちあ》げ揺上《ゆりあ》げ、山谷《さんこく》尽《こと/″\》く震《ふる》ふを覚《おぼ》えた。
 殷々《ゐん/\》として雷《らい》が響《ひゞ》く。
 音《おと》の中《なか》に、
「切《き》らう!」
と思切《おもひき》つた美女《たをやめ》の、細《ほそ》い透《とほ》る声音《こはね》が、胸《むね》を抉《えぐ》つて耳《みゝ》を貫《つらぬ》く。
「何《なに》を、切《き》ればと言《い》ふて早《は》や今《いま》は……乞目《こひめ》!」
と誇立《ほこりた》つた坊主《ばうず》の声《こゑ》が響《ひゞ》いたが。
「やあ、勝《か》つた。」
と叫《さけ》んで、大音《だいおん》に呵々《から/\》と笑《わら》ふと斉《ひと》しく、空《そら》を指《さ》した指《ゆび》の尖《さき》へ、法衣《ころも》の裙《すそ》が衝《つ》と上《あが》つた、黒雲《くろくも》の袖《そで》を捲《ま》いて、虚空《こくう》へ電《いなづま》を曳《ひ》いて飛《と》ぶ。
 と風《かぜ》の余波《なごり》に寂《しん》として、谷《たに》は瞬《またゝ》く間《ま》に、もとの陽炎《かげらふ》。
 が、日《ひ》の光《ひか》りやゝ弱《よわ》く、衣《きぬ》のひた/\と身《み》に着《つ》く処《ところ》に、薄《うす》い影《かげ》が繊細《かほそ》くさして、散乱《ちりみだ》れた桜《さくら》の花《はな》の、背《せ》に頸《くび》にかゝつたまゝ、美女《たをやめ》は、手《て》を額《ひたひ》に当《あ》てゝ、双六盤《すごろくばん》に差俯向《さしうつむ》いて、ものゝ悩《なや》ましげな風情《ふぜい》であつた。
「お姫様《ひめさま》、」
と風《かぜ》に曲《ゆが》んだ烏帽子《えばうし》の紐《ひも》を結直《ゆひなお》したが、老爺《ぢい》の声《こゑ》も力《ちから》が無《な》かつた。
「姫様《ひいさま》。」
と膝行《いざ》り寄《よ》つて、……雪枝《ゆきえ》が伸上《のびあが》るやうに膝《ひざ》を支《つ》いて、其《そ》の袖《そで》のあたりを拝《をが》んだ。
「頼《たの》まれたのに、済《す》みません。」
 二筋《ふたすぢ》三筋《みすぢ》、後毛《をくれげ》のふりかゝる顔《かほ》を上《あ》げて、青年《わかもの》の顔《かほ》を凝《じつ》と視《なが》めて、睫毛《まつげ》の蔭《かげ》に花《はな》の雫《しづく》、衝《つ》と光《ひか》つて、はら/\と玉《たま》の涙《なみだ》を落《おと》す。
 老爺《ぢい》も鼻《はな》を詰《つま》らせた。
 雪枝《ゆきえ》は身《み》を絞《しぼ》つて湧出《わきいづ》るやうに、熱《あつ》い、柔《やはらか》い涙《なみだ》が流《なが》れた。
「断念《あきら》めます、……断念《あきら》める……私《わたくし》はお浦《うら》を思切《おもひき》ります。何《ど》うぞ、其《そ》の代《かは》り、夢《ゆめ》でも可《い》い、夢《ゆめ》なら何時《いつ》までも覚《さ》めずに、私《わたくし》を此処《こゝ》に、貴女《あなた》の傍《そば》にお置《お》き下《くだ》さい。
 貴下《あなた》、生効《いきが》ひのない私《わたくし》、罰《ばち》も当《あた》れ、死《し》んでも構《かま》はん。」
と前倒《まへたふ》しに身《み》を投《な》げて、犇《ひし》と美女《たをやめ》の手《て》に縋《すが》ると、振《ふ》りも払《はら》はず取添《とりそ》へて、
「雪様《ゆきさま》。」
と優《やさ》しく言《い》ふ。
「え、」
 いや、老爺《ぢい》も驚《おどろ》くまいか。


       獅子《しゝ》の頭《かしら》


         四十六

「お懐《なつか》しい。私《わたし》は貴下《あなた》が七歳《なゝつ》の年紀《とし》、お傍《そば》に居《ゐ》たお友達《ともだち》……過世《すぐせ》の縁《えん》で、恋《こひ》しう成《な》り、いつまでも/\、御
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